ウディアレン監督の新作映画「ブルージャスミン」を映画館でみた。
ウディアレンの新作は必ず映画館に向かう。今回はケイトブランシェットのアカデミー主演女優賞受賞でハクがついた。
前作「ローマでアモーレ」、前々作「ミッドナイトインパリ」ほど面白い映画ではない。ケイトの「いやな女ぶり」を楽しむという感じかな?
欧州に行くことが多かったウディがアメリカにリターン、しかもサンフランシスコで撮影する。ヒッチコックの「めまい」など坂道の多いサンフランシスコは映画と相性がいい。
ジャスミン(ケイト・ブランシェット)がニューヨークからサンフランシスコに向う飛行機内の映像からスタートする。
金融系の実業家ハル(アレック・ボールドウィン)が詐欺罪でつかまり、セレブな生活を送っていたジャスミンは財産没収される。結局サンフランシスコにいる血の繋がっていない妹ジンジャー(サリー・ホーキンス)を頼っていくところだ。ジンジャーも夫と別れ2人の子供と暮らしている。働いたことのないジャスミンはインテリアデザイナーを目指しパソコン教室に通いながら歯科医の受付のバイトをしていた。
しかし、セレブ生活が抜けきれない。精神安定剤とウォッカを手放せないジャスミンは情緒不安定だった。そんなある時、パソコン教室の仲間からパーティにこないかと誘われる。ジャスミンはパーティで国務省に勤めるドワイト(ピーター・サースガード)と親しくなる。妻と死別したドワイトに惹かれたジャスミンは子供はいないとかいくつかのウソをついてしまう。求婚されつき合いは進展するのであるが。。。
ざっとストーリーを追うとこんなところだが、セレブ時代の回想場面を自然な流れで挿入する。ニューヨーク時代とサンフランシスコの話が交差するそのリズムがいい感じだ。映画が始まってしばらくして「欲望という名の電車」のオマージュだな?ということに気づく。実にいやな女だ。
そもそも予想外の収入があったジンジャー夫妻に投資を勧めたのはジャスミン夫妻である。投資の失敗がもとでジンジャー夫妻は離婚してジンジャーはサンフランシスコで息子2人と暮らしているという構図だ。迷惑をかけた妹のところへ転がり込むという姉もずうずうしいを通り越している。しかも、自分の過去の栄光を引きづって妄想にふけっている。「サンセット大通り」のグロリア・スワンソンのようにも見える。ましてや国務省のエリートに出会ってもウソつき放題だ。でもこんな人って日本人にもいるかもしれない。
1.サンフランシスコ
ロスアンジェルスと比較すると、映画の舞台になるケースは少ない。しかし、この街の地形は映画との相性がいい。ヒッチコックの「めまい」も「鳥」の舞台もサンフランシスコだ。クリントイーストウッドの「ダーティハリー」のキャラハン刑事はサンフランシスコ警察である。スティーブ・マックイーンが全速力でサンフランシスコの坂道を運転する「ブリット」も地形の特性をうまく生かした映像だ。
自分は1回サンフランシスコに行ったことがあるが、何度も行ったような錯覚を受けることがある。今あげた4つの作品を見れば、古い映画だけどこの町のことがよくわかる。あとはオーソンウェルズの「上海から来た女」でチャイナタウンに逃げ込むシーンが出てくる「ブルージャスミン」でも一部チャイナタウンが映されるが、ここまでおさえてショーンペンの「ミルク」を見れば完ぺきだろう。
2.サリーホーキンス(ここからネタばれあり)
社会の底辺というわけではないが、一般的アメリカの労働者階級の女性を演じる。アカデミー賞の助演女優賞の候補になったのがうなづける巧さを発揮している。
セレブのジャスミンはイヤな女だが、サリー演じるジンジャーは男に頼って生きているよくいるずるい女だ。離婚した夫に金のことで愛想を尽かしたと思ったら、すぐさまシスコで修理工と仲良くなる。でもパーティでサウンドクリエーターと知り合ったら、すぐパカパカやりまくる。その男が所帯持ちだとわかると、一旦は捨てた修理工に逆戻りだ。こういう女は多いよね。ウディはジャスミンだけでなく一般階級のジンジャーのずるさも見逃していない。
3.ケイトブランシェット
シャネルの服がよく似合う。イヤな女を演じているけど、容姿だけをみているとこの映画のケイトはきれいだ。彼女の映画の感想はかなりアップしてきたが、演技としては「ハンナ」「あるスキャンダルの覚書」がいい感じだと自分は思う。「ハンナ」の悪役ぶりを見て、こういう路線に進むのかと思ったらイヤな女を演じてしまった。どれもこれもうまいけどね。
4.内田樹「映画の構造分析」
この映画をみて、内田樹の本を真っ先に連想した。彼はこう書く「ハリウッド映画がその全史を通じて強烈な女性嫌悪にドライブされているということについては深い確信を有している。これほど激しく女性を嫌い、呪い、その排除と死を願っている性文化を私は他に知らない。」なるほど
ここでジャスミンとジンジャーの2人を使って、イヤな女というのをウディは描いている。2人の女に愛想を尽かしたウディの苦笑いが見えるようだ。
最後のオチには笑えた。すべての転落の始まりは自分がまねいていたのだ。
こういう女っているよね。
ウディアレンの新作は必ず映画館に向かう。今回はケイトブランシェットのアカデミー主演女優賞受賞でハクがついた。
前作「ローマでアモーレ」、前々作「ミッドナイトインパリ」ほど面白い映画ではない。ケイトの「いやな女ぶり」を楽しむという感じかな?
欧州に行くことが多かったウディがアメリカにリターン、しかもサンフランシスコで撮影する。ヒッチコックの「めまい」など坂道の多いサンフランシスコは映画と相性がいい。
ジャスミン(ケイト・ブランシェット)がニューヨークからサンフランシスコに向う飛行機内の映像からスタートする。
金融系の実業家ハル(アレック・ボールドウィン)が詐欺罪でつかまり、セレブな生活を送っていたジャスミンは財産没収される。結局サンフランシスコにいる血の繋がっていない妹ジンジャー(サリー・ホーキンス)を頼っていくところだ。ジンジャーも夫と別れ2人の子供と暮らしている。働いたことのないジャスミンはインテリアデザイナーを目指しパソコン教室に通いながら歯科医の受付のバイトをしていた。
しかし、セレブ生活が抜けきれない。精神安定剤とウォッカを手放せないジャスミンは情緒不安定だった。そんなある時、パソコン教室の仲間からパーティにこないかと誘われる。ジャスミンはパーティで国務省に勤めるドワイト(ピーター・サースガード)と親しくなる。妻と死別したドワイトに惹かれたジャスミンは子供はいないとかいくつかのウソをついてしまう。求婚されつき合いは進展するのであるが。。。
ざっとストーリーを追うとこんなところだが、セレブ時代の回想場面を自然な流れで挿入する。ニューヨーク時代とサンフランシスコの話が交差するそのリズムがいい感じだ。映画が始まってしばらくして「欲望という名の電車」のオマージュだな?ということに気づく。実にいやな女だ。
そもそも予想外の収入があったジンジャー夫妻に投資を勧めたのはジャスミン夫妻である。投資の失敗がもとでジンジャー夫妻は離婚してジンジャーはサンフランシスコで息子2人と暮らしているという構図だ。迷惑をかけた妹のところへ転がり込むという姉もずうずうしいを通り越している。しかも、自分の過去の栄光を引きづって妄想にふけっている。「サンセット大通り」のグロリア・スワンソンのようにも見える。ましてや国務省のエリートに出会ってもウソつき放題だ。でもこんな人って日本人にもいるかもしれない。
1.サンフランシスコ
ロスアンジェルスと比較すると、映画の舞台になるケースは少ない。しかし、この街の地形は映画との相性がいい。ヒッチコックの「めまい」も「鳥」の舞台もサンフランシスコだ。クリントイーストウッドの「ダーティハリー」のキャラハン刑事はサンフランシスコ警察である。スティーブ・マックイーンが全速力でサンフランシスコの坂道を運転する「ブリット」も地形の特性をうまく生かした映像だ。
自分は1回サンフランシスコに行ったことがあるが、何度も行ったような錯覚を受けることがある。今あげた4つの作品を見れば、古い映画だけどこの町のことがよくわかる。あとはオーソンウェルズの「上海から来た女」でチャイナタウンに逃げ込むシーンが出てくる「ブルージャスミン」でも一部チャイナタウンが映されるが、ここまでおさえてショーンペンの「ミルク」を見れば完ぺきだろう。
2.サリーホーキンス(ここからネタばれあり)
社会の底辺というわけではないが、一般的アメリカの労働者階級の女性を演じる。アカデミー賞の助演女優賞の候補になったのがうなづける巧さを発揮している。
セレブのジャスミンはイヤな女だが、サリー演じるジンジャーは男に頼って生きているよくいるずるい女だ。離婚した夫に金のことで愛想を尽かしたと思ったら、すぐさまシスコで修理工と仲良くなる。でもパーティでサウンドクリエーターと知り合ったら、すぐパカパカやりまくる。その男が所帯持ちだとわかると、一旦は捨てた修理工に逆戻りだ。こういう女は多いよね。ウディはジャスミンだけでなく一般階級のジンジャーのずるさも見逃していない。
3.ケイトブランシェット
シャネルの服がよく似合う。イヤな女を演じているけど、容姿だけをみているとこの映画のケイトはきれいだ。彼女の映画の感想はかなりアップしてきたが、演技としては「ハンナ」「あるスキャンダルの覚書」がいい感じだと自分は思う。「ハンナ」の悪役ぶりを見て、こういう路線に進むのかと思ったらイヤな女を演じてしまった。どれもこれもうまいけどね。
4.内田樹「映画の構造分析」
この映画をみて、内田樹の本を真っ先に連想した。彼はこう書く「ハリウッド映画がその全史を通じて強烈な女性嫌悪にドライブされているということについては深い確信を有している。これほど激しく女性を嫌い、呪い、その排除と死を願っている性文化を私は他に知らない。」なるほど
ここでジャスミンとジンジャーの2人を使って、イヤな女というのをウディは描いている。2人の女に愛想を尽かしたウディの苦笑いが見えるようだ。
最後のオチには笑えた。すべての転落の始まりは自分がまねいていたのだ。
こういう女っているよね。