後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

孤独死の記事へ対しての温かい反響

2009年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、「陽気な孤独死」という題目の文章を発表しました。駒が岳や八ヶ岳の見える山荘に独りで住んでいる友人との会話にもとづいて書いたものでした。

それに対して色々な方から実に暖かい反響がありました。それぞれのご意見は内容が違いますが、深い意味と、他人への惜気もない愛情に満ちています。

BYOOLと趣味人倶楽部というSNSで頂いたご意見です。どれも一切の訂正無しで、以下にお送りいたします。コメントを下さいました方々へ改めて深甚の感謝の意を表します。

ネット上での交流で、このような真摯な心の交流が出来ることを心から嬉しく思っています。

有難う御座いました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。       藤山杜人

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(1)鬼家さんという方は心から山がすきなのでしょうね。
山に暮らし、自然に接することで、鬼家さんは生きている喜びと実感を味わっているのでしょうか。
死は誰にでも必ず訪れるもの、孤独死とは大変寂しいですが、鬼家さんにとって好きな美しい自然の中で生涯を終えることは本望なのかもしれませんね。

(2)いつも自然の中で生きていらっしゃると、自然から無言の教えのようなものを学ばれるのかもしれませんね。
人間も生物ですから、ある意味で自然の一部です。
ですから死も当然自然なことなのですよね。
文明の中で暮らしているとその感覚が鈍ってくるのかもしれません。
一人で死んで行くことの覚悟のようなものが自然と備われば人間も自然と一体になれるのかもしれません。

(3)作家 五木寛之氏は著書で 人間の一生の中で 林住期の後に来る遊行期こそを充実して過ごすべきだと 書いておられます。
まさに その言葉通りに 日々を送っておられる先輩なのですね。
羨ましいことです。
精神を自由に開放なさって 大らかに生ききる、理想だと思います。
晴耕雨読の日々 いいですね。

(4)人間いたるところ青山あり」ですね。
親鸞の言葉に「朝に紅顔ありて、夕べに白骨と成れり」ってのものですね。毎日充実した悔いのない人生をおくりたいものです。

(5)友人の中でも社会での役目を終えたら山で静かに暮らしたいと話す人がいます
反対に孤独死は私の場合怖いです
考え方の違いが何処で枝分かれするのか知りたいです
人それぞれかもしれませんが
同じ人間としてどうして此処まで考え方が違っていくのかわからないのです
いつかこの私にも、達観出来る心境が理解出来る様になるのでしょうか。

(6)孤独死の実感は涌いてきませんが、人間生まれてくる時も一人、そして死ぬ時も一人、この世に生を受けてから死への旅が始まる、というのが私の考え方です。その旅をどのようなものにするかは人それぞれ、白いカンバスにどんな絵を描くのか、それが人生だと思います

(7)皆さん素晴らしい名言、勉強になります。
私も一つ、ゲーテの言葉が信条になっています。
『自分の一生の終わりを初めと結びつけることのできる人は最も幸福である』
こんな話も聞いたこともありますが、死を迎えたある癌患者さんがベッドの上で経営学の勉強をしていたので、お孫さんがなんで?と聞いたらその方は
「わしはあの世でこの勉強を高めて次生まれたときに、大きな会社を経営するためじゃよ・・・」
それを聞いたお孫さんもお爺さんにならって立派な経営者になったそうです。

(8)孤独死、寂しい言葉ですね~。

年を重ねても一人で暮らせるのはすばらしいことです。人の世話にならぬようにです。わたしもそう願ってます。絵本作家のターシャチューダーのような老後を送るのが夢です。それで畑に果樹を植えました。実がなるのが楽しみです。

(9)こんにちは。
私は今話題の「おくりびと」の映画も原作となった作品も知りません。
ただ、本木 雅弘君が、語った一言が気になっています。
「おくりびと」の原点は、インドのガンジス川にあると、言っておられたと思います。
それで、私が感じたことは、「おくりびと」は、必ず人でないといけないのかということです。
かの一人暮らしの人の周りには、これまで彼が育てた草花がある。
すくなくとも、私にはそう思えるのですが・・・。

(10)人は死を恐れなくなったとき、平和な仙人のような静かな生き方が出るのではないでしょうか。
60
才を過ぎて、後の人生は儲けものと思うようになってから、私は健康になりました。
昨日までの一週間の私のタフ振りは、誰もが驚くのですが、この心境が年以上の健康に恵まれるのだと思っています。

(11)はじめまして、
たくさんの友人や家族に囲まれていても
孤独な人はいると思います。
自然の中のひとりぼっちが楽しいという人もいると思います。
孤独というのは、自分自身の心だと思います。
山で暮らしても、都会で暮らしても、孤独を感じる人は孤独です。
でも、孤独死はつらいです。 死んでゆく人は達観しているかもしれないけれど、残される人間にとってはつらいです。 
死に対しては、私はもうしばらくじたばたとしていたいと思います。

(終わり)