普通、初詣は神社へ行きます。しかしどんな宗教でも新年を祝い、新しい年の平安を祈るのは同じ事です。
私の行っているカトリック教会では毎年、元旦は朝11時から新年のミサがあります。ミサの内容は何時もの日曜のミサと同じですが、加えて新年の平安を祈ります。
カトリックのミサでは、まず旧約聖書と新約聖書を朗読します。その後で神父様の説教があります。信者が信仰宣言をし、主の祈りを唱和します。
そして最後に神父様が「イエスの体」と言いながら信者の一人一人へパン片を手渡します。それを食べてミサは終わります。ミサの間に数曲の聖歌を歌います。
カトリックやロシア正教とプロテスタント教会の相違は「イエスの体」を食べるか、食べないかの点にあります。
信者が毎日曜日にイエス様の肉体の一部をパン片として食べるという事は人間の原始的な宗教心の名残りです。ですからカトリックやロシア正教(ギリシャ正教)を旧教と呼び、プロテスタント諸宗派を新教と言うのかも知れません。この書き方は私だけが考えた分かり易い説明です。それだけに大きな神学的な間違いがありそうですね。
しかし「イエス様の肉体」を食べるとイエス様の愛を実感出来るのも不思議な体験です。このような荒唐無稽な事を大切にしている欧米人が多いという事実を見落とすと欧米文化の理解が浅薄になります。
人間は不合理なものです。矛盾に満ちています。仏教を信じている日本人と同じです。どちらかが優っているという事は絶対にありません。民族文化に優劣が絶対に無いことと同じなのです。
今日の年初のミサでは、特に東日本大震災の犠牲者のご冥福をお祈りしました。そして避難生活をしている30万余の方々が一日でも早くもとの生活に戻れるように神に祈って来ました。イエス様へ祈って来ました。マリア様へ祈って来ました。日本の殉教者、26聖人へ祈って来ました。
下に2枚の写真を示します。上の写真では神父様が金色の大きな器に入れた無数のパン片をイエス様の体に変化させる儀式を行っている様子です。
下の写真は神父様が行列をつくって前に進んで来たシスターや信者一人一人へ「イエスの体」と言いながらパン片を手渡している様子です。
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