映画「侍タイムスリッパー」を映画館で観てきました。
映画「侍タイムスリッパー」はいわゆるインディーズ的サムライコメディである。 8月中旬に日経新聞の映画評をみてこれはおもしろそうと思っても、ほとんどやっていないし時間も合わない。縁がないのかな?と思っていたら、ここにきて一気に公開館が増えた。珍しいパターンで気になる。
幕末の侍が決闘している最中に落雷が起きて気がつくと時代劇の撮影所にいたなんて話だ。うらびれた映画館ではなく東京のど真ん中で劇場の大画面で観た。かなり映画を観ている自分でも知っている俳優はいないし、監督の安田淳一も知らない。先入観なくともかく観てみようという気持ちで観ると確かにおもしろい。
とりあえず、作品情報を引用する。
幕末、京の夜。会津藩士高坂新左衛門(山口馬木也)は暗闇に身を潜めていた。「長州藩士を討て」と家老じきじきの密命である。名乗り合い両者が刃を交えた刹那、落雷が轟いた。
やがて眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所。
新左衛門は行く先々で騒ぎを起こしながら、守ろうとした江戸幕府がとうの昔に滅んだと知り愕然となる。一度は死を覚悟したものの心優しい人々に助けられ少しずつ元気を取り戻していく。やがて「我が身を立てられるのはこれのみ」と刀を握り締め、新左衛門は磨き上げた剣の腕だけを頼りに「斬られ役」として生きていくため撮影所の門を叩くのであった。(作品情報 引用)
現代の京都が舞台なのに時代劇ファンでも楽しめるおもしろさだ。
気がつくとタイムスリップという映画は数多いが、気がつくと現代の時代劇撮影所に幕末から来てしまうなんて発想がおもしろい。目を覚めると時代劇撮影所内の江戸時代の町並みだ。そこで悪党が庶民をこらしめている場面に出くわす。思わず正義の味方の武士に加勢するので撮影中のスタッフが当惑するなんてお笑いだ。
最初のシーンだけ幕末だ。まさに薩摩の武士を斬ってやろうとする会津藩士が主人公だ。決闘中に稲妻で気づくと、時代劇撮影所なのだ。撮影中に割って入り邪魔をして、女性助監督から「どこの事務所の方ですか?」「別の撮影現場じゃないですか?」と言われる。まさか幕末からタイムスリップとは夢にも思わなかった。
途方に暮れて町を歩くと、決闘をした時の寺の門にたどり着くではないか!でもそこで寝てしまって朝起きると寺の住職に助けられるのだ。しかも、その寺は時代劇のロケで使われていて、撮影所の女性助監督に連絡がいくわけだ。結局、記憶喪失になった人として扱われる。そして寺のロケで役者が急病になり、急遽斬られ役で起用されるのだ。
斬られ役でふつうに展開していった後で、有名俳優から共演したいとオファーが来る。ここで幕末を引きずった出会いがある。ここからグッとおもしろくなる。この出会いの内容は映画を観てのお楽しみに願いたい。話が出来過ぎでも、その偶然がなんかありそうな気がするストーリーだ。最後に向けてはこの映画の結末をどう落ち着けるのか予想がつかず一瞬ドキドキしてしまう。そんな緊張感をもてる映画だ。
自主映画とはいえ、そうは見えない。いくつかのコメントで「カメラを止めるな」との共通性を言う人もいたが、それは違う。この映画の方がレベルはずっと上だ。撮影した映像はしっかりしていて、大劇場の大画面にも耐えられる映像だ。これは監督の安田淳一の力だろう。履歴をみると、撮影技術には長けているようだ。衣装も殺陣も無名揃いの俳優さんもよかった。
京都だからできた映画でもある。おもしろい台本なので、東映京都撮影所が場所を提供してくれたのも超ラッキーだろう。時代劇愛を感じる心意気がすばらしい。京都は歴史が古く、昔の建物の門がそのまま残っている設定も全く不自然でない。いくつかの寺からも協力してもらったのも運がいい。メンバーを見ると確かにカネがなさそう。でもいい映画ができてよかった。
普段映画を観ない中高年以上の人に薦めたい作品だ。
映画「侍タイムスリッパー」はいわゆるインディーズ的サムライコメディである。 8月中旬に日経新聞の映画評をみてこれはおもしろそうと思っても、ほとんどやっていないし時間も合わない。縁がないのかな?と思っていたら、ここにきて一気に公開館が増えた。珍しいパターンで気になる。
幕末の侍が決闘している最中に落雷が起きて気がつくと時代劇の撮影所にいたなんて話だ。うらびれた映画館ではなく東京のど真ん中で劇場の大画面で観た。かなり映画を観ている自分でも知っている俳優はいないし、監督の安田淳一も知らない。先入観なくともかく観てみようという気持ちで観ると確かにおもしろい。
とりあえず、作品情報を引用する。
幕末、京の夜。会津藩士高坂新左衛門(山口馬木也)は暗闇に身を潜めていた。「長州藩士を討て」と家老じきじきの密命である。名乗り合い両者が刃を交えた刹那、落雷が轟いた。
やがて眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所。
新左衛門は行く先々で騒ぎを起こしながら、守ろうとした江戸幕府がとうの昔に滅んだと知り愕然となる。一度は死を覚悟したものの心優しい人々に助けられ少しずつ元気を取り戻していく。やがて「我が身を立てられるのはこれのみ」と刀を握り締め、新左衛門は磨き上げた剣の腕だけを頼りに「斬られ役」として生きていくため撮影所の門を叩くのであった。(作品情報 引用)
現代の京都が舞台なのに時代劇ファンでも楽しめるおもしろさだ。
気がつくとタイムスリップという映画は数多いが、気がつくと現代の時代劇撮影所に幕末から来てしまうなんて発想がおもしろい。目を覚めると時代劇撮影所内の江戸時代の町並みだ。そこで悪党が庶民をこらしめている場面に出くわす。思わず正義の味方の武士に加勢するので撮影中のスタッフが当惑するなんてお笑いだ。
最初のシーンだけ幕末だ。まさに薩摩の武士を斬ってやろうとする会津藩士が主人公だ。決闘中に稲妻で気づくと、時代劇撮影所なのだ。撮影中に割って入り邪魔をして、女性助監督から「どこの事務所の方ですか?」「別の撮影現場じゃないですか?」と言われる。まさか幕末からタイムスリップとは夢にも思わなかった。
途方に暮れて町を歩くと、決闘をした時の寺の門にたどり着くではないか!でもそこで寝てしまって朝起きると寺の住職に助けられるのだ。しかも、その寺は時代劇のロケで使われていて、撮影所の女性助監督に連絡がいくわけだ。結局、記憶喪失になった人として扱われる。そして寺のロケで役者が急病になり、急遽斬られ役で起用されるのだ。
斬られ役でふつうに展開していった後で、有名俳優から共演したいとオファーが来る。ここで幕末を引きずった出会いがある。ここからグッとおもしろくなる。この出会いの内容は映画を観てのお楽しみに願いたい。話が出来過ぎでも、その偶然がなんかありそうな気がするストーリーだ。最後に向けてはこの映画の結末をどう落ち着けるのか予想がつかず一瞬ドキドキしてしまう。そんな緊張感をもてる映画だ。
自主映画とはいえ、そうは見えない。いくつかのコメントで「カメラを止めるな」との共通性を言う人もいたが、それは違う。この映画の方がレベルはずっと上だ。撮影した映像はしっかりしていて、大劇場の大画面にも耐えられる映像だ。これは監督の安田淳一の力だろう。履歴をみると、撮影技術には長けているようだ。衣装も殺陣も無名揃いの俳優さんもよかった。
京都だからできた映画でもある。おもしろい台本なので、東映京都撮影所が場所を提供してくれたのも超ラッキーだろう。時代劇愛を感じる心意気がすばらしい。京都は歴史が古く、昔の建物の門がそのまま残っている設定も全く不自然でない。いくつかの寺からも協力してもらったのも運がいい。メンバーを見ると確かにカネがなさそう。でもいい映画ができてよかった。
普段映画を観ない中高年以上の人に薦めたい作品だ。