3月2日の掲載記事でネット友のmikaさんの悲しくて美しい文章を紹介しました。文章の一部を2つのSNSへも紹介し、興味のある人々は全文を読みました。そして読者から深い意味の感動的なコメントを頂きました。高年齢の人々の多いSNSなので、mika さんの文章をしみじみと身近に感じているようです。私も同じ老人として、「年々に我が悲しみは深くして いよよ華やぐ命なりけり」(岡本かの子)の境地でこのブログを書いています。少し「華やぐいのち」のほうへ偏り過ぎていますが。今後軌道修正いたします。
(Aさんからのコメント)
私の母は認知症で施設に入っています。大正10年生まれの88歳ですが体の方は、まだ至って元気です。この文章を読み、自分が同じ立場になった時、自分は母のことをどう考えるだろうかと思いました。産みの母ではない母ですが、敬愛しております。
(Bさんからのコメント )
母親への思いは特別なものですね。
小生も、34歳で母を亡くしました。既に28年前のことです。
火葬場で最後の別れをした時に、これが見納めと思う気持ちから、涙がとめどもなく流れました。今、その時の状況を鮮明に思い出しました。
(Cさんからのコメント)
とても美文で しかも・・・哀しく切ない訃報だが~~~
読み終えて清々しい
何故か・・・・それは彼らが神の掌に居ると思うからです
(Dさんからのコメント)
マンションのリビングから1人静かに夕日を眺めておられたお母様の姿、目に見えるようです。老いていくということは、すこしずつ喪失していくことでもあります。でもその喪失が決して悲劇ではなくて、なにか浄化に向かわせて行くもののような気がするのです。外を眺めるお母様も、それを背後から見守るこの彼女もどちらも美しい。そして、そんな人間の美しさに感動させていただきました。彼女とお母様のためにお祈りします。
年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり
岡本かの子
(Eさんからのコメント)
藤山杜人さん
お友達のmikaさんの文章を、高幡不動尊に沈む夕暮れの風景の写真ともに拝読いたしました。
mikaさんの文章からはとても優しさを感じました。
mikaさんのお母様が急逝なさったことは悲しいことですが、mikaさんのように徐々に死を受け入れられることは素晴らしいと思いました。
(Fさんかのコメント)
―――でも、通夜、葬儀、火葬、収骨・・・・としていくうちに気持ちが整理され少しずつ悲しみから解放されていくのが解って・・・お葬式ってよく出来ている、とあらためて感じました。
死者を現世から極楽浄土へ送る儀式は、同時に遺されたものの悲しみを上手く消化していく儀式なのではないかと・・・母の葬儀を体験して思いました。――――
私も身内の葬式をいくつか経験しましたが、遺族の悲しみを和らげるという意味で「お葬式は、よく出来ている」と感じました。
(Gさんからのコメント)
おはようございます。Mikaさんの文章を拝見させて頂き、感謝しております。
泣ける文章でした。自分の母の事を思い出してしまいました。
(98歳で亡くなりました)また、何度も読ませていただきます。