私はアメリカへ留学してから外国語は日本語へ翻訳出来ないと信じています。一つの外国語にピッタリ当てはまる一つの日本語が存在しない場合があまりにも多いことに気づいたからです。
その上に翻訳文そのものが日本語として理解困難な場合が多いのです。
たとえ一対一にぴったり対応する言葉があっても、訳者が必要以上に難しい漢語や学術用語を使い過ぎるから翻訳文が分かりにくなるのです。
分かりにくい言葉を使うと学術論文の権威が上がるという唾棄すべき風潮が存在していたのです。欧米からの翻訳は「解体新書」のような学術文から始まったので例外ではありません。
したがって欧米語からの翻訳文にはやたら難しい漢語や抽象的な表現が多く、その意味を理解することは大変なのです。
その一例がキリスト教の聖書なのです。私はカトリック信者ですが、正直に言えば聖書にはわけの分からない個所があまりにも多いのです。ですから私は聖書を理解していません。文語体から口語体になっても同じことです。
この私の頭をガンと金属製のバットで殴ってくれたのが、山浦玄嗣著「イエスの言葉」-ケセン語訳(文藝出版社、初版2011年12月20)という本なのです。本好きの家内が書評欄で見つけ取り寄せて読み、感動して私にも読むように薦めました。読み始めてみると止められずグングン惹き込まれていきます。
まず、山浦玄嗣さんは本物のクリスチャンだと感動します。しかしこの本はキリスト教に無関心な人々が読んでも衝撃的な面白さを感じるはずです。
宗教と関係なく日本人の翻訳文化の陥穽を明快に指摘しているのです。外国のことは何でも知っている、理解していると信じ切っている人々へ重大な問題を提起しています。そしてこの本はこの問題を乗り越える方法も教えているのです。
この記事の表題は、「明治維新後の翻訳文化の根本的な間違い・・・山浦玄嗣著「イエスの言葉」-ケセン語訳ーを絶賛する!」としました。その理由はキリスト教に関心の無い方々に是非読んで頂きたかったからです。
内容を説明します。聖書に「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」という文があります。意味不明で有名な箇所です。私も気分的には分かったような感じですが、こんなあいまいな文章があちこちにある聖書なので困っていました。そこを山浦さんは以下のようにケセン語で訳しています:「頼りなぐ、望みなぐ、心細い人ア幸せだ。神さまの懐に抱(だ)がさんのアその人達だ。」
このような訳文なら私にもストンと分かります。聖書の書かれた古ギリシャ語を正確に翻訳すると、心貧しい人は・・・頼りなぐ、望みなぐ、心細い人・・・となるのです。
山浦さんは原語の「プネウマ」にぴったり対応する日本語が存在しないことに気がつき、「頼りなぐ、望みなぐ、心細い」という3つの言葉で説明しています。これこそが正しい翻訳の姿勢なのです。
日本にある聖書は古ギリシャ語から英語やフランス語へ翻訳された二次資料を翻訳したから、わけがわからなくなった場所があちこちに出来てしまったという指摘に感心し、納得します。
こういう説明が沢山書いてあります。それを見ると山浦さんも私のような凡俗な信者も理解出来ないところは同じ所なのだと安心します。
ケセン語とは岩手県の大船渡市、高田市、宮城県の気仙沼市のある地方で昔から用いられていた方言です。アイヌ語の影響を受けた独特な東北弁です。
山浦さんの偉い所はまず25年間かけてこの気仙地方の方言のケセン語を集大成してキセン語辞典を完成したのです。そしてその後で聖書の原文の古ギリシャ語を勉強して、その原文の意味をケセン語に翻訳して完成したのです。
さて山浦さんのことをご紹介します。1940年生まれのお医者さんです。東北大学の医学部を優秀な成績で卒業しながら大船渡市の一介の開業医になります。
ケセン語を体系的に整理し辞典を作ったり、古ギリシャ語を独学でマスターしました。聖書の研究も普通の神学者を超えています。要するにピカピカの秀才なのです。このようにご紹介すると冷たい学問肌の医者のように思われます。
しかし彼は本当に温かい人柄なのです。愛情あふれる人なのです。この本を読むと彼のやさしさが溢れ、流れ出てくるのです。読みやすい文章です。
彼の病院は大船渡市にありました。3月11日の大津波は病院の一階を泥海にし、残ったものはガレキの山でした。幸い2階は無事だったので救援に来たボランティアの寝泊まりする場所に提供したのです。その山浦さんの文章を以下に引用させて頂きます。
「あの恐ろしい大津波の後、変わり果てた瓦礫の野に立ち、外界との連絡も全くとだええて、涙を流すことさえも忘れてて呆然と立ちすくんでいたとき、私は本当に「頼りなく望みなく心細い人」だったと思います。そんな私がはじめて涙を流したのは、まっさきに駆けつけて、遺体の捜索に、瓦礫の撤去に泥だらけになって黙々と働いている自衛隊員の姿を見たときでした。あの感謝の感動を私は忘れることが出来ません。そして全国から、いえ世界中から、たくさんの助っ人が続々と大船渡にやって来ました。カナダやアメリカから駆けつけて、せっせと泥さらいをしている青年達の姿に、何度泣かされたことか。それはすばらしい涙でした。嬉しい幸せの涙でした。こんなにたくさんの人々がわたしたちのことを心配して、わたしたちのために駆けつけて、わたしたちのことを大事にして、黙々と働いてくださっている。こんなに人さまから大事にされたことが、東北人にはあったのであろうかとさえ思いました。・・・」。そして大船渡市の人々が、言葉の通じない外国からのボランティアの人々へ飲みものや食べ物を手渡す美しい情景が書いてあるのです。
私もこの引用文を打ち込みながら涙が流れています。山浦さんのやさしさに打たれているのです。この本に関することは続編でも書き続けるつもりです。
今回はこの辺で失礼いたします。お読み頂きまして本当に有難う御座いました。(続く)