後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

悲しい自分の狭量さ、狭い視野 

2009年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム

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私がいかに狭量で、狭い視野でしかものごとを見ていないかという恥ずかしい話をします。

上の写真はモーターボートですね。自分が嫌いなものです。ヨットとまったく違い、騒々しい音を立てるものです。なるべくなら見たくありません。この気持は狭量としか言いようがありません。

では何故写真を撮ったのでしょう?自分が嫌いでも好きな人が多いので、ブログに掲載するために写したのです。つまり自分の狭量さを直そうとしたのです。でも好きになれません。

東京都の夢の島マリーナへは何度も行きました。家から一番近い「ヨットの見える所」だからです。ところが、先日マリーナの反対側をはじめて見ました。愕然としました。反対側には巨大なユーカリの木が亭亭と茂る広大な林があるではありませんか!以前一本のユーカリの大木の写真をブログへ出して得意に思っていた自分が恥ずかしくなりました。ヨットしか見ない、見たくないという狭量さで、文字通り視野がひどく狭かったのです。

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そこで、マリーナの裏の石段を登って、広い「都立夢の島公園」を散策してみました。

まず驚くことは大きな温室があり熱帯植物が繁茂しているのです。この様な温室は新宿御苑、神代植物園、八丈島植物公園などで見ましたが、夢の島のものが圧倒的に大きいようです。

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更に歩いて行くと贅沢に出来た屋内競技場がいくつもあります。芝生の広場もあります。レストランや売店、そして広い駐車場も完備しています。自分の視野が狭かったが故にこれらの素晴らしい公園を知らなかったのです。訪問したのは平日の午前中だったので人影の少ない静かな公園でした。南側にある東京湾から新鮮な空気が吹き込んでいました。

人間は自分の好きなものにしか関心がない!ああ、これが争いの種なのだと考えながら車でレインボーブリッジを渡って帰ってきました。帰宅後、地図で調べ改めて驚きました。

マリーナの位置を公園の東側と思い込んでいたのです。実際はJR湾岸線の新木場駅の北側に夢の島があり、島の北側にマリーナ、そのすぐ南側に熱帯植物館、その西に芝生の広場があります。東京スポーツ文化館という大きな屋内スポーツ館は公園の東側にあります。駐車場への道は明治通りに面していて、湾岸自動車道と明治通りの交差点近くにあります。

東京湾は新木場駅を越えた南側にひろがっています。荒川の河口が公園の東にあり、マリーナを出た船はまず荒川に出て、南へ下り、東京湾へ出ます。

鳥瞰図はやはり重要だと今更ながら感じ入りました。ブログへ色々な記事を書いて来ました。なるべく広い視野で書こう。寛大な気持ちで書こう。と、努力して来ました。でもその努力もまだまだと深く感じました。今後も一層努力しなければならない。そんな事を考えさせる「夢の島公園」の散策でした。(終わり)


「失意のニクソン氏、そして極秘の周恩来氏の追悼会のこと」

2009年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム

1990年頃、成田空港で到着便の出口で出て来る知人を待っていた。そこへアメリカの元大統領ニクソン氏がトボトボと独りで歩いて出て来た。言葉を交わしたわけではない。会ったというより見たというのが正確な言い方だ。護衛の者も新聞記者も居ない。死人のような青ざめた顔で、危なげに歩いている。あまりにも暗い雰囲気なので他の乗客は近づかない。ニクソンの前後には寒々とした空間だけが一緒に歩いている。私は、「失脚しても貴方は良いこともいっぱいしましたよ」と考えて見つめていた。気配を感じたのか顔を回して私を不思議そうに見て通り過ぎていった。私の好意的な表情で少しだけ彼の顔が和らいだ。一瞬の出来事だが忘れられない一シーンであった。
周恩来とニクソンが米中国交回復の道を作ったのはベトナム戦争の終わりであった。

中国政府は恩義を忘れない。周恩来の死後も、ニクソン氏を中国へ賓客として招待してきたと、その日の夕刊に出ていた。この記事を読んで、一層中国人が好きになった。

私が中国人を好きになったのは次の体験による。

中国の首相、周恩来が死んだ後、数年間、中央政府は公式行事以外の一切の私的な追悼会や集会を禁止した。たまたま北京にいた私に、旧知の周栄章・北京鉄鋼学院教授が声をひそめて「中国人がどんな人間か見せたいから今夜ホテルへ迎えに行く」と言います。1981年、はじめて中国へ集中講義に行った折のことです。

 暗夜に紛れて連れて行かれた所は、深い地下に埋め込んだ大学の地下室でした。明るい照明が付いた大きな部屋の壁一面に、周恩来の写真、詩文、花束などが飾られている。数人の出席者が追悼の詩のようなものを朗読している。周氏は「中国人が一番好きな人は毛沢東ではなく周恩来ですよ。中央政府が何と言ったってやることはちゃんとやります。それが中国人の根性なのです」と言い切りました。

外国人の私が政府側へ密告しないとどうして信用できたのでしょうか。中国人の人情の厚さに感動しました。失脚した元大統領のニクソン氏の胸に、何時までも変わらない中国人の気持ちが力強く響き続けたに違いありません。

周恩来氏の死んだのは1976年、ニクソン氏が死んだのは1994年。
共産主義者の周恩来とクエーカー教徒のニクソンが、恩讐の彼方のあの世で、酒を飲みながらどんな話をしているのだろう。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。      藤山杜人