後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「愛」という言葉こそ、日本人がキリスト教を誤解する原因になった!

2012年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

愛という言葉は明治維新後の欧米の文学作品の翻訳に頻繁に用いられるようになったのです。勿論、江戸時代以前にも愛という言葉は存在していましたが、頻繁には用いられませんでした。

ですから愛とは翻訳文学に現れた中国語から来た人造語なのです。昔は男女がお互いに、いとしいと思い、好きになり、恋焦がれると表現していました。しかし明治以後は恋愛と称するようになったのです。そして男女が愛し合えば幸せな結婚生活が続くと言うようになったのです。

ですから愛という人造語の狭い意味は男女間の「恋いこがれる思い」を意味します。

ところがキリスト教の聖書を翻訳するときこの人造語の愛という語を使ってしまったのです。そしてキリスト教は愛の宗教だと言い出したのです。

冗談ではありません。そんな誤訳をしたので、日本人が非常に違和感を持ってキリスト教を見るようになったのです。

私は新約聖書の中に「愛」という言葉が出て来る度に、それを「大切にする」と言う言葉に置き換えて読んでいました。そうすると前後の文章が自然につながり意味が明快に分かるのです。例えば「隣人を愛せよ」という言葉は「隣人を大切にせよ!隣人を尊敬せよ」と読むのです。その事は12月に掲載した記事、キリスト教と仏教の楽しい交流と融和・・・対立より愛を に書いてあります。

ところで、昨日、山浦さんの聖書のケセン語訳の本を読んでいたら私の勝手な訳し方と全く同じことが書いてあったのです。昨日の記事は、明治維新後の翻訳文化の根本的な間違い・・・山浦玄嗣著「イエスの言葉」-ケセン語訳ーを絶賛する! です。 

山浦さんによると、愛は古代ギリシャ語のアガパオーの訳です。その言葉を直訳すると「大切にする」です。このことは山浦玄嗣著「イエスの言葉」の115ページに明快に書いてあるのです。

この「大切にする」をケセン語に訳せれば「大事にする」となるのです。

聖書のなかで日本人が一番不思議に思う言葉は、「汝の敵を愛せよ」という言葉です。

これを山浦さんはケセン語で、「かだぎ(敵)だってどごまでも でアじ(大事)にしつづげろ(続げろ)」と翻訳しているのです。

敵を憎いと思うのは自然な感情です。イエス様はそのことを禁じているのではありません。しかし憎くても、あいつも人間だと大切に思いなさいと言っているのです。

上杉謙信が武田信玄へ塩を送った行為が「敵を大切に思った」行為なのです。上杉謙信は武田信玄を憎んでいたのは当然です。厭な奴こそ大切にする人は尊敬に値いするのです。

山浦さんは正式に公認された日本語の聖書の権威を認めていないようです。そんな俗世間の権威などイエス様や神様の偉さの前にはチリのようなものです。

今日は、山浦さんの本を読みながらフランス文学者の村松剛さんが書いた「教養としてのキリスト教」(講談社現代新書、初版1965年)も読んでいました。博学です。ものすごいインテリです。キリスト教の歴史から、ヨーロッパ文化に与えた影響まで体系的によく整理して書いてあります。優れた本です。

とても面白い事に気がつきました。村松さんは「あくまでも教養としてのキリスト教」を書いたのです。山浦さんは「あくまでも自分の、そしてキセン人の信仰の対称としてのキリスト教」を書いたのです。人それぞれどちらが好きでも結構です。ただこの違いの分かる人になって貰いたいと祈っています。そうすれば日本人のキリスト教へ対する考えが変わってくると、私は信じています。

皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。(終り)


結婚とは何かと時々考える

2012年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜から再び雪が降りだしました。雪が降るとはしゃぐ家内が庭に飛び出して写真を撮ります。その様子をみると不思議な人と結婚したと思います。そして結婚以来51年のいろいろを思い返します。ついでにもう少し深く結婚とは何か考えてみました。

少し理屈っぽいことを書くつもりなので、その前に庭の雪の写真をお楽しみ下さい。

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・上は夜の雪の風景で、下は朝日に輝く軒先のつららです。

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結婚とは何でしょうかと問えば、あなたは明快に答えられますか?

人さまざま。結婚生活の長さ。離婚の経験の有無。子供や孫の有無。答えは人によって様々です。全ての人が納得する答えが無いのが自然です。

しかし「結婚とは何か?」という疑問を私は時々考えます。考えると妻への感謝の気持ちが湧いてきます。そして妻との性格の違いや育ちの違いの大きさにあらためて驚きます。

妻は楽天的で優しい性格で家庭内のこまごましたことをそつなく解決してしまいます。料理も上手です。スケートや乗馬が好きで60歳になるまでしていました。野球や相撲の番組を熱心に見ています。急に大声を上げて応援するのでビックリしてしまいます。

私は反対に運動音痴でスポーツは一切興味がありません。しかし25年間、ヨットの趣味を続けました。でもヨットの趣味は風や波と遊ぶ自然志向の趣味で、スポーツとは考えませんでした。

妻は掃除はよくしますが整理整頓が出来ません。私は整理整頓が得意です。

本はよく読みますが源氏物語のようなあいまいな表現の物語や小説、詩歌が好きです。はっきり言えば論理的に理解するのでなく感情で理解します。国際政治や経済問題には関心がありません。

私は間接表現の小説は大嫌いです。比較文化人類学や国際関係に関する本が好きです。

妻は子供や孫を可愛がりますが、少し度が過ぎるように見えます。

育った家庭や環境が私とはあまりにも違います。ですから外国人と結婚したような気がします。

結論を言えば、「私は結婚生活に成功しました」。その最大の原因は自分とあまりにも違う性格の人と一緒になったからです。あまりにも育ちの違う人と一緒になったからです。同じ日本人同士ですが、ときどき外国人と結婚したような感じがします。

しかし幸せな結婚の条件は上に書いたことではありません。それが証拠に性格の相違や相性の悪さで離婚する人が多いのです。

万人に共通な幸せな結婚の秘訣や条件は存在しないと考えた方が良いと思っています。人間の浅知恵では分からないというのが本当です。

たった一つ絶対の真理があります。それは相手に対する感謝の気持ちを持ち続ける事です。それさえあれば四六時中、「愛しているよ」などと歯の浮くような台詞を言う必要なんてありません。でも時々は言いましょう。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)