後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

いよよ華やぐ いのちなりけり

2009年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

3月2日の掲載記事でネット友のmikaさんの悲しくて美しい文章を紹介しました。文章の一部を2つのSNSへも紹介し、興味のある人々は全文を読みました。そして読者から深い意味の感動的なコメントを頂きました。高年齢の人々の多いSNSなので、mika さんの文章をしみじみと身近に感じているようです。私も同じ老人として、「年々に我が悲しみは深くして いよよ華やぐ命なりけり」(岡本かの子)の境地でこのブログを書いています。少し「華やぐいのち」のほうへ偏り過ぎていますが。今後軌道修正いたします。

(Aさんからのコメント)

私の母は認知症で施設に入っています。大正10年生まれの88歳ですが体の方は、まだ至って元気です。この文章を読み、自分が同じ立場になった時、自分は母のことをどう考えるだろうかと思いました。産みの母ではない母ですが、敬愛しております。

(Bさんからのコメント )

母親への思いは特別なものですね。
小生も、34歳で母を亡くしました。既に28年前のことです。
火葬場で最後の別れをした時に、これが見納めと思う気持ちから、涙がとめどもなく流れました。今、その時の状況を鮮明に思い出しました。

(Cさんからのコメント)

とても美文で しかも・・・哀しく切ない訃報だが~~~
読み終えて清々しい
何故か・・・・それは彼らが神の掌に居ると思うからです

(Dさんからのコメント)

マンションのリビングから1人静かに夕日を眺めておられたお母様の姿、目に見えるようです。老いていくということは、すこしずつ喪失していくことでもあります。でもその喪失が決して悲劇ではなくて、なにか浄化に向かわせて行くもののような気がするのです。外を眺めるお母様も、それを背後から見守るこの彼女もどちらも美しい。そして、そんな人間の美しさに感動させていただきました。彼女とお母様のためにお祈りします。

年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり
                            岡本かの子

(Eさんからのコメント)

藤山杜人さん
お友達のmikaさんの文章を、高幡不動尊に沈む夕暮れの風景の写真ともに拝読いたしました。
mika
さんの文章からはとても優しさを感じました。
mika
さんのお母様が急逝なさったことは悲しいことですが、mikaさんのように徐々に死を受け入れられることは素晴らしいと思いました。

(Fさんかのコメント)

―――でも、通夜、葬儀、火葬、収骨・・・・としていくうちに気持ちが整理され少しずつ悲しみから解放されていくのが解って・・・お葬式ってよく出来ている、とあらためて感じました。
死者を現世から極楽浄土へ送る儀式は、同時に遺されたものの悲しみを上手く消化していく儀式なのではないかと・・・母の葬儀を体験して思いました。――――

私も身内の葬式をいくつか経験しましたが、遺族の悲しみを和らげるという意味で「お葬式は、よく出来ている」と感じました。

(Gさんからのコメント)

おはようございます。Mikaさんの文章を拝見させて頂き、感謝しております。
泣ける文章でした。自分の母の事を思い出してしまいました。
(98歳で亡くなりました)また、何度も読ませていただきます。


フォトアルバム「中古ヨットの買い方写真集」へ写真を追加しました

2009年03月03日 | 写真

昨日掲載しました東京都夢の島マリーナのヨットの写真4枚をフォトアルバムへ追加しました。

東京近辺で中古ヨットを買うおつもりの人はこのマリーナを何度か訪問して色々な中古艇の形や大きさ、特徴を比較したほうが良いと思います。4枚の写真にはそれぞれのヨットの特徴をコメントしました。

係留場所は随分と空きがあります。係留料金や東京ヨット倶楽部の入会金、会費なども調べてて予算を作りましょう。駐車場は広いです。

(終わり)


教養としてのキリスト教(2)リオのカーニバルと復活祭の関係

2009年03月03日 | うんちく・小ネタ

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カーニバルは謝肉祭と訳していますが、その意味を長い間理解出来ませんでした。

1972年に塚本金明神父様からカトリックの洗礼を受けて、はじめて体験的に理解できました。

キリストはユダヤ教の一派によって磔にされ、死にました。しかし3日後に生き返り12人の弟子たちの前に現れます。今から2000年ほど前のイスラエルで起きたことです。この復活を記念した祭りが復活祭です。毎年3月の末から4月にかけてのある日曜日が復活祭です。今年は4月12日の日曜日です。

キリストが磔になったのですから信者は嘆き悲しみます。そこで復活祭の前の40日間を四旬節と言い、禁欲的な毎日を過ごします。現在でもカトリックの国々では派手な歌舞音曲は控えます。肉料理もなるべき食べません。それ故、四旬節に入る前には肉料理の食べ納めをします。一年中食べてきた肉へ感謝しながら、食べ納めをする訳です。それが謝肉祭です。ついでに派手な音楽やダンスをして四旬節に入ったら禁欲的な日々をおくる決心をします。

1970年の3月は南ドイツに住んでいて、四旬節を体験しました。その地方では派手なカーニバルは有りません。四旬節に入るとラジオから毎日悲しそうなクラシック音楽が流れます。ミュンヘン地方ではマタイ受難曲が何度も上演され、その話題がマスコミを賑わします。四旬節の間は街が静かになったような感じがします。

従ってリオのカーニバルは必ず四旬節の前に開催されます。その後は肉料理を控え禁欲的な日々が40日続くのです。

ローテンブルグ・オプ・デア・タウバーのレストランでは一年中、金曜日には肉料理がメニューに無く、魚料理しか出さない店もありました。主人がカトリック信者なのです。

この様にカトリックにとって一番重要なのは禁欲的に過ごす四旬節であって、カーニバルは重要ではないのです。日本のマスコミは四旬節のことを無視して、南米の派手なカーニバルの様子だけを報道します。ですから、カーニバルの大げさな祭りの意味を理解出来なくなります。

もっともキリスト教と言ってもプロテスタント諸派には四旬節やカーニバルを重要視しない宗派もあるようです。

仏教にも十三宗とその他多くの宗派がありお釈迦様の教えの解釈と、重点を置く部分が非常に異なります。それと同様にキリスト教も宗派によって色々と異なります。

カーニバル、四旬節、復活祭はカトリックではクリスマスと同じくらい重要な行事ですが、全ての宗派で同じではありません。この違いが宗派同士の争いの原因になりがちなので、宗教にとって一番重要なことは寛容の精神なのです。

尚、上に掲載した写真は近所のサレジオ学園の教会の鐘楼です。昨年、10月に撮った写真です。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。      藤山杜人