後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

老人になると広い公園が有難くなる・・・日野市に仲田の森公園が新しく出来る

2012年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム

老人にとっては公園ほど有難いものはありません。特に平日の公園は人影も少なく静かです。

ゆっくり、ゆっくり散歩しながら冬の木々の梢を見て楽しみます。

樹木は蒼穹に美しいシルエットを描き、冷たい風に揺れています。

私の趣味として、このような公園へ行って、ゆっくり散策する楽しみがあります。

車で半径30km位以内の数多くの公園は全て行きました。

東京の西の郊外には都立小金井公園、武蔵野公園、野川公園、小宮公園、国立の昭和記念公園、村山貯水池公園をはじめ、府中市、国分寺市、立川市、日野市、八王子市などの市が作って管理している公園が多数あります。

今日は日野市の運動公園へ行きました。その隣には昔の蚕糸試験場の跡地があります。戦後65年、閉鎖されて来たため雑木林が大木の森になっています。最近では「仲田の森」と呼ばれて保存されています。

その周りには遊歩道があり、今日もその写真を撮ってきました。

写真を撮っていたら日野市の教育委員会の柳本太郎氏が話しかけて来ました。そして「仲田の森」が間もなく公園として整備され、一般へ開放されることを教えてくれました。その上、柳本太郎氏は昔の蚕糸試験場の古い建物を保存し、地域の活性化のセンターにする運動をしているそうです。

とても感じの良い柳本太郎氏のお話を聞き、ほのぼのとした気分で散策してきました。

下に今年中には公園として公開される「仲田の森」の風景をお送りいたします。

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蚕糸試験場の周りは水田でした。現在は住宅地になってしまいましたが、水田のための水路に美しい水が流れています。この写真のあたりが蚕糸試験場の正門で左の奥に建物群がありました。

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蚕糸試験場の跡には雑木が茂っています。

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蚕糸試験場は普通は閉鎖されていますが、今日は幸運にも近所の幼児の遊び場として使用されていました。

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蚕糸試験場から2、3分歩くと多摩川の堤防に出ます。左手にはJR中央線の日野駅に入る鉄橋があり、その向こうには奥多摩の山並みが見えます。

私事で恐縮ですが、家内の祖父母の家が当時の日野町の中宿にあったので、結婚の前後にはこの堤防へ家内と一緒によく散歩に行ったものです。中宿の家内の祖父母の家からこの写真の多摩川までは一面の水田でした。

現在は水田が完全に消えて、道路が碁板の目のように走る住宅地になってしまいました。もう50年も前の事を思い出しながら多摩川の堤防の上も散歩して来ました。(終り)


(4)星空のかなたに住みたまう全知全能の神とお釈迦様

2012年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム

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鎌倉、建長寺の鐘です。

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三門の向こうに大きなお堂が見えます。下はその左奥にあるお堂の前で、2人の若い女性が中の仏像に拝んでいる風景です。

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上の3枚の写真は鎌倉の建長寺です。

これらの写真をご覧下さい。そしてご自分が静かに歩いているとご想像下さい。

心が休まりませんか?

私はこの様な所を悠々と歩いていると幸福感に包まれます。この悪い私の心が清くなるような気分になります。肉体が軽く感じられます。

私は仏教徒なのでしょう。そしてキリスト教の洗礼も受けています。

日本には古来から神仏混淆というものがありました。私の場合は仏教とキリスト教の混淆です。しかし矛盾は感じません。キリスト教の洗礼を受けてから一層仏教を深く理解出来るようになりました。一層好きになりました。

お釈迦さまや玄奘三蔵法師や弘法大師を一層強く尊敬出来るようになりました。

お釈迦様が何故ご自分の像を作ることを禁止したか理解出来るようになりました。玄奘三蔵法師が死後、遺骨を長安の郊外の荒れ野に捨てなさいと遺言した理由も分かりました。お釈迦様はこの世の富や権力に執着してはいけないと教えました。死後の世界に執着してもいけないと教えました。全ては空です。無常なのです。そのようなことに執着しているかぎり人間は幸福になれないと教えました。

しかしお釈迦さまの死んだ後、人間はいろいろな仏像を作りました。

弥勒菩薩、盧舎那佛、観音菩薩、薬師如来、地蔵菩薩、弁財天、吉祥天、などなど無数の仏像にがあります。お釈迦様が禁止したのに何故こんなに佛像があるのでしょうか?お釈迦様のお姿を像に出来ないので、代わりに有難い教えの内容を象徴する像を作ったのです。ちなみに私が好きな仏像は観音菩薩像ですが。

それはそれとして、人間はこれらの仏像を拝んで家内安全、先祖の冥福、世界の平和など全ての願いを祈ったのです。

それ以上のことを考えない方が良いのです。神様のことなど考えないで済めば幸せです。人間は余計なことを考えないほうが良いのです。

しかし明治維新で欧米の文化を輸入した以上は、向こうの人々の宗教を考えるのが人間らしい生き方です。私も例外ではありません。

お釈迦さまは、西暦紀元以前の450年ほど前(現在より2460年位前)に現在のネパールでお生まれになったのです。

一方、星空のかなたに住みたまう全知全能の神はそれより以前、悠久の昔から存在していたように思われます。

以下は全くの夢のような仮想です。

全知全能の神が佛教国に現れる時に、もしかして、お釈迦さまのお姿で来て下さったのかも分かりません。

同じように、アイヌ民族に現れるときは梟や御幣棚の神々、火の神、家の神になって来て下さったと仮想的に考えることもできます。

地球上に宗教が関係した戦争が絶えません。いろいろな民族が自分達固有の宗教を持ち、他の民族の宗教を抹殺しようとするから宗教戦争がおきます。

しかし全ての宗教の共通なもの、すなわち全能の神を仮想すると、お互いがもう少し歩み寄ることが出来ると思います。

世界には全知全能の神を考える必要の無い民族が沢山居ます。戦争をしない限り、それはそれで良いのです。

地球上の全ての民族は全ての宗教を尊敬し、お互いに平和に暮らすことが良いのです。星空のかなたで神様がそれを願っているのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)