映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

上海から来た女  オーソンウェルズ

2011-08-12 22:30:02 | 映画(洋画 69年以前)
すべてのアメリカ映画のベスト100となると必ずトップになるのは1941年の「市民ケーン」である。監督主演はオーソンウェルズである。
朽ち果てた洋館の映像から始まるこの作品には30年先をいっている映画の手法が盛りだくさんだった。100年あまりの年月に数え切れないほどある作品の中でトップというのはすごい。でも放映当時はこの映画で取り上げられているメディア媒体から、強く反発を受けていた。しばらくウェルズは干されることになる。
70年代に「オーソンウェルズ劇場」というのをテレビでやっていた。同時にニッカウィスキーのCMにも出ていた。ニッカウィスキーのラベルのヒゲ親父そのままの顔であった。
何よりもまず名作「第三の男」におけるオーソンウェルズの存在感がすごい。


そのオーソンウェルズが「市民ケーン」のあとに作ったフィルムノワールが「上海から来た女」である。「市民ケーン」同様オーソンウェルズ自ら主演監督をつとめる。そして共演が当時の妻リタヘイワースである。


彼女はセクシー女優として名高い美女であるが、後年「ショーシャンクの空に」が公開され再度注目を集めた。主演のティム・ロビンスの刑務所の一室に掲げられていたポスターは、リタヘイワースだったのだ。スティーヴンキングの原作名は「刑務所のリタヘイワース」である。

この映画は放映に当たって、2時間半から約1時間分のフィルムをカットされたといわれる。
5分の2とはすごい長さだ。そこに監督のオーソンウェルズがかかわっていないという。悲劇である。
そんな映画なのに不思議な魅力がある。さすがオーソンウェルズだという映像が見られる。
何度も見てみたい衝動が襲う。「二郎ラーメン」のような麻薬的要素を持つ。

ニューヨークの映像からスタートする。
貴婦人ことリタヘイワースが馬車に乗ったところを、街のチンピラがからむ。からんだチンピラを撃退するのが主人公オハラことオーソンウェルズである。翌日オーソンウェルズの働いているところに一人の足の不自由な男が訪ねてくる。彼は貴婦人の夫だ。弁護士だという彼はオーソンウェルズとその仲間をカリブ海の航海にさそう。

カリブ海にヨットで航海へ出て西インド諸島からメキシコの湾にそっていきアカプルコに到着する。
航海に出ているときにウェルズに妙な男がちかづく。「君は人殺ししたことあるんだね。」「また同じことやる気ないか?」弁護士の執事グリスビーと見せかけるが、彼女によると自分を見張る探偵だとか。弁護士のバクスターは夫人がウェルズといい仲なのかもしれないと疑っている。
ウェルズはその執事から自分を殺してくれたら5000ドルを払うと依頼をされる。いったん今の人生を終えて、別の顔になって生きていきたいと彼は言う。生命保険金もからんでいた。
ヨットがサンフランシスコに着いたとき、執事グリスビーからウェルズが殺したという告白書にサインしてくれと言われる。死体が見つからなければ、殺人にはならないという。美しいリタと駆け落ちするだけの金が得られると考え、水族館でリタと駆け落ちの相談をするオーソンウェルズであるが。。。。


このあとオーソンウェルズは着手にかかる。しかし、そう簡単にはうまくはいかない。そして事態は二転三転する。そういう中映像はいろいろな場面を映す。バカンスのメッカであるアカプルコの海辺、1940年代の坂の街サンフランシスコ、チャイナタウンと京劇風景、遊園地とビックリハウスなどをこれでもかこれでもかとオーソンウェルズはいろんな映像を我々に見せつける。発明家の息子というのがよくわかる。ある意味「市民ケーン」よりも楽しめるシーンが多い。何度も見たいと思わせる中毒になる映画である。。。
詳しくは別のコラムで。。。  続く


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ツーリスト  アンジェリーナジョリー&ジョニーデップ

2011-08-11 22:27:37 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
「ツーリスト」は当代きっての2人の俳優アンジェリーナジョリー&ジョニーデップによるラブサスペンス映画だ。ヴェネチアを舞台にしてスパイ陰謀に満ちた映画をとる。デイヴィッドリーン監督キャサリンヘップバーン主演の「旅情」を思わせるヴェネチアの情景にはうならさせられる。ただ一つ違うのは、片やロマンスに対して、この映画は陰謀に包まれただましあいサスペンスということだ。



パリのオープンエアーのカフェに主人公の一人ことアンジェリーナジョリーが一人たたずむシーンが映し出される。そこに郵便配達人が手紙を届ける。彼女は逃亡中の国際指名手配犯アレキサンダー・ピアースの恋人とみなされパリ警察の捜査官が張っている。「8時22分、リヨン駅発の列車に乗り、僕の体型に似た男を捜せ」中身を一瞥して手紙をすぐに燃やしてその場を立ち去る。あわてる捜査官たちはすでに焼けている手紙を鑑識に出す。

指定されたパリ・リヨン駅発~ヴェネチア・サンタルチア駅行のユーロスターの列車にアンジェリーナは乗る。そしてある男に声をかける。その彼はアメリカ人旅行者のフランク・トゥーペロことジョニーデップであった。いきなり飛びきりの美女が来て驚くジョニー。

そんな二人の様子は列車に乗った捜査員に見張られていた。鑑識で文字が解読されたのだ。捜査員はジョニーの顔をメールでロンドン警察に送信した。しかし、ジョニーはごく普通の数学教師であることが判明した。結局彼は駅で検挙されずにヴェネチアの町へ。そこにボートでアンジェリーナジョリーが迎えに来る。戸惑う彼をよそに、ヴェネチアの高級ホテルにジョニーを誘う。。。。。その後、普通の旅行者ジョニーデップはワケもわからぬまま、警察やマフィアから襲われ逃げ回るハメになるが。。。。。

本作ではアンジェリーナジョリーが魅力的な衣装をふんだんに見せてくれる。ドキッとさせる。疲れ切った女性の役を演じる時もあるが、彼女にはゴージャスという言葉が似合う。逆にジョニーデップはとっぽい数学教師を演じる。対照的に派手さがない。ヴェネチアでアンジェリーナジョリーに誘惑されて、おどおどしている。どういうことだろうと思わせる。
この映画にはいくつもの迷彩が施されている。観客の裏の裏をかこうとして仕掛けがたくさん隠されている。それはそれでおもしろかった。

古典的映画でいえば、ケイリーグラントとオードリーヘップバーンの「シャレード」が連想される。謎の紳士グラントとヘップバーンが大金の行方を追う。ヘップバーンのジバンシーの着こなしは国士無双のあでやかさである。この映画は喜劇役者の使い方もうまく実によくできた映画であった。
また、ヴェネチア観光案内の色彩が強いデイヴィッドリーン監督キャサリンヘップバーン主演の「旅情」の影響も感じられる。「旅情」はサンタルチア駅に着く寸前の海が見渡せる車窓からスタートした。ここでも同じように映す。何度も行ったことがあるように我々を錯覚させるかがごとく「旅情」と同じような風景が映し出される。
そんな映画の影響こそあれど、現代版ラブサスペンスにうまく作り上げられている。やはり当代きっての人気俳優の共演というのは娯楽としての基本にかえって見ていて楽しいものである。

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カンザスシティ  ロバートアルトマン

2011-08-10 07:45:37 | 映画(洋画 99年以前)
映画「カンザスシティ」はロバートアルトマン監督の96年の作品。
ルーズベルト大統領就任後の大恐慌下のカンザス・シティを舞台に、腐敗選挙がらみの誘拐騒動を描く人間ドラマ。カンザス・シティはアルトマン監督自身の故郷である。いつも大人数の登場人物で見るものを混乱させるロバートアルトマンも今回はそうはさせていない。志向が違うようだ。ジャズのシーンもたっぷり見せる。

1934年カンザス・シティが舞台だ。時の大統領ルーズヴェルトの顧問の妻ことミランダ・リチャードソンが、一人の女ブロンディことジェニファー・ジェイソン・リーに誘拐された。ブロンディの夫ことダーモット・マルロニーは黒人に化けて、黒人ギャングの顔役ことハリーべラフォンテが営むクラブの金を奪い捕らえられているのだ。
ブロンディは誘拐して夫を救い出そうとしている。誘拐と解放の条件を伝える。誘拐した女とされた女の二人の間は次第に奇妙な友情が芽生えるが。。。。


アルトマン映画の割には単純なストーリーだ。登場人物も少ない。それはそれでわかりやすくていいんだけど。背景はよくわからないが、往年のジャズクラブを見せることで遊びの映画を作ろうとしていたのであろうか?
実際「ジャズバトル」と称して、かなり強烈なジャズセッションを聴かせる。これがなかなかいい。サックスバトルも冴えまくる。普通2人のサックスがいても共演という感じでバトルというイメージにはさせない。イヤーこれは凄い。でも映画それ自体は今一つな気がする。いつもさまざまな伏線をはるストーリーなのにアルトマンも中途半端なのかもしれない。
それでもジェニファー・ジェイソン・リーは好演だと思う。誘拐といっても何か間抜けで、笑えるキャラだ。ハリーべラフォンテは今回は歌わずマフィアの黒幕役だが、これがうまい。親分らしい貫禄がある。
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スープオペラ  坂井美紀

2011-08-09 19:42:26 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
なんとなくジャケットに惹かれて「スープオペラ」見ました。
叔母と同居していた独身30代の女性が、突如叔母が結婚するので一人暮らしになる。そこに中年男性と若い男が居候するという話だ。映画見始めるまで、ジャケットを見て中谷美紀さんだとばかり思っていた。坂井真紀さんとわかり、思わず2人は姉妹かと調べてしまった。いやーよく似ているなあ。


東京の住宅街の古びた一軒家に30代独身女性の主人公ルイこと坂井真紀と叔母こと加賀まりこが暮らしていた。叔母は小さいころに母親を亡くしたルイの母親代わりだった。ルイは大学の図書館の司書であった。鶏がらスープが得意な2人だった。
ある日、叔母が若い医者と恋に落ちて結婚するという。へき地医療に従事するといい、家を出てしまう。独りになったルイの前に現れたのは、見知らぬ中年男こと藤竜也だ。トニーと名乗るその男は、勝手に庭でキャンバスを広げて絵を描いていた。ルイに追い返されても、数日後には再び現れた。
出版社勤務の親友こと鈴木砂羽に誘われ、人気作家とのディナーに同席することになるルイはアルバイトの編集者こと西島隆弘と出会う。編集者の青年に送られて帰宅したルイは、庭から出てきたトニーと出くわす。トニーは青年に「お父さん?」といわれる。翌日ルイが仕事から戻ると、なぜかトニーと青年が仲良く夕飯の準備。鶏がらスープのおいしさに感激した青年が住みたいといい。3人の共同生活が始まるが。。。。

坂井真紀のほのぼのムードがいい。中年を軽くあしらえるような大人の心をもった清楚な女性に惹かれる男は多い。30代後半というのは女優さんたちにとってピークとなることが多い。くどいけど、中谷美紀に似ているなあ。


そんな彼女を囲むメンバーも多彩だ。加賀まり子も藤竜也もひと時代前の主演級だ。悪女ぶりを発揮してきた加賀まりこには、その杵柄が残っていて元遊び人の雰囲気をいつもぷんぷんさせる。
藤竜也の登場は最近にしてはめずらしい。今は作家伊集院静の妻となった篠ひろ子とともに「時間ですよ」で影のある男を演じていた。小さい飲み屋の一角で静かに飲む藤竜也とカウンター越しに静かに見つめる篠ひろ子の名コンビだった。その横で船越英二他数名があの二人どういう過去があったんだろうと眺めているのが良かった。藤竜也は「愛のコリーダ」にも出ていた。日本では激しい部分を隠しての放映だったが、まさに全部見せている「愛のコリーダ」をパリで見たことがある。今から30年ほど前、パリに行った時、シャンゼリゼ通りを歩いていたら映画を放映していた。思わず入ったらモロ出しで藤竜也頑張っていた。松田瑛子だけでなく森雅之の娘中島葵と絡んでいたのがバッチリ映っていた。ドキドキしながら一人で見た。


西島隆弘という若い俳優が、いかにも最近多いタイプである。いつでもヘラヘラ笑っている。最近は就職難でまともな新人が入社してくるようになったが、3,4年前は就職先をいくらでも選べる時で何でこんなやつというような新人も入ってきていた。ちょうど4年前に自分のところに配属になった出来の悪い新人にそっくりだ。こういうのを草食系というのであろうか?でも意外に女の子に不自由している様子はない。あれっという間に結婚してしまった。でも話を聞いていると奥さんの方がしっかりしている。変にギスギスしていることもなく、何でも言うこと聞きそうなこういうタイプの方が一緒にいるのには楽なのであろう。時代の違いを感じる。

鈴木砂羽もよかった。坂井真紀の親友で雑誌の編集者を演じているが、いかにもらしかった。食の細そうな坂井真紀と対照的にガツガツかつカレーを平らげるシーンと担当になっている偏屈な作家との関わりが妙におかしかった。適役というのはこういうのをさすのであろう。映画にスパイスを利かせる。

感動したとかできがいいという映画ではないが、配役がこれ以上ない適役なんで妙にしっくりする映画であった。食い合わせのいい食材を使った料理だという印象だ。
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人生万歳  ウディアレン

2011-08-08 09:23:51 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
「人生万歳!」はウディアレンの40本目の監督作品だ。
すでに75歳となり引退してもおかしくないわけだが、イーストウッドにしてもアレンにしても70歳過ぎてからの制作本数はエスカレートしている印象がある。今回は欧州から本拠地マンハッタンに戻り、ホームグラウンドで思う存分に撮る。
アレン本人は出ていないが主人公の物理学者を演じるラリー・デヴィッドはどう見てもウディアレンの分身としか言いようにない。いつもながらのウディアレン映画に華を飾る若手女優は「レスラー」で美少女ぶりが際立っていたエヴァン・レイチェルウッドだ。


舞台はマンハッタン、主人公ことラリー・デヴィッドは、元ノーベル賞候補の落ちぶれた初老の物理学者だ。ハゲで気難しいオヤジの主人公がウディアレンになりきって、友人たちとオープンエアのカフェでしゃべりまくるシーンからスタートする。偏屈で妻にも愛想尽かされた。
ある夜、アパートに帰ろうとした主人公は、突如若い女性ことエヴァン・レイチェルウッドに声をかけられる。一瞬誰かにはめられたのかと疑った主人公だった。でも空腹の彼女を気の毒に思った主人公は彼女を部屋に入れる。南部の田舎町から家出してきたという21歳の彼女を数晩だけという約束で泊めてやる。

主人公は世間知らずのエヴァにあきれたが、一緒にいるうちに情が移り結婚することになる。アンバランスな新婚生活は一瞬うまくいっているように思われた。ところが、夫婦仲がうまくいかず南部在住のエヴァンの母親ことパトリシア・クラークソンがマンハッタンの娘の元を訪れる。年の離れた夫を見て卒倒する母だが、裕福だった南部の家も株の失敗で手放し帰るところがない。やむを得ず母親も同居することになるが。。。。

欧州でのいくつかの作品では、美しいロケ地を選んで映画を楽しんできた印象があるウディアレンだった。久々の本拠地マンハッタンでも彼なりのロケハンティングを考えていた。
いかにもマンハッタンぽい街角にあるカフェで、自分の分身に思う存分ウディ節を話させ映画をスタートする。田舎娘を自由の女神が見えるマンハッタンの先端バッテリーパークに連れて行ったあとは、おもにチャイナタウン付近を登場させる。パトリシアクラークソンが男と見る映画が日本映画だったり、エヴァンが買い物に行くのは「ユニクロ」だったりする。興味深いところだ。
「ユニクロ」の柳井社長もウディ映画のロケ地に選ばれ、ほくそ笑んでいるのではないか?巨万の富を得た彼には金に変えられない名誉だよね。若いエヴァンが初老の夫に買ってあげたズボンはどうみてもユニクロタッチなのは見ていて自分も笑えてきた。


映画の展開は「アニーホール」や「マンハッタン」のころと大きくは変わっていない。第三者に語らせてはいるが、トークも変わっていない。2人を並べて歩かせて、カメラを引きながら撮影して機関銃のように好きなように語らせる映像は毎度の得意技だ。古い「インテリア」でも「バルセロナ」でも変わらない。いつもながら同じタッチの映像が出るのは妙な安心感がある。


「もしこれからウッディ・アレンの映画がめったに見られなくなったとしたら、どんなに寂しいことだろうか。」と思っている人も多いようだ。でも主役である「ウディの分身」にいいように語らせていたウディ節が冴えわたる限りまだまだつづくだろう。マッチポイントから続いたスカーレットヨハンソンとのコンビを若いエヴァン・レイチェルウッドにかえて今後も若いエキスを注入するなら99歳の新藤兼人監督並みに続くかもしれない。


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ミックマック  ジャン=ピエール・ジュネ

2011-08-07 22:29:41 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
「ミックマック」は「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネ監督によるブラックユーモア復讐劇である。
鉄くず屋の一角に集う一芸に秀でた個性的な面々が、軍需産業で巨万の富を築いた死の商人たちを相手にユニークな作戦を展開してゆく。「アメリ」のスタッフによる同様の色彩設計と映画の展開は見ていて楽しい。


レンタルビデオ店で働く主人公ことダニー・ブーンは、発砲事件に巻き込まれ、頭にピストルの弾を受けてしまう。運よく生き延びたものの、頭には弾が残ったままだ。しかし、入院中に仕事も家も失ってしまう。外で寝泊りをしながらパントマイムで生計を立てていた。
そんな主人公を見かけたガラクタ修理屋は、彼を鉄くずの片隅に陣取る仲間の所へ連れて行く。そこには個性豊かな人々が住んでいた。タコのような「軟体女」、計算の天才「計算機」、人間バズーカでギネスブック記録を持つ「人間大砲」、元民俗学者の「言語オタク」、ガラクタから何でも作る「発明家」など凄い面々だ。主人公はガラクタ集めの途中、兵器会社の横を通りかかる。そこは、頭に残った銃弾を造っている会社であった。さらにその向かいには、30年前に砂漠で父の命を奪った地雷を造った会社があった。この2つの武器製造会社に対して、主人公は仲間たちと共に復讐を始めるが。。。



映画「アメリ」は大好きである。初めて見た時、その美術の巧みさと色彩設計にアッと驚いた。現代フランス映画のレベルが依然高いことにほっとした。主人公アメリにブラックユーモアの心を持たせながらパリの街を縦横無尽に走りまわらせる。映画の展開の仕方も抜群だ。この映画でも美術、衣装、編集、脚本が一緒のスタッフである。「アメリ」がもつ良さをここでも発揮する。
小道具がいい。新旧の道具を自在に使う。主人公が乗る三輪自動車をみて懐かしくなった。

今回ジャン=ピエール・ジュネ監督は「ミックマック」で一人の妄想癖のあるオヤジを主人公とする。
それだけでなく一芸にたけた変わり者をたくさん登場させる。そしてコメディ的要素を強くさせる。根底に武器で利益を得ている実業家への強い反発があり、反戦映画的要素も持つ。女の子が主人公なので「アメリ」の妄想のほうが優しいだけ見やすいかもしれない。でもその反戦的要素を難しくは表現しない。「アメリ」同様に基調にナレーションがありわかりやすく笑いにつなげる。「ブルースブラザース」の匂いも感じさせる楽しさだ。
アメリの二番煎じにしない努力は感じるが、ジャン=ピエール・ジュネ監督には同じタッチでこれからも色彩豊かなブラックコメディを作ってもらいたいものだ。
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アンストッパブル  デンゼルワシントン

2011-08-06 18:50:02 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
「アンストッパブル」は実際の列車暴走事故をもとに映画化したアクション大作。名コンビのトニー・スコット監督とデンゼル・ワシントンによる作品だ。ペンシルバニア州の鉄道路線で、大量の危険物を搭載した貨物列車がミスにより暴走してしまう。ベテラン機関士のデンゼルワシントンは、初めてコンビを組むクリスバインとともに暴走列車を止めようとする話だ。簡潔にまとまっており、90分間一気に駆け抜ける。 


ペンシルバニア州の鉄道操車場が舞台だ。ベテラン機関士ことデンゼル・ワシントンと若い車掌ことクリス・パインが初めて一緒に機関車1206号に乗り込む。この鉄道会社では大きなリストラが行われようとしていた。若手が登用され、ベテランは不要とされていた。立場が違う2人の間には大きな溝があった。クリスは別居の妻との離婚問題に悩んでいた。
その一方、運転士の操作ミスにより、無人のまま貨物列車777号が暴走を始めた。この777号には大量の化学物質が搭載されていた。一つの街を壊滅させるだけの威力を持った巨大ミサイルも同然だった。様々な手段を講じて777号を停止させようとするがことごとく失敗してしまう。
機関車1206号の2人に貨物列車777号がトラブルを起こしたという情報が飛び込んでくる。なんと777号と同じ路線を走っていたのだ。しかも側線に入り込もうとしても、車掌のクリスが余分に3両つなげて簡単にははいれないが。。。。

ここ数作トニースコット監督の作品は妙にチカチカさせる画像処理がいやらしかった。名コンビデンゼルワシントンの良さをもっと引き出すなら、そんなことしなくてもと思っていた。ここではその手法は使わない。むしろ豪快な映像を見せてくれ驚いた。
暴走列車というのは、昔からよくある映画テーマだ。この機関車も極めてワイルドに飛ばしていく。普通の車をミニカーのようにすっとばす。すさまじい馬力だ。この列車はスティーブン・スピルバーグ監督の名作「激突」のタンクローリー車を思い起こさせた。大きさは違うが、同じような恐怖感を持つ物体という意味である。



多少はCG処理もあるとは思うが、これほどまでの危険なロケが実際に行われることにアメリカ映画の凄さがある。日本では絶対に不可能である。ロケに映るペンシルバニア州の町は「ディアハンター」の舞台になった町と同じような煙突から煙がもうもうと出ている田舎の工業の町だ。そこに強烈なカーブの鉄道路線があり、それが一つのポイントになる。曲がりきれないで落下したら、そこは石油タンクという状況はいかにも怖い。暴走列車がスピードを落とさずに突入というシーンはドキドキものであった。この映画のスタントマンには敬意を表したい。
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食べて、祈って、恋をして  ジュリア・ロバーツ

2011-08-05 20:26:07 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
「食べて、祈って、恋をして」はベストセラーの映画化でジュリアロバーツが主演だ。お気楽そうなイメージで見てみた。ニューヨーク在住のライターが身辺がうまくいかず、むしゃくしゃして旅に出るという話だ。映画としてはどうってことないが、旅行記と割り切って見てみると割と楽しい。深く考えずに楽しめばいいんじゃないかな。


ニューヨークの旅行ライターの主人公ことジュリア・ロバーツは仕事にプライベートに忙しい日々を送っていた。どこか満足しきれない思いを抱えている彼女は離婚を決意。その後若き俳優と恋をするがうまくいかない。失恋と離婚を経験した彼女はある日自分探しの旅に出ることを決意した。それは、イタリア、インド、バリ島を巡る一年間の旅であったが。。。

女心ってよくわからない。というのが映画を見ての感想だが、映像的には楽しまさせてくれた。「白いリボン」が白黒で長まわし中心の撮影だったのと対照的にカットが多く、色彩的にきれいな映像をたくさん楽しめる。盛りだくさんだ。編集は絶妙だ。
ナポリでは料理を食べる場面が楽しそう。朝食も含めみんなでワイワイガヤガヤ食事する。テーブルクロスの色がカラフルで食欲を増幅する。なんかファンキーでいい。しかも、料理の映し出し方がうまい。ライティングが絶妙で料理雑誌のように美しく映し出す。ジュリアロバーツが若干太麺のパスタをワイルドにフォークを使って食べる。おいしそう。ダイエットを気にする友人に太ったら太ったで太めのジーンズを買えばいいじゃないのとジュリアがいいながらピザを食べるシーンが豪快だ。


インドは瞑想の話だ。「扉をたたく人」で主演を張ったジェンキンスがジュリアのお相手だ。残念ながら恋の相手にはならなかった。象と戯れていたけどインドの風景はどうもジュリアには似合わない。

バリ島の映し出し方は実にうまい。アジアンテイストの籐をつかった小物を効果的にインテリアに使う。南国フルーツの色合いも色彩設計には効果的だ。ホテルの部屋のセンスもいい。オープンエアーのバーがトロピカルな雰囲気でファンキーに楽しむ場面は最高。思わず行きたくなった。


ジュリアロバーツのギャラはうん十億だという。しかもこの映画世界をロケで巡って相当金がかかっていると思う。ぜいたくな映画だ。そういうぜいたくな気分を映像の中で味あわせてくれるだけでいいんじゃない。
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僕が結婚を決めたワケ  ロンハワード

2011-08-04 08:13:38 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
「僕が結婚を決めたワケ」は巨匠ロンハワード監督には珍しいラブコメ映画である。どういう風の吹きまわしと思いながら、ヴィンス・ヴォーン主演ラブコメ作品にはずれがないので見た。主人公の年齢設定が40で実年齢も同じ。共演のジェニファーコネリー、ウィノナ・ライダーも一緒の年でリアリティがある。メジャー美人女優がでているが、テーマは男の友情って感じだ。


実業家ロニーことヴィンス・ヴォーンは大学時代からの親友で相棒の技術者・ニックことケヴィン・ジェームズと車のエンジン会社を経営している。ニックはロニーの友人ジェニーヴァことウィノナ・ライダーと結婚し、ロニーはジェニーヴァの紹介でオーナー・シェフのベスことジェニファー・コネリーと付き合っている。
ある日植物園にいたヴィンスは、ウィノナがタトゥのある若者と浮気している現場を目撃してしまう。ヴィンスは、親友ケヴィンに真実を告げるべきか悩むがいうチャンスを逃す。ある夜、ウィノナと二人きりになるチャンスを得たヴィンスは浮気を目撃したことを告げる。ウィノナは、夫に構ってもらえない寂しさから浮気をしたことをあっさり認める。しかしウィノナは、浮気のことを夫にばらしたら、二人が交際する前に、ひと夜の過ちがあったをばらすと脅すが。。。。

興行的な狙いで邦題「僕が結婚を決めたワケ」となっているが、原題は「ジレンマ」である。いつもながらトンチンカンだ。会社の近くの映画館のポスターに4人が仲良く写っている写真を見て、普通のラブコメを想像した。ヴィンス・ヴォーンが主演の映画はおもしろいのに日本未公開が多く今回は珍しいなと思っていた。ウィノナ・ライダー、ジェニファーコネリーの2人の存在で今回はdvdスルーにならなかったのであろうか。あとは監督ロンハワードという存在も大きい気がする。ヒット作次から次へと出しているわけだから。。。

前半戦は会話の筋が読み取りづらく、中盤は主演ヴィンスヴォーンがなんでこんなに出しゃばるの?と思ったりして今一つのれなかった。アメリカではラブコメ系の興行成績がいいようだ。日本では映画館に行っても男の姿は一部のカップル以外はまばら。あれだけ興行成績をラブコメ系が稼ぐということはアメリカでは男も割と見ているのかもしれない。だから男性目線でラブコメがつくられるなんてことがあるのだろう。この映画のテーマは男の友情だ。しかもハンサムボーイでなくどこにでもいるようなコメディアンを主演にする。とはいうもののポイントが定まらないせいか、今一つという気がした。暗い「白いリボン」のあとで思いっきり笑ってやろうと思ったが、普通だった。
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白いリボン

2011-08-03 20:30:59 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
カンヌ映画祭パルムドールとなったドイツ映画「白いリボン」みました。
評判通り暗い映画で、正直自分の好みではない。第一次世界大戦開戦前のドイツの農村が舞台、そこで奇妙な事件が次から次へと起こる。ミステリー的要素もあるが、無宗教の日本人である我々では理解しづらい宗教的色彩が流れている気もした。長まわし中心の撮影だ。丹念に人を追う。演劇的要素もあるが、動的演技ではない。静的だ。麦畑の映像が牧歌的でそれには親しみを感じた。祭りの光景もよい。

1913年北ドイツのある農村が舞台だ。村で教員をしていた男が昔を振り返るように独白する。
次から次へと小さい事件が静かな村で起きる。ドクターが張られた針金が原因で落馬したのが発端だった。翌日にはその針金が消え、小作人の妻が男爵家の納屋で起きた事故で命を落とす。秋、収穫祭の日、母の死に納得できない息子が、男爵の畑のキャベツを切り刻む。その夜、男爵家の長男ジギが行方不明になった。一方、牧師は反抗的な自分の子供たちに白いリボンを腕に巻かせる。犯人がわからないまま、不信感が村に広がっていくが。。。。

映画は並行して、村の教員と男爵の家で乳母として働く女の恋を同時並行して映しだす。その昔のドイツの庶民の恋の匂いはこの映画で十分理解できた


それにしても白黒の画面に流れるムードは一貫して暗い。自分はこの映画を見て、横溝正史原作の一連の映画を連想した。同じように次から次へと残虐な事件が起きる。ここには謎解きの金田一耕介的存在はいない。あえて言えば、独白する元教員がその存在にあたるであろうか。共通するのは閉鎖的な村の姿である。世界大戦の直前にした村の中は、貴族も聖職者も民衆も妙に乱れている。出演者すべてに裏筋的要素を感じる。いろんな解説をよむとこの悪さぶりをナチズムに結び付けようとする話があるがそれは違うんじゃないかな?

かわいい顔をしている牧師の息子マルティンすらその存在に影を感じる。ふと気付いたことがある。プロテスタントが多いといわれるドイツで、少年の名前マルティンは16世紀前半ローマ教皇レオ10世に論題を投げかけた宗教改革の先駆者マルティン・ルターと一緒の名前である。あえてそういう名前を付けたのであろうか?免罪符による救済への結び付けを意識したのか?
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リッキー フランソワ・オゾン

2011-08-02 05:52:56 | 映画(フランス映画 )
リッキーはフランスの巨匠「スウィミングプール」や「8人の女たち」のフランソワ・オゾン監督による奇妙な赤ちゃんの映画だ。

シングルマザーの工場で働く女性に、移民の恋人ができる。二人は急速に魅かれ赤ちゃんが生まれる。その赤ちゃんが普通ではなかったという話だ。途中まで普通のフランス人女性が主演の普通の話であった。途中でアッと言わせる。その展開がおもしろい。観客を飽きさせずに1時間半突っ走る。

舞台はフランス、シングルマザーのカティことアレクサンドラ・ラミーは、7歳の娘ことメリュジーヌ・マヤンスと2人で郊外の団地に暮らしている。主人公は毎朝バイクで娘を学校へ送ったあと工場で流れ作業をする日々を送っていた。ある日、主人公はスペイン人の新入り工員パコことセルジ・ロペスと恋に落ちる。パコは、カティの家に同居するようになる。

母親と2人きりで暮らしてきた娘は反発するような態度を取り、家庭内にギクシャクした雰囲気が漂う。そんな中、二人の赤ちゃんが誕生する。娘がリッキーと名付ける。母親がリッキーにつきっきりになってしまい、娘は寂しい思いをしていた。しかし、仕事に行き詰った男と、育児に追われる主人公は、夫婦喧嘩が絶えないようになる。そんな中主人公は、リッキーの背中に赤いあざを見つける。カティは男が殴ったのではないかと問いただす。否定するが、気がつくと一か所増える。もう一度男を問いただす。疑われたことに傷ついた男は家を出る。その後、幼児ベッドに寝ているリッキーを母娘で見に行くが、、リッキーはベッドにいない。ベッドには血が。男に幼児虐待を受けたのではと一瞬疑うが、なんとリッキーはタンスの上にいた。。。。。


余分な解説がいいづらい映画だ。赤ちゃんのポスターを見て、一体どんな映画かと思っていた。
見て驚いた。ファンタジー的要素がつよい。一瞬ETすら想像した。
奇妙なストーリー考えるものだなあと思いながら、最後まで一気に見た。おもしろかった。

子役がかわいい。リッキーの姉役の女の子が特にかわいい。将来の大女優だろう。
個人的に赤ちゃん映画が妙に好きなのは何でなんだろう。こうやってみると、男の赤ちゃんもかわいいもんだな。ゲイのフランソワ・オゾンはどういう心境で赤ちゃん映画つくったんだろう?
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愛の勝利を ムッソリーニを愛した女

2011-08-01 21:24:10 | 映画(自分好みベスト100)
「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」を週末劇場で見てきました。
噂は聞いていましたが、凄い映画です。迫力に圧倒されました。今年の№1かもしれません。


ベニート・ムッソリーニは御存じ戦前日本が日独伊三国同盟を組んだイタリアの独裁者だ。ファシズムという言葉を生んだイタリアの独裁者として、“統師(ドゥーチェ)”と呼ばれた。その彼には、イーダという、全人生を彼にささげた一人の女性の存在があった。その二人の関係を一人の社会主義活動者としてムッソリーニが活躍していたころから追っていく。政治色はあっても、はかない恋の物語だ。映像コンテ、音楽、美術いずれも完ぺきだ。

20世紀前半のイタリア、若きムッソリーニことフィリッポ・ティーミは熱心な社会主義者だった。ローマ教皇の腸で国王の首をしめろなんて凄いこと言っている。その彼とイーダことジョヴァンナ・メッツォジョルノが恋に落ちる。オーストリアをめぐって参戦論が国内を二分した第一次世界大戦をはさみ、政治活動に励むムッソリーニ。イーダは全財産を売却して彼の理想の実現のために提供する。その資金援助をもとに新たな日刊紙「ポポロ・ディタリア(Popolo d'Italia)」を発刊。さらに、独自の政治組織を摸索する。

しかし、彼には本妻がいた。イーダは、やがてムッソリーニの子供を産む。彼は認知はするが、本妻は別れようとはしない。自分が彼の妻であり、息子がムッソリーニの長男であることを懸命に主張する。そんな中イタリア国内でムッソリーニの支持率が急上昇していく。国王とも手を結ぶ。その過程で、日蔭の立場からの逆転が難しくなるばかりでなく、彼女は精神に異常をきたしているようにみなされるが。。。。。


ニュース映画を映像の中に入れ込むが、不自然さはない。むしろ全盛期のムッソリーニの演説を映像に織り込ませて迫力を増幅する。ムッソリーニとその子の一人二役を演じるフィリッポ・ティーミの演説の迫力はすばらしい。ニュース映像を徹底的に研究しつくした結果生まれた演技であろう。その彼に惹かれるイーダことジョヴァンナ・メッツォジョルノの情熱的な恋の表現も熱い!ひたすら熱い!
二人の情熱的な接吻に圧倒させられる。彼女が実に美しい。

その情熱的な愛だけが見せどころではない。時代考証的にこんなことがあったのかと思わせるところがある。戦意高揚のためのニュース映画を劇場で流す場面が出てくる。プロパガンダ映画だ。当時の日本であれば、弁士が高揚する口調で観客を興奮のるつぼに押し込もうとするのであろう。ここでは映像を流しながら、ピアニストが強烈なメロディを鍵盤からはじき出す。この演奏には興奮した。凄い迫力だ。ナチスが利用したワーグナーを思い起こす。しかもこの場面が再三出てくる。


それにしても言いたいことがありすぎて言い尽くせない。

一番興奮したのはその映像コンテだ。イーダが収容された場所にある檻のような柵によじ登るシーン。外に雪が降り続く中、柵をよじ登る女主人公、このアングルが抜群にすばらしい。雨と雪の使い方が実にうまい。映像美の極致である。それを見るだけでも価値があると思う。

若干最終の締めが史実に基づくだけに少し弱いかもしれない。でもそのカメラワークと演技は凄かった。劇場で見てよかった。
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