paceolaさんお勧めの映画「八日目の蝉」を劇場で見てきました。
ひたすら涙の大洪水、映画が終わってハンカチを吹きながら洗面所で自分の顔を見ると目は真っ赤。カバンからティッシュを取り出してジュルジュルした鼻をかんでしまった。
誘拐犯の女性がその子を育てるという前提のみ知って、劇場に向かったが、なかなか考えさせられる映画であった。不倫相手の子供を中絶した主人公こと永作博美は、本妻こと森口瑤子が生んだ赤ん坊を盗み、逃亡する。永作博美は赤ん坊に、堕胎した子につけるはずだった薫という名前を付け、実の娘として育てる。
xy座標軸を永作博美と井上真央の2人に置きながら、z座標の時間軸を前に後ろに振る手法で映画を作り上げていく。フラッシュバックを基本にした3次元の構成は巧みだと思う。
生後4カ月の女の子を誘拐、4年間逃亡した野々宮希和子こと永作博美が逮捕されるシーンからスタートする。「なぜお母さんが。。。」と戸惑う4歳の女の子。真実の両親に会ってもピンとこない。裁判所で永作博美への論告求刑が告げられた後、永作は静かにこう述べた。「四年間、子育ての喜びを味わわせてもらったことを感謝します」傍聴席から猛烈に反発する母親こと森口瑤子だ。
妻帯者の男を好きになった永作は彼の子供を身ごもる。「今は無理だ。もう少し待ってくれ」と中絶する道を選ばせる。そのあと、男は妻と子供をつくる。永作は、夫婦の留守宅に忍び込み、赤ん坊を見つけ魅せられる。思わず抱かかえて雨の中を飛び出す。永作は子供を薫と名づけた。彼女の逃避行が始まる。カルト系集団のアジトに世話になったり、小豆島へ行ったりしたのであるが。。。。
誘拐された女の子秋山恵理菜こと井上真央は21歳の大学生となった。無神経に事件が書きたてられる中、家族は疲弊していった。誰にも心を開かないまま、井上は家を出て一人暮らしをする。井上は所帯持ちの男岸田こと劇団ひとりに好意を寄せられていた。そんな頃、恵理菜のバイト先にルポライターこと小池栄子が訪ねてくる。小池は昔の記事の切り抜きを井上に示し、あの誘拐事件を本にしたいと接触する。拒絶する井上。しかし、小池が井上を度々訪れるうちに拒絶できなくなる。そんな時、井上は自分が妊娠していることに気づく。自分の父親が永作にした行為との類似点を見いだしながら、小池に語っていくのであるが。。。。
前半では、生まれて間もない子供を置いて、外出するなんてバカな母親だ。そんなことする親だから子供をさらわれてしまうんだなんて思ったりして不愉快な始まりだった。小池栄子もうっとうしく井上真央につきまとい、これもいやらしかった。誘拐犯にさらわれた子供のころの話をさせようとするなんて、なんて嫌な奴と思っていたのであるが、あとでオチがついた。
長時間の映画で脚本、監督もどこをカットするか迷った印象のある映画だ。構成はうまいが、編集はものたりない。島の人に協力してもらうからなのかもしれないが、祭りや舞台などここまで挿入する必要はないのではないか?と見ながら思っていた。でも、そう思った後の展開には涙腺を強烈に刺激させられた。
4歳の時の記憶ってあると思う。自分に振りかえってみても、3歳後半くらいから残っている。三歳の七五三のとき、母と五反田の写真館に入った記憶がある。主人公と同じような立場になってみたら、大変なことだったろうかと思う。子役のブルーの服が、娘が小さい頃によくきていた服によく似ていたので妙に親近感をもった。演技ができるという段階ではないと思うが、赤ちゃんが妙にかわいかった。衝動的に奪い取ってしまいたい気持ちにさせられる赤ちゃんだ。
クレジットは井上真央をトップにして永作博美をラストにしているが、実質的に主演2人とするべきであろう。この二人については完ぺきだと思う。永作博美についてはここで「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の演技を絶賛したこともある。今回も狂喜迫る表情と子供への異常な母性を見事に演じた。井上真央も外に心を開かない今風の女の子を見事に演じた。うまい!適切な配役だ。
小池栄子は「接吻」で大きく変化をとげた。その実力を評価され、今回も出ていたのかと思う。もともとの小池のキャラと違う役柄を演じるとうまい。あと驚いたのは母役の森口瑤子だ。実は個人的に彼女の大ファンである。それなのに最初はわからなかった。最後にクレジットを見るまで確信が持てなかった。それだけ彼女が役に没頭しているのだと思う。ある意味CMクイーンで、幸せそうな奥さんを演じるのが得意な彼女が正反対のヒステリー女を演じる。こうも変わって見えるものなのか。女は怖い。
ひたすら涙の大洪水、映画が終わってハンカチを吹きながら洗面所で自分の顔を見ると目は真っ赤。カバンからティッシュを取り出してジュルジュルした鼻をかんでしまった。
誘拐犯の女性がその子を育てるという前提のみ知って、劇場に向かったが、なかなか考えさせられる映画であった。不倫相手の子供を中絶した主人公こと永作博美は、本妻こと森口瑤子が生んだ赤ん坊を盗み、逃亡する。永作博美は赤ん坊に、堕胎した子につけるはずだった薫という名前を付け、実の娘として育てる。
xy座標軸を永作博美と井上真央の2人に置きながら、z座標の時間軸を前に後ろに振る手法で映画を作り上げていく。フラッシュバックを基本にした3次元の構成は巧みだと思う。
生後4カ月の女の子を誘拐、4年間逃亡した野々宮希和子こと永作博美が逮捕されるシーンからスタートする。「なぜお母さんが。。。」と戸惑う4歳の女の子。真実の両親に会ってもピンとこない。裁判所で永作博美への論告求刑が告げられた後、永作は静かにこう述べた。「四年間、子育ての喜びを味わわせてもらったことを感謝します」傍聴席から猛烈に反発する母親こと森口瑤子だ。
妻帯者の男を好きになった永作は彼の子供を身ごもる。「今は無理だ。もう少し待ってくれ」と中絶する道を選ばせる。そのあと、男は妻と子供をつくる。永作は、夫婦の留守宅に忍び込み、赤ん坊を見つけ魅せられる。思わず抱かかえて雨の中を飛び出す。永作は子供を薫と名づけた。彼女の逃避行が始まる。カルト系集団のアジトに世話になったり、小豆島へ行ったりしたのであるが。。。。
誘拐された女の子秋山恵理菜こと井上真央は21歳の大学生となった。無神経に事件が書きたてられる中、家族は疲弊していった。誰にも心を開かないまま、井上は家を出て一人暮らしをする。井上は所帯持ちの男岸田こと劇団ひとりに好意を寄せられていた。そんな頃、恵理菜のバイト先にルポライターこと小池栄子が訪ねてくる。小池は昔の記事の切り抜きを井上に示し、あの誘拐事件を本にしたいと接触する。拒絶する井上。しかし、小池が井上を度々訪れるうちに拒絶できなくなる。そんな時、井上は自分が妊娠していることに気づく。自分の父親が永作にした行為との類似点を見いだしながら、小池に語っていくのであるが。。。。
前半では、生まれて間もない子供を置いて、外出するなんてバカな母親だ。そんなことする親だから子供をさらわれてしまうんだなんて思ったりして不愉快な始まりだった。小池栄子もうっとうしく井上真央につきまとい、これもいやらしかった。誘拐犯にさらわれた子供のころの話をさせようとするなんて、なんて嫌な奴と思っていたのであるが、あとでオチがついた。
長時間の映画で脚本、監督もどこをカットするか迷った印象のある映画だ。構成はうまいが、編集はものたりない。島の人に協力してもらうからなのかもしれないが、祭りや舞台などここまで挿入する必要はないのではないか?と見ながら思っていた。でも、そう思った後の展開には涙腺を強烈に刺激させられた。
4歳の時の記憶ってあると思う。自分に振りかえってみても、3歳後半くらいから残っている。三歳の七五三のとき、母と五反田の写真館に入った記憶がある。主人公と同じような立場になってみたら、大変なことだったろうかと思う。子役のブルーの服が、娘が小さい頃によくきていた服によく似ていたので妙に親近感をもった。演技ができるという段階ではないと思うが、赤ちゃんが妙にかわいかった。衝動的に奪い取ってしまいたい気持ちにさせられる赤ちゃんだ。
クレジットは井上真央をトップにして永作博美をラストにしているが、実質的に主演2人とするべきであろう。この二人については完ぺきだと思う。永作博美についてはここで「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の演技を絶賛したこともある。今回も狂喜迫る表情と子供への異常な母性を見事に演じた。井上真央も外に心を開かない今風の女の子を見事に演じた。うまい!適切な配役だ。
小池栄子は「接吻」で大きく変化をとげた。その実力を評価され、今回も出ていたのかと思う。もともとの小池のキャラと違う役柄を演じるとうまい。あと驚いたのは母役の森口瑤子だ。実は個人的に彼女の大ファンである。それなのに最初はわからなかった。最後にクレジットを見るまで確信が持てなかった。それだけ彼女が役に没頭しているのだと思う。ある意味CMクイーンで、幸せそうな奥さんを演じるのが得意な彼女が正反対のヒステリー女を演じる。こうも変わって見えるものなのか。女は怖い。
そしてまた、UPをそのままキャッチさせて頂いた様で カンゲキしています。
涙腺大解放でございましたか・・
わたしはwangchaiさんを紳士的生活を送られるビジネスマンとして尊敬を捧げます。
けさ、Yahooニュースにシュワ氏の離婚の原因が報道されていましたが・・殿方というものは仕方の無いサガを背負って生まれてきていると言う事を
この映画からも痛感いたしました。
これを観て素直に涙が流せる殿方は危険な人物ではないと私は判定?させて頂きたいです。
遊びのつもりでいた女性から妊娠を告げられ 堕胎させたかと安心していたらこんな事件に発展してしまった・・という一種の不倫に警鐘を鳴らす様な映画でもあるかと・・・。
夫としても影がうすく、父親としても情けない設定
アルバイトをつないで生活している娘に差し出した小遣い
・・最終的に引っ込めて帰る父親なのですが
手の中に押し込む様に渡した映像に仕上げても
この薄い封筒に収まるぐらいのことで親の務めを果たした気になっているとの薄情さしか伝わらない。
父親役の俳優も失礼なことに 私は存じない役者さんで このあたりにも監督の意向を感じました。
私は・・泣かなかったんですよ。
泣けなかった・・というのが正しいかも?
子育ての経験があるなら入園するまで何度もある健診や各種予防接種、あんな小さな町なら保健婦が自宅を訪問する様な時代でもあります。これらを踏まえるとフィクションを越えて楽しめなかったです。
でも、最後の食事をしていない気遣いのセリフにグッとこみ上げるものはありました。ですが、誘拐して自分勝手に育てた3年半があるのだからそんな事
ぐらい気にかけるのは別に感動することじゃないと・・浮かんだ涙はこぼれることはありませんでした。
妻の敵のような生き様に感動なんてしてタマルカ!
って 意地を持って観ていたのかも知れませんね。
森口瑶子さんお好きなんですか・・・。
ヒステリックな妻に母 好演でしたね。
取り戻せない時間に苦しむつらい日々は沈痛でした自分にふりかかってもとてもやりきれない
いい話でないフィクションでつらい気持ちばかりが残る映画ではありました。
お時間割いて劇場にお出かけくださりありがとうございました。
自分がここで取り上げた俳優もすべて女性で、確かに男性の影が薄い映画でしたね。作者が女性だけに女性目線でつくられているのかなといった印象は私も受けました。
この映画をみて、「男性」として感じることはあったのですが、あえてコメントは控えました。人生も後半戦に入り、自分および自分のまわりであったいろんなことと結び付けられました。でもその話はやめておきます。
ただ、こういうときの男性はすべてを都合のよいようにしか考えていないもので、このまま永遠にうまくいくものだと考えてしまうんですね。日経新聞連載の「私の履歴書」有馬稲子さんのときに、彼女が不倫相手のI監督をいかにもそれとわかるように書いていました。中絶させた後も執拗に追いかけ、結婚した後も付きまとう監督をこけおろしていました。不思議なもので、男性は永遠にうまくいくものだと思っている典型の話だと思いました。
男性目線の話は個別であればもっと話すのですが、このくらいにしておきます。
あと書かなかったことで、彼女が子供を連れ去った後、ラブホテルまがいのところに逃げて、夜泣きやまない子供に難儀する場面を見て、娘の小さい時を思い出しました。難産で娘が生まれたので、一か月近く入院することになって家に帰ってきた夜に大泣きした日のこと。初めて子供を連れて旅行に連れて行った日夜ずっと泣きやまなかったことを思い出しました。
環境が急に変わったということが赤ちゃんにわかるのか?妙に環境が違ったときに変化する赤ちゃんに驚いたことを思い出しました。
私の場合、なぜ泣いたのか?といわれたら返答できません。ただ、ひたすら涙が出てきました。写真館の設定に、急に自分の想い出にラップする場面があったのかもしれません。
この映画見てください。とおっしゃっていただいたこと感謝します。
映画のシーンの中で
自分の人生もパッチワークの一部みたいに散りばめられていたかと思える時 ありますよね。
そこをみせられた時 理由なく心は揺さぶられてしまいます。
そして たまには解き放って涙を流すこともこのストレス社会を上手に生き抜くコツと言う意見もあるようです。
ここからはタイトルにつながるツマラナイ話なのですが・・・
永作扮する希和子がなぞの集団生活から抜け出して小豆島へ渡った際に提げていた紙袋。
岡山に本店がある天満屋デパートのものなんですけど岡山、広島、香川近県の方々はあの場面で親近感を覚えた方が少なくないかと・・
三越や高島屋のような圧倒的な認知度もありませんしあこがれ?の眼差しもそう向けられはしない様にもわたしは・・・思います。
E.YAZAWA出身の地に住むわたくし
あの場面で思わず目がとまって『・・まぁ』って思ったんですよ。映画の感想を交わす掲示板に書き込みましたら何件か賛同頂いたもので・・
関東のwangchaiさんにちょっとお伝えしたくなりました。
訳は言えないんですが、ある理由があって「てんまや」さんの名前はよく知っています。岡山の老舗ですよね。そういえば、長距離走の選手で有名な人もいましたよね。袋のことはさすがに気がつきませんでした。
岡山には2回ほど行ったことがあります。いずれも関西勤務だったころの社内旅行です。そのうち一回は高松にも行きました。屋島や舞台になった小豆島もまわりました。高松市内の公園が印象的だったです。
昨日は会社の関連会社との飲み会で、それが終わって部下と二人で飲んでから帰ったのですが、彼はyazawaと同郷です。今日コメントを見ながら、不思議なご縁を感じました。
この映画について語る内、わたしのなかでの
wangchaiさん像に深みが加わりました。良くもなんとかも・・??
さて、yazawa brain ヒドイです!
今年のツアー日程が先日発表されましたが広島公演の予定がありません。
四国は高知で開催されるだけで中国地方は一切ナシ!
大阪城ホール2日がいつもの土日と福岡が勤労感謝の日の祝日があてられておりこのいずれかにいらっしゃいという事なんでしょう。
昨年精力的にツアーしてまわられたので体力の温存か?さらに来年会場に呼び込むためのショック療法なのか?・・または熱いファンだけに見せたいという意向なのか・・
一部、経済が活性化に向かいます!?
6月の先行申し込みまでにどの会場にするか決めなければなりません。半年も先のこと、本音を言えば決めにくいです。一公演みた後で本丸参戦(武道館)したくなるかも知れませんしね。
いつかどこかでお目にかかれることが、もしも有るならこの【八日目の蝉】でのコメントに書かれなかった部分について語り合ってみたいですね・・・《訳は言えないてんまやさん》なんて少々ミステリーがかっていてそこから物語生まれそうですもの・・Ahahaha
それにしても中国地方に行かないのはひどいですね。もう故郷に錦と言ったわけではないでしょうけどね。
ちなみに自分はYAZAWAの故郷には全然ご縁がありません。そう思っていたら転勤しちゃったりしてね。