黒澤明監督の昭和35年公開の現代劇映画である。
最後の壮絶な事故のことが記憶に残っていたが、詳細は忘れていた。ものすごく後味が悪い映画だという印象が強かった。久しぶりに見た。汚職の構造にメスを入れたストーリーで、社会派っぽい作品は水爆を取り上げた「生きものの記録」に続くものだ。森雅之の演技が冴える。ある意味「羅生門」の三船への復讐戦だ。
日本未利用土地開発公団の副総裁(森雅之)の娘(香川京子)と、副総裁秘書(三船敏郎)の結婚式の場面からスタートする。政財界の名士を集めた披露宴が始まろうとする時、公団の課長補佐(藤原釜足)が、警察に連れ去られた。
取材に押しかけた新聞記者たちは公団と建設会社の癒着に注目する。五年前、一人の課長補佐が自殺してうやむやとなった不正入札事件があった。現公団の副総裁と管理部長(志村喬)、契約課長(西村晃)が関係したという噂があった。運ばれたウェディング・ケーキは汚職の舞台となった建物の型をしていた。しかも、自殺者が飛び降りた七階の窓には、真赤なバラが一輪突きささっていた。その頃、検察当局には差出人不明の密告状が連日のように舞いこんでいた。そのため、開発公団と建設会社の多額の贈収賄事件も摘発寸前にあった。だが、証拠不足で逮捕した課長補佐藤原や建設会社の経理担当は釈放された。
しかし、建設会社の経理担当は拘置所の門前で、トラックに身を投げ出して自殺、公団の課長補佐も行方不明となった。課長補佐は開発予定地である火口から身を投げようとしたところを秘書三船が助けた。しかし、遺書が見つかり翌日の新聞は、課長補佐の自殺を報じた。三船は副総裁秘書で娘婿でありながら、課長補佐をかくまい汚職疑惑に対抗しているようだが。。。。
そして、官財の癒着にメスを入れる話が、憎しみと復讐の話に変わっていく。
黒澤の現代劇は、世相の風俗が映像にとりいれられることが多いが、この映画はさほどでもない。
脚本はかなり練られて計算されている印象である。官民の癒着話はむしろ昭和40年代になってから取り上げられることが多くなってきたのではないか?まだこのころは戦後の体制がきっちり整ってきたわけでもなく、現在のような高度な情報社会でもないので裏金もずいぶんと動いていたであろう。同時に人を始末するために、手荒いことを裏の人たちに依頼する風土も残っていた印象である。これは怖い。
ネタばれスレスレになるが、最後の壮絶な事故の場面ばかりが印象に残っていた。こういう残忍なやり口がまだまだ行われていたのかもしれない。そういえば、いわゆる60年安保の年であるが、警察による警備をカバーするために、やくざ系の人もかなり雇われていたと聞く。まさに先日見た韓国映画の「息もできない」の主人公のような話である。
この間高峰秀子主演「女が階段を上る時」を見た。同じ年の映画である。そこにも森雅之が出演していた。銀行の支店長を好演していたが、ここではその10歳以上上の公団の副総裁役を老けたメイクで演じている。実にうまい。もともと有島武郎の子で血統もよく、ちょっとだらしないインテリ系の役をやらせると抜群にうまい。市川昆の代表作「おとうと」などもこの年で彼はのっていたのかもしれない。
三船敏郎はいつも通りどすの利いた声で迫力ある演技、志村喬はここでは普通かな?のちの黄門さま西村晃もこのころは悪役ばかりだが、いい感じだ。山茶花究も実にうまい。青大将やる前の田中邦衛が殺し屋をやっているのが御愛嬌だ。
後味の悪さは残ってしまうのはどうしてもしかたないなあ。
最後の壮絶な事故のことが記憶に残っていたが、詳細は忘れていた。ものすごく後味が悪い映画だという印象が強かった。久しぶりに見た。汚職の構造にメスを入れたストーリーで、社会派っぽい作品は水爆を取り上げた「生きものの記録」に続くものだ。森雅之の演技が冴える。ある意味「羅生門」の三船への復讐戦だ。
日本未利用土地開発公団の副総裁(森雅之)の娘(香川京子)と、副総裁秘書(三船敏郎)の結婚式の場面からスタートする。政財界の名士を集めた披露宴が始まろうとする時、公団の課長補佐(藤原釜足)が、警察に連れ去られた。
取材に押しかけた新聞記者たちは公団と建設会社の癒着に注目する。五年前、一人の課長補佐が自殺してうやむやとなった不正入札事件があった。現公団の副総裁と管理部長(志村喬)、契約課長(西村晃)が関係したという噂があった。運ばれたウェディング・ケーキは汚職の舞台となった建物の型をしていた。しかも、自殺者が飛び降りた七階の窓には、真赤なバラが一輪突きささっていた。その頃、検察当局には差出人不明の密告状が連日のように舞いこんでいた。そのため、開発公団と建設会社の多額の贈収賄事件も摘発寸前にあった。だが、証拠不足で逮捕した課長補佐藤原や建設会社の経理担当は釈放された。
しかし、建設会社の経理担当は拘置所の門前で、トラックに身を投げ出して自殺、公団の課長補佐も行方不明となった。課長補佐は開発予定地である火口から身を投げようとしたところを秘書三船が助けた。しかし、遺書が見つかり翌日の新聞は、課長補佐の自殺を報じた。三船は副総裁秘書で娘婿でありながら、課長補佐をかくまい汚職疑惑に対抗しているようだが。。。。
そして、官財の癒着にメスを入れる話が、憎しみと復讐の話に変わっていく。
黒澤の現代劇は、世相の風俗が映像にとりいれられることが多いが、この映画はさほどでもない。
脚本はかなり練られて計算されている印象である。官民の癒着話はむしろ昭和40年代になってから取り上げられることが多くなってきたのではないか?まだこのころは戦後の体制がきっちり整ってきたわけでもなく、現在のような高度な情報社会でもないので裏金もずいぶんと動いていたであろう。同時に人を始末するために、手荒いことを裏の人たちに依頼する風土も残っていた印象である。これは怖い。
ネタばれスレスレになるが、最後の壮絶な事故の場面ばかりが印象に残っていた。こういう残忍なやり口がまだまだ行われていたのかもしれない。そういえば、いわゆる60年安保の年であるが、警察による警備をカバーするために、やくざ系の人もかなり雇われていたと聞く。まさに先日見た韓国映画の「息もできない」の主人公のような話である。
この間高峰秀子主演「女が階段を上る時」を見た。同じ年の映画である。そこにも森雅之が出演していた。銀行の支店長を好演していたが、ここではその10歳以上上の公団の副総裁役を老けたメイクで演じている。実にうまい。もともと有島武郎の子で血統もよく、ちょっとだらしないインテリ系の役をやらせると抜群にうまい。市川昆の代表作「おとうと」などもこの年で彼はのっていたのかもしれない。
三船敏郎はいつも通りどすの利いた声で迫力ある演技、志村喬はここでは普通かな?のちの黄門さま西村晃もこのころは悪役ばかりだが、いい感じだ。山茶花究も実にうまい。青大将やる前の田中邦衛が殺し屋をやっているのが御愛嬌だ。
後味の悪さは残ってしまうのはどうしてもしかたないなあ。
それが、彼の父親黒澤勇氏のクビの事情を知って謎が解けました。勇氏は、日本体育大学の母体の日本体育会の創立者の一人だったのですが、大正博覧会への出展赤字の責任を取らされて大正6年にクビになってしまいます。
この時、同氏と共に同会総裁であった閑院宮家の家令が警視庁の取調を受けているのです。よくわかりませんが、例えば宮家の財政赤字を押付けられたと言った事情があったのではと思うのです。偉い人の責任を下が取らされるという不条理さ。
これが、この映画のヒントではないかと思うようになりましたが、いかがでしょうか。
この映画を最初に見た時、最後の結末に恐れのようなものを感じました。全然ハッピーエンドではありません。映像にはないですが、主人公をとんでもない目にあわすというのを、想像しただけで気持ちが悪くなりました。
希望のようなものが全くなく、終わってしまうのはつらいです。でも逆に強い印象が残りました。この当時は裏の世界が今よりも残っていて、都合が悪いと反体制の力で人を始末してしまうなんてことが今よりもあったのかもしれないのでしょう。
>それが、彼の父親黒澤勇氏のクビの事情を知って謎が解けました。勇氏は、日本体育大学の母体の日本体育会の創立者の一人だったのですが、大正博覧会への出展赤字の責任を取らされて大正6年にクビになってしまいます。
黒澤監督の父上が軍人で、のちに日本体育会の理事となり、昔の荏原中学(今の日体荏原高校)に携わっていたことは知っていました。(過去に読んだ本で、父上は陸軍士官学校一期と書いているものもあれば、陸軍戸山学校出身と書いてあるもの両方あってどっちかな?と思っていました。退役後の行き先からして、戸山学校の気がしますが)ただ、クビの事情は知りませんでした。
>同氏と共に同会総裁であった閑院宮家の家令が警視庁の取調を受けているのです。よくわかりませんが、例えば宮家の財政赤字を押付けられたと言った事情があったのではと思うのです。
これは凄い話ですね。いくら軍天下りの団体理事であっても、宮家が絡むとややこしいですね。これで、家を転居したわけですから、黒澤明の頭にこびりついても不思議でない気もします。