吉村公三郎監督の「我が生涯のかゞやける日」は昭和23年(1948年)の松竹映画、名画座の森雅之特集の中でも気になっていた作品である。機会がなく見れなかった作品で、山口淑子がヒロインとなる。
軍の急進派将校に殺された終戦受託派の政界大物の娘が、落ちぶれて銀座のキャバレーに職を求める。そこの用心棒は父親を殺した元軍人だったが、図らずも恋に落ちていくという顛末である。
森雅之はこの当時37才、戦後のドサクサの中きわどい仕事で生計を立てる男を演じる。クスリ中毒の禁断症状がでている。その後「羅生門」で共演する「酔いどれ天使」の三船敏郎も連想してしまう。似たような人種だ。むしろここでは、対する山口淑子のきわどいパフォーマンスが見ものである。お嬢様がキャバレーの女給になれ下がって、底辺で生き延びていこうとする姿を巧みに演じる。
昭和20年8月14日,ポツダム宣言受託の方針が決まった後で、終戦締結派の政治家戸田の自宅を陸軍急進派の将校沼崎(森雅之)が襲う。いきなり戸田を拳銃で撃っているところに、娘の節子(山口淑子)が現れる。節子は持っていた短刀で沼崎を刺すが、将校はそのまま逃げていく。
昭和23年の銀座、裏社会の顔役佐川(滝沢修)は愛国新聞という新聞社を経営すると同時にキャバレーを経営していた。そこの用心棒として、沼崎が働いていたが、クスリ中毒になっていた。佐川には情婦(逢初夢子)がいたが、新入のホステス(山口淑子)が気に入り、沼崎に縁を取り持つように指示していた。節子は利かん気が強い女で、佐川の思い通りには簡単にはいかない。それでも、元検事の兄平林(清水将夫)を雇ってくれるならという条件を出して佐川の情婦となる。
それでも、なかなか言うことを聞かない強情な節子の気を紛らわそうと沼崎が試みているうちに、節子が終戦直前に父親を殺した男を探していることがわかる。そして、あの時自分を刺した女が節子だと気づくのであるが、黙っていた。襲ったときは暗かったので気づかないのだ。気がつくと、親分の情婦でありながら、沼崎は逆に近づいていく。
そのキャバレーに1人の脚の悪い新聞記者高倉(宇野重吉)が入ってきた。高倉は沼崎の旧友だった。高倉はいずれ佐川のところに手入れが入るのではと探りに来ているようだった。佐川はいくらか記者に金を渡して、引き取ってもらうようにと平林に頼む。高倉と平林の二人は互いに見憶えがあった。平林は検事時代、自由主義者の高倉を取調べる際に拷問で苦しめていたのだ。ここで一つの葛藤が生まれるのであるが。。。
⒈山口淑子
自分はこの時期の山口淑子では昭和25年の池部良共演の「暁の脱走」、昭和26年の三船敏郎共演の「醜聞」の両方を見ている。終戦後、危うく中国の非国民として罰せられそうになるのを危うく逃れてからまだ2年しか経っていない。
やがて、参議院議員とまでなる山口淑子であるが、戦前の李香蘭から日本人女優としての変貌を遂げようとする頃の作品だ。森雅之とのディープキスが当時話題になったと言う。米国の女優並みになかなか情熱的だ。「暁の脱走」での池部良へのエロい色目づかいを思い出す。
元々は家柄のいいお嬢様なのにあっという間に没落している。先輩ホステスにはむかって取っ組み合いをするシーンが場末の落ちぶれた酒場の女の争いだ。眼光も鋭く山口淑子のキャラからするとちょっと意外。
⒉劇団民藝と滝沢修の怪演
映画会社の専属俳優出演協定がある中で、劇団民藝や文学座などの俳優は昭和40年代くらいまでの戦後の映画にとっては主演というよりも脇役で欠くことができない存在だと思う。それに加えて、戦後映画の名脇役というべき三井弘次、殿山泰司といったメンバーも佐川の子分役で出ている。殿山泰司の髪の毛が黒くふさふさしているのが印象的だ。
ここでは、滝沢修、宇野重吉という民藝の主力俳優が出演している。左翼系俳優が揃い、新藤兼人が戦後民主主義をクローズアップさせる脚本を書く。怪演というべきは滝沢修である。大学教授や政財界の大物などを演じることの多いが、ここでは裏社会のボスである。これは珍しい。背中に刺青で顔に刺し傷の痕、軽いメイクをしたその顔を見て、プロレスのユセフトルコに似ているので、一瞬外国人かと思い、滝沢とはわからなかった。
⒊戦後民主主義と新聞
宇野重吉は戦前は民主派の活動家で現在は新聞記者という役柄がよく似合う。「人民」なんてアカっぽいセリフも主に宇野にしゃべらせる。この当時の方が日本の知識を形成する鋳物の型を作るという意味で新聞記者というのが知識人の象徴であろう。でも、自分を迫害する検事と対決するなんて話はちょっと大げさかな?
軍の急進派将校に殺された終戦受託派の政界大物の娘が、落ちぶれて銀座のキャバレーに職を求める。そこの用心棒は父親を殺した元軍人だったが、図らずも恋に落ちていくという顛末である。
森雅之はこの当時37才、戦後のドサクサの中きわどい仕事で生計を立てる男を演じる。クスリ中毒の禁断症状がでている。その後「羅生門」で共演する「酔いどれ天使」の三船敏郎も連想してしまう。似たような人種だ。むしろここでは、対する山口淑子のきわどいパフォーマンスが見ものである。お嬢様がキャバレーの女給になれ下がって、底辺で生き延びていこうとする姿を巧みに演じる。
昭和20年8月14日,ポツダム宣言受託の方針が決まった後で、終戦締結派の政治家戸田の自宅を陸軍急進派の将校沼崎(森雅之)が襲う。いきなり戸田を拳銃で撃っているところに、娘の節子(山口淑子)が現れる。節子は持っていた短刀で沼崎を刺すが、将校はそのまま逃げていく。
昭和23年の銀座、裏社会の顔役佐川(滝沢修)は愛国新聞という新聞社を経営すると同時にキャバレーを経営していた。そこの用心棒として、沼崎が働いていたが、クスリ中毒になっていた。佐川には情婦(逢初夢子)がいたが、新入のホステス(山口淑子)が気に入り、沼崎に縁を取り持つように指示していた。節子は利かん気が強い女で、佐川の思い通りには簡単にはいかない。それでも、元検事の兄平林(清水将夫)を雇ってくれるならという条件を出して佐川の情婦となる。
それでも、なかなか言うことを聞かない強情な節子の気を紛らわそうと沼崎が試みているうちに、節子が終戦直前に父親を殺した男を探していることがわかる。そして、あの時自分を刺した女が節子だと気づくのであるが、黙っていた。襲ったときは暗かったので気づかないのだ。気がつくと、親分の情婦でありながら、沼崎は逆に近づいていく。
そのキャバレーに1人の脚の悪い新聞記者高倉(宇野重吉)が入ってきた。高倉は沼崎の旧友だった。高倉はいずれ佐川のところに手入れが入るのではと探りに来ているようだった。佐川はいくらか記者に金を渡して、引き取ってもらうようにと平林に頼む。高倉と平林の二人は互いに見憶えがあった。平林は検事時代、自由主義者の高倉を取調べる際に拷問で苦しめていたのだ。ここで一つの葛藤が生まれるのであるが。。。
⒈山口淑子
自分はこの時期の山口淑子では昭和25年の池部良共演の「暁の脱走」、昭和26年の三船敏郎共演の「醜聞」の両方を見ている。終戦後、危うく中国の非国民として罰せられそうになるのを危うく逃れてからまだ2年しか経っていない。
やがて、参議院議員とまでなる山口淑子であるが、戦前の李香蘭から日本人女優としての変貌を遂げようとする頃の作品だ。森雅之とのディープキスが当時話題になったと言う。米国の女優並みになかなか情熱的だ。「暁の脱走」での池部良へのエロい色目づかいを思い出す。
元々は家柄のいいお嬢様なのにあっという間に没落している。先輩ホステスにはむかって取っ組み合いをするシーンが場末の落ちぶれた酒場の女の争いだ。眼光も鋭く山口淑子のキャラからするとちょっと意外。
⒉劇団民藝と滝沢修の怪演
映画会社の専属俳優出演協定がある中で、劇団民藝や文学座などの俳優は昭和40年代くらいまでの戦後の映画にとっては主演というよりも脇役で欠くことができない存在だと思う。それに加えて、戦後映画の名脇役というべき三井弘次、殿山泰司といったメンバーも佐川の子分役で出ている。殿山泰司の髪の毛が黒くふさふさしているのが印象的だ。
ここでは、滝沢修、宇野重吉という民藝の主力俳優が出演している。左翼系俳優が揃い、新藤兼人が戦後民主主義をクローズアップさせる脚本を書く。怪演というべきは滝沢修である。大学教授や政財界の大物などを演じることの多いが、ここでは裏社会のボスである。これは珍しい。背中に刺青で顔に刺し傷の痕、軽いメイクをしたその顔を見て、プロレスのユセフトルコに似ているので、一瞬外国人かと思い、滝沢とはわからなかった。
⒊戦後民主主義と新聞
宇野重吉は戦前は民主派の活動家で現在は新聞記者という役柄がよく似合う。「人民」なんてアカっぽいセリフも主に宇野にしゃべらせる。この当時の方が日本の知識を形成する鋳物の型を作るという意味で新聞記者というのが知識人の象徴であろう。でも、自分を迫害する検事と対決するなんて話はちょっと大げさかな?