映画「ローマでアモーレ」はウディアレンの新作だ。早速劇場に見に行った。
といっても欧米での公開は2012年の夏、一年遅れとはずいぶんと遅い公開だ。
今回は最近のウディアレン監督作品よりもコメディ的な色彩が強い。
しかも、久々に出演者として御大登場だ。
年老いてしまったが、まだまだ創作意欲の強い御大には恐れ入る。
欧米の超豪華俳優を仕切りながら美しいローマを背景にがんばる。
ロンドン、バルセロナ、パリと年老いてからのウディは海外で自分の余生を楽しんでいるように思える。
名作「ローマの休日」もローマ観光案内の様相を呈していたが、ここではそれ以上に名所を紹介し、しかも色づいた映像が美しい。
ウディの毎度の早口言葉は、さすがに年老いて少し衰えを感じる。
その分登場人物に早口の男をそろえる。
ソーシャルネットワークでフェイスブックのザッカーバーグを演じたジェシー・アイゼンバーグ、「ライフイズビューティフル」のロベルト・ベニーニはいずれも早口だ。
早口言葉をしゃべる男の台詞にはウディアレンの思いが隠されているのはいつも通りだ。
それに加えて花を添えるペネロペ・クルスもボリューム感たっぷりのバディでゾクゾクさせてくれる。
4つのエピソードから出来ている。
1番目のエピソード。
ニューヨークからローマに観光でやってきた若い女性へイリー(アリソン・ピル)は、通りかかった若者ミケランジェロ(フラヴィオ・パレンティ)に、スペイン広場への道を尋ねる。そんなきっかけでふたりは恋に落ち、婚約する。
娘のヘイリーに会うために、元オペラの演出家で父親のジェリー(ウディ・アレン)と、母親フィリス(ジュディ・デイヴィス)がローマにやってくる。 ジェリーとフィリスは、ミケランジェロの家を訪ねる。ミケランジェロの父親ジャンカルロ(ファビオ・アルミリアート)は葬儀屋を営む一方、オペラを唄うのが好きだ。招待された自宅でジャンカルロがシャワーを浴びながら歌うのを聞くと、すばらしいテノールだ。これを聴いたジェリーは、人間は風呂を浴びているときが一番くつろいでいることに気づき名案を思いつく。
このバカげた発想がニクイ。男性テノールの独奏会をやるときに、シャワー浴びながら歌うのだ。しかも、オペラの一シーンを演じる時も同じようにシャワー浴びながら歌わせる。これは笑うしかない。
2番目のエピソード。
若いカップルアントニオ(アレッサンドロ・ティベリ)とミリー(アレッサンドロ・マストロナルディ)がローマ、テルミニ駅に到着する。ローマでの仕事を紹介してもらうべく、ふたりの泊まるホテルに、アントニオの親戚が訪ねてくることになっている。ミリーが美容院に出かける。アントニオの部屋に、大胆な服装を着飾るアンナ(ペネロペ・クルス)が入ってくる。どうやら、部屋を間違えたらしい。そこに親戚がやってくる。アントニオはあわてて、妻のミリーだと、親戚に紹介してしまう。
美容院が見つからないミリーは、映画の撮影現場に出くわす。ひいきの俳優サルタ(アントニオ・アルバネーゼ)がいる。速攻でミリーをランチに誘う。そのレストランで、夫のアントニオたちのグループとあってしまう。
ミリーを演じるアレッサンドロ・マストロナルディはなかなかの美形である。俳優サルタは単なるハゲオヤジだ。そんな男を一流のプレイボーイにして絡むやり取りも笑える。
加えて娼婦アンナのペネロペ・クルスの存在感が凄い。普段はここまでボリュームを感じないが、ここでは往年のソフィアローレンを思わせるダイナミックなバディで世の男性をわくわくさせる。上流のパーティに参加した時に、至る所で政財界の大物に次から次へと「アンナ」と声を掛けられる。「アンナ」でなく「ミリー」よとオジサン達に言う。次から次へと「明日は来れないか」と誘われるシーンも面白い。
3番目のエピソード。有名なアメリカの建築家ジョン(アレック・ボールドウィン)は、30年前に住んでいた界隈を散歩している。若いアメリカ人男性で、建築家志望のジャック(ジェシー・アイゼンバーグ)が、ジョンを見て話しかける。「ジョンさんでは」と。ジャックは、かつてこの近くに住んでいたというジョンを、家に招く。同居しているサリー(グレタ・ガーウィグ)とジャックを見て、ジョンは30年前の自分と重ね合わせる。
そこに、サリーの親友で、女優志願のモニカ(エレン・ペイジ)がやってくる。やがて、ジャックは、モニカに魅せられていく。ジョンは、過去の経験から、ジャックに「やめておけ、その女は嘘つきだ」と忠告するが。。。。
アレック・ボールドウィンのここでのセリフはいかにもウディのセリフである。イメージの違う2人だが、ウディが思っていることを代弁させる。教養人のふりをしている男女を痛烈に批判する最近のウディ映画でよくあるパターンだ。
4番目のエピソード。平凡な中年男レオポルド(ロベルト・ベニーニ)は、妻と子供がふたりで、つましく暮らしている。ある日、突然、たくさんの取材陣に取り囲まれて、テレビ局に連れて行かれる。ニュース番組のインタビューで朝食は何を食べたのか聞かれる。「トーストふた切れ、カフェラテも」と答えるレオポルド。なぜか、たちまち有名人になったレオポルドは、町を歩けばサインを頼まれし、まるでセレブのような生活を送ることになるが。。。
映画を見ていて、何でこの男マスコミの取材をされるんだろう。肝心な場面を見落としてしまったのかと一瞬錯覚してしまう。そうではない。訳もわからず、有名人になってしまうのである。ファッションモデルや女優までが次から次へと寄ってくる。それもボリュームたっぷりのイタリア美人だ。
戸惑っている彼もまんざらじゃなさそう。そういう日々が続いた後に、別の男にマスコミのターゲットが移る。そして誰にも注目されないようになる。そこからがおもしろい。ロベルト・ベニーニが有名人だった自分を売り込むかがごとく、街でパフォーマンスをする。この演技はさすがロベルト・ベニーニというべき凄いシーンだ。高いレベルの演技に驚く。勝間和代女史の「有名人になること」を連想した。
4つのエピソードを一つにまとめるわけではない。別々の4つのストーリーの中にウディアレンのコメディアイディアが充満されている。1つの映画としての完成度が高いというよりもウディアレンの才能を楽しむ映画だろう。
といっても欧米での公開は2012年の夏、一年遅れとはずいぶんと遅い公開だ。
今回は最近のウディアレン監督作品よりもコメディ的な色彩が強い。
しかも、久々に出演者として御大登場だ。
年老いてしまったが、まだまだ創作意欲の強い御大には恐れ入る。
欧米の超豪華俳優を仕切りながら美しいローマを背景にがんばる。
ロンドン、バルセロナ、パリと年老いてからのウディは海外で自分の余生を楽しんでいるように思える。
名作「ローマの休日」もローマ観光案内の様相を呈していたが、ここではそれ以上に名所を紹介し、しかも色づいた映像が美しい。
ウディの毎度の早口言葉は、さすがに年老いて少し衰えを感じる。
その分登場人物に早口の男をそろえる。
ソーシャルネットワークでフェイスブックのザッカーバーグを演じたジェシー・アイゼンバーグ、「ライフイズビューティフル」のロベルト・ベニーニはいずれも早口だ。
早口言葉をしゃべる男の台詞にはウディアレンの思いが隠されているのはいつも通りだ。
それに加えて花を添えるペネロペ・クルスもボリューム感たっぷりのバディでゾクゾクさせてくれる。
4つのエピソードから出来ている。
1番目のエピソード。
ニューヨークからローマに観光でやってきた若い女性へイリー(アリソン・ピル)は、通りかかった若者ミケランジェロ(フラヴィオ・パレンティ)に、スペイン広場への道を尋ねる。そんなきっかけでふたりは恋に落ち、婚約する。
娘のヘイリーに会うために、元オペラの演出家で父親のジェリー(ウディ・アレン)と、母親フィリス(ジュディ・デイヴィス)がローマにやってくる。 ジェリーとフィリスは、ミケランジェロの家を訪ねる。ミケランジェロの父親ジャンカルロ(ファビオ・アルミリアート)は葬儀屋を営む一方、オペラを唄うのが好きだ。招待された自宅でジャンカルロがシャワーを浴びながら歌うのを聞くと、すばらしいテノールだ。これを聴いたジェリーは、人間は風呂を浴びているときが一番くつろいでいることに気づき名案を思いつく。
このバカげた発想がニクイ。男性テノールの独奏会をやるときに、シャワー浴びながら歌うのだ。しかも、オペラの一シーンを演じる時も同じようにシャワー浴びながら歌わせる。これは笑うしかない。
2番目のエピソード。
若いカップルアントニオ(アレッサンドロ・ティベリ)とミリー(アレッサンドロ・マストロナルディ)がローマ、テルミニ駅に到着する。ローマでの仕事を紹介してもらうべく、ふたりの泊まるホテルに、アントニオの親戚が訪ねてくることになっている。ミリーが美容院に出かける。アントニオの部屋に、大胆な服装を着飾るアンナ(ペネロペ・クルス)が入ってくる。どうやら、部屋を間違えたらしい。そこに親戚がやってくる。アントニオはあわてて、妻のミリーだと、親戚に紹介してしまう。
美容院が見つからないミリーは、映画の撮影現場に出くわす。ひいきの俳優サルタ(アントニオ・アルバネーゼ)がいる。速攻でミリーをランチに誘う。そのレストランで、夫のアントニオたちのグループとあってしまう。
ミリーを演じるアレッサンドロ・マストロナルディはなかなかの美形である。俳優サルタは単なるハゲオヤジだ。そんな男を一流のプレイボーイにして絡むやり取りも笑える。
加えて娼婦アンナのペネロペ・クルスの存在感が凄い。普段はここまでボリュームを感じないが、ここでは往年のソフィアローレンを思わせるダイナミックなバディで世の男性をわくわくさせる。上流のパーティに参加した時に、至る所で政財界の大物に次から次へと「アンナ」と声を掛けられる。「アンナ」でなく「ミリー」よとオジサン達に言う。次から次へと「明日は来れないか」と誘われるシーンも面白い。
3番目のエピソード。有名なアメリカの建築家ジョン(アレック・ボールドウィン)は、30年前に住んでいた界隈を散歩している。若いアメリカ人男性で、建築家志望のジャック(ジェシー・アイゼンバーグ)が、ジョンを見て話しかける。「ジョンさんでは」と。ジャックは、かつてこの近くに住んでいたというジョンを、家に招く。同居しているサリー(グレタ・ガーウィグ)とジャックを見て、ジョンは30年前の自分と重ね合わせる。
そこに、サリーの親友で、女優志願のモニカ(エレン・ペイジ)がやってくる。やがて、ジャックは、モニカに魅せられていく。ジョンは、過去の経験から、ジャックに「やめておけ、その女は嘘つきだ」と忠告するが。。。。
アレック・ボールドウィンのここでのセリフはいかにもウディのセリフである。イメージの違う2人だが、ウディが思っていることを代弁させる。教養人のふりをしている男女を痛烈に批判する最近のウディ映画でよくあるパターンだ。
4番目のエピソード。平凡な中年男レオポルド(ロベルト・ベニーニ)は、妻と子供がふたりで、つましく暮らしている。ある日、突然、たくさんの取材陣に取り囲まれて、テレビ局に連れて行かれる。ニュース番組のインタビューで朝食は何を食べたのか聞かれる。「トーストふた切れ、カフェラテも」と答えるレオポルド。なぜか、たちまち有名人になったレオポルドは、町を歩けばサインを頼まれし、まるでセレブのような生活を送ることになるが。。。
映画を見ていて、何でこの男マスコミの取材をされるんだろう。肝心な場面を見落としてしまったのかと一瞬錯覚してしまう。そうではない。訳もわからず、有名人になってしまうのである。ファッションモデルや女優までが次から次へと寄ってくる。それもボリュームたっぷりのイタリア美人だ。
戸惑っている彼もまんざらじゃなさそう。そういう日々が続いた後に、別の男にマスコミのターゲットが移る。そして誰にも注目されないようになる。そこからがおもしろい。ロベルト・ベニーニが有名人だった自分を売り込むかがごとく、街でパフォーマンスをする。この演技はさすがロベルト・ベニーニというべき凄いシーンだ。高いレベルの演技に驚く。勝間和代女史の「有名人になること」を連想した。
4つのエピソードを一つにまとめるわけではない。別々の4つのストーリーの中にウディアレンのコメディアイディアが充満されている。1つの映画としての完成度が高いというよりもウディアレンの才能を楽しむ映画だろう。