後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

人生の輝きと暗い日々(1)思いもしなかった老年の歓喜の日々

2009年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

過ぎ去った日々を思い返ると、その当時とは違う感慨におそわれることが多い。引退後に自分の人生を振りかえって、当時とは違った感じかたを持つものらしい。そんなあれこれをシリーズ風に書いてみたいと思う。

その手始めに、現在の心境を書き、この後で、「人生の哀歓」を現在の自分から見直してみて書いてみたいと思う。

現役の間、引退後の自分を想像していた。仕事も一切無くなり淋しいだろう。仕事仲間と一緒に飲んだり談笑する機会も無い。仕事しか興味が無くて趣味もない。暇が出来ても遊び方を知らないので毎日なすこともなく、無為の日々が流れて行くだけだ。

ところが、70歳で仕事を一切止めたら、毎日がパっと明るくなって楽しくなってしまった。大げさに言えは「歓喜の日々」が流れだしたのだ。

兎に角、仕事の為にと、したいことを我慢して来たがその必要がなくなる。頭の上の暗雲が突然消えてしまった。職場が無くなるので上司に気を使う必要が一切無くなる。傲慢な自分にとってそれだけで万歳と叫びたくなる。

引退までは、他人に自慢出来るような趣味を持っていないと信じきっていた。仕事一筋が美しい人生という風潮で働いてきた。それで趣味を趣味と認めたくなかったのかも知れない。

山林の中の貧しげな小屋へ細々と通うことなど趣味として他人へは言えない。中古のヨットを、よたよたと帆走させることは自慢出来ない孤独な楽しみだ。その上、現役の間、友人もあまり居ないと信じていた。

それが、現役を引退し、数か月過ぎてみると考え方がすっかり変わってしまった。それらは立派な趣味だと考えるようになったのだ。その上、ネットの上で驚異的にも友人が多数出来たのだ。

これらの友人の掲載記事や公開日記を読んで、毎日コメントを交換している。従来は仕事仲間としか付き合っていなかった。ネットの上での友人は年齢、性別、職業がいろいろあって考え方が非常に違う。自分の視野が広がり、とたんに世間が広がったような幸福感に包まれる。

毎日が楽しくなる。自分だけが老年を楽しんでいるではない。中高年の人々が書く随筆記事や日記を読むと皆が明るく楽しそうにしている。どなたも自分の昔の職場の厭な思い出は書かない。人間は悪いことは忘れてしまう。それが老年の歓喜の日々につながる。

しかし老年になれば肉体は衰え、病気にもなる。親しい人や恩人が次々と先に死んで行く。世の中が淋しくなる。しかし、「ものは考えよう」である。先にあの世へ旅立つ親しい人々や恩人は我々が淋しい気持ちで日々を過ごしていたら決して喜ばない。それ以上に子供や孫のような若い世代も淋しい老人は見たくない。見ただけで自分も暗い気持ちになる。

それだからこそ、明るく楽しく日々を過ごす方が良い。と、信じているのだ。このように書ききっている自分があまりにも楽天的なのかも知れない。家人もまったく同じ考えだ。

下の写真のような、陽春の陽に輝く山中湖の水面を見つめながら考えた文章です。

皆様のご意見は如何でしょうか?   (続く)

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八丈島に灯をかかげて78年―南海タイムス新聞社

2009年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

全国には約2000位の地方新聞があるという。筆写の住んでいる東京、小金井市には40年続いている「小金井新聞」がある。この1月の八丈島訪問以来、数回にわたって八丈島に関する記事を掲載してきた。その間、八丈島で昭和6年に創刊された南海タイムスの記事や写真を参考にして来た。この新聞は日本全国で3番目に古い地方新聞であるという。週刊で、タブロイド版4ページ、毎週金曜日3000部発行の本格的な地方新聞である。島の政治、社会、経済、文化など全てのニュースをバランスよく編集し、見やすく割り付けてある。添付した写真は今年の1月1日と3月13日の新聞1面である。購読者数は八丈島内で2600所帯、島外300所帯で毎週郵便にて配られている。島の所帯総数が4000弱であるからその約7割の家で購読されている重要な新聞である。先日、試しに購読申し込みをして電話で確認しながら編集の苅田義之さんにいろいろなことを伺った。新聞社の経営は決して楽ではないが、と言いつつ意気軒昂だ。島の人々のために不偏不党の新聞を作っている誇りが感じられる。

郵送されて来た新聞を読んで見た。紙質が良く多色刷りの新聞だ。ホームページから想像したより格段に立派な新聞だ。

(HP:http://www.nankaitimes.com/ 

この新聞は八丈島の歴史や文化に関する記事も多く、観光客のためにもなる。島へ行く前に読んでいなかったのが悔やまれる。興味深い新聞なので知り合った八丈島歴史民俗展示館の細谷 昇司さんへ依頼して新聞社を訪問して頂いた。細谷さんからの報告によると創設者は詩人の小栗又一氏で、その数年後、吉田貫三氏が写真植字機とオフセット印刷機を購入し新聞社としての基礎を固めた。現在の社主は吉田貫三氏の孫の菊池まり さん(女性)が務めている。

1980年(昭和55年)には50周年を記念して縮刷版を作成している。写真に細谷氏から送って頂いた、縮刷版の巻頭言を示す。読みにくいがこの新聞社の歴史が書いてある。

この新聞には八丈島のローカル文化が活き活きと描いてあるので続編にその紹介をしたいと思う。

今は亡き小栗又一氏と吉田貫三氏へ敬意を表したく思い、お二人の活躍した時代にふさわしい堅苦しい文章で綴ってみた。最後に新聞社訪問の労をとってくださった細谷昇司氏へ深甚の感謝の意を表する。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りします。    藤山杜人

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