後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

(3)星空のかなたに住みたまう全知全能の神に関する大地一人さんとのメールの交換

2012年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

大地一人さん

明けましておめでとうございます。

昨年、お許しを頂いていました貴作品の中から随筆を2編、今日転載させて頂きました。

2012/01/04
「大地一人氏の傑出した作品群をご紹介いたします」
という題目の記事です。

そのうち又間をおいて他の作品をご紹介させて頂きたいと思います。どうぞ転載をお許し下さい。その折にはまたご連絡いたします。

それにしても凄い才能の持ち主と改めて吃驚いたしました。
どうぞ今後もよろしくお願い申し上げます。
敬具、後藤和弘
===大地さんからの返事=======

ありがとうございます。

貴日記にもコメさせていただきましたが、
私自身はとんでもないダメ男です。
神様を信じようとしていることだけが、唯一の取り柄です。

私はゼロ、神様=∞です。

私=ラーメンの丼、 神様=中身

・・・ですので、私を見ても、何の栄養にもなりません。

今日外出したら、ものすごい寒さでした。
でも心次第で温かくなるんだと思いました。

===後藤から大地さんへ======

大地一人さん

こんにちは。
以下の記事へついてご指導をお願いします。
「ロシア正教の神もカトリックの神も同じ神?・・・そしてユダヤ教の神と同じか?」
この記事は、http://yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp/blog/ にございます。
1月8日のブログの記事です。
大地さんは神の存在を信じていらっしゃるので、是非ご指導をお願いいたします。
それからフラクタル理論で神の存在を証明したということを分かり易く書いたものがございませんでしょうか?
以上、お時間のあるときよろしくお願い申し上げます。
敬具、尊敬をこめて後藤和弘より、

===大地さんからの返事=====

こんにちは

神の問題につきましては、発想の転換が必要です。
これについては、すぐに理解していただけるかどうか・・・・
また日を改めて、メールを送りたいと思います。

神についてのわかりやすい説明は、
以下に書いてございます。
よろしければ、御覧下さいませ。

http://www5.ocn.ne.jp/~gobest/godthelast.htm

===再び後藤から大地さんへ====

大地さん

早速のご返事有難う御座いました。
はっきり質問の趣旨を申し上げます。
大地さんは東大卒のエリートですが、偶然にも仏教やキリスト教の宗教的訓練無しで、神の存在を確信したように感じています。
もしこの私の感じ方が正しかったら、私のブログの今日の記事や明日の記事をご覧頂いてご指導頂ければ嬉しく思います。
大地さんの信ずる宗教は佛教ですか?キリスト教ですか?
この様な愚問を送れば、この私の問題提起の意味が分かって頂けるものと思いんます。

宗教を人間が考えだす前に星の彼方にすでに神が居たというのが私の結論です。
しかし私は同時に、いろいろな宗教の重要性を強調したいのです。
大地さんのように賢い人には宗教は不要ですが、私のような凡人には大きな助けになるのです。
このメールの交換は、この文面も含めて私のブログでご紹介したしと考えています。フラクタル理論も合わせて御紹介致します。
公開を前提に御返事を頂ければ最高に嬉しいです。
ご意見をお待ちしています。

敬具、尊敬をこめて後藤和弘より、、、

===大地さんからの返事=====

ありがとうございます。
私は誰よりも、神を信じたいと思って生きています。
私は以前、キリスト教、イスラム教、仏教と、いろいろ信じました。キリスト教の洗礼も受けています。
しかしカントの理論を読み、現況の思考経路では、神の証明はできないと言うことがわかり・・・最初から、それを根本的に改めました。
新しい思考経路は、最新の素粒子物理学や宇宙論とも、ピッタリ適合しています。
かくして、私は神の存在証明を一からやりなおしました。
それは「宇宙を見れば神は存在しないが、自分自身には、神は存在すると言うもの」です。
これを理解するには、自分の父親を思い浮かべればいい。
「共通の父親」なんて存在しません。自分の父親しか存在しません。神もそのように捉えるとわかりやすいでしょう。
ですから聖書にあるごとく、みだりに神の名前を唱えることは間違いです。
私が神をあまり発言しないのはそのためです。
「神」と言った途端、皆、違う「神」を考えてしまうからです。
「おいしい料理」と言うと、皆が違うものを想像するのと同じです。
どんな宗教も、支持したいですね。

===大地さんへの後藤からのお礼状===

大地一人さん

早速のご返事有難う御座いました。
明快なご返事でよく分かりました。同感です。

有難う御座いました。

敬具、後藤和弘

全知全能の神様の記事のあとで「うなぎの蒲焼」とは不謹慎で済みませんが、

2012年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

(1)星空のかなたに住みたまう全知全能の神とユダヤ教やキリスト教の関係と、私の信仰(2)星空のかなたに住みたまう全知全能の神とアイヌ民族の神々 というような高尚な記事のあとで「うなぎの蒲焼」のことを書くのは大変気が引けます。

このブログではなるべく食べ物に関することは書かないようにしています。戦前、戦後の育ちのせいで、小さい頃から食べものに執着することは賤しいことだと教わりました。しかし「うなぎの蒲焼」だけは例外です。

家内の好物なので旅に出た折には一緒に食べて帰ってきます。

ですから、うなぎの蒲焼の事を書くと、家内と一緒に行った旅のことを思い出して楽しいのです。

昨日も川越に行って、江戸末期からの小川菊という店で「うな重」を食べて来ました。

先週行った鎌倉でも駅前の浅羽屋という店で「うな重」を食べて来ました。

そして飯田のウナギ屋や、霞が浦の山中のうなぎや、行田のうな重や、諏訪湖周辺の蒲焼などを思い出しました。その折々の旅の楽しさを思い出します。

うなぎの蒲焼は店々によって味が微妙に違います。地方、地方にはその土地の伝統的な味が残っています。地方の土着の味がするようで心楽しいものです。

そのような店々をまとめて以下にご紹介致します。

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川越の中心街にある小川菊(おがぎく)の店です。江戸末期から続く老舗です。

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味は砂糖が少なめで醤油味が強い昔風です。昔風というより土着の味のようでした。

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鎌倉駅から八幡様の参道へ出た所にあるウナギ専門店です。戦後すぐの操業です。味は昔風で甘くないのですが何故は上品な味に仕上がっていました。

続いて飯田のうなぎ料理の「なる瀬」、霞ヶ浦の「うなぎの山中」、行田の魚豊、諏訪湖周辺のうなぎ専門店を御紹介いたします。

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(1)これは飯田の「なる瀬」の経営者御夫妻です。説明文は写真の下にあります。

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(2)これは霞ヶ浦の「うなぎの山中」の白魚と蒲焼です。説明文は写真の下にあります。

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(3)これは行田の「魚豊」の蒲焼です。説明文は写真の下にあります。

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(4)これは上諏訪の「うな藤」のうな重です。説明文は下にあります。

====説明文(詳しくは記事の題目をクリックすると出てきます======

(1)飯田の「なる瀬」:うなぎの好きな方々へ自信を持ってお勧め出来る店を発見!

この店は、うなぎ料理「なる瀬」という名前で、JR飯田駅から中央通りを5分ほど歩き、りんご並木通りの手前の通りを左へ曲がったところにある。 

うな重の味の好みは人それぞれ。ただ最近の東京の有名ウナギ店の味は甘ったるい味になってしまった。そうかと思うと反対に甘みがなく、身の脂肪も少ない蒲焼を意図的に出す店もある。なにかバランスが悪いのです。ウナギを食べたという満足感があまりしない。以前の(現在のではない!)「竹葉」の味が懐かしいと家人が時に洩らす。

江戸時代は砂糖も貴重だし、天然ウナギなので脂肪分も少なかったのだろう。しかしこの飯田のうなぎのかば焼きは充分脂ののった身の厚い、ふくよかなウナギを滋味深い甘さで仕上げてあり完璧なうな重でした。その他のウナギ料理も美味でした。(終わり)

うなぎ料理「なる瀬」;飯田市中央通り3丁目41番地、電話0265-21-0690

写真撮影:2008年8月25日夜8時頃

このブログの8月23日に、「伝統の帆引き網漁の写真」と記事を掲載しました。その末尾に、白魚の生の刺身は蓮田の中の「うなぎの山中」(電話0298-28-0804)で食べることが出来ます。川海老の天麩羅や釜揚げもあります。うなぎは焼きの濃い昔風の蒲焼です。と書きました。そこで先日(10月24日昼)に食べたときの写真を掲載します。多量のシラウオのサシミは酢味噌で食べます。(一皿1000円)

うなぎの山中はHPも有りませんので、電話で場所をよく聞いて、地図で確かめた上で行かないと大変です。土浦駅東口から数キロ離れた交通不便な田舎にあります。

(3)行田の魚豊:行田のウナギ

<shape id="図_x0020_6" o:spid="_x0000_i1029" type="#_x0000_t75" alt="006_2" href="http://yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2008/06/08/006_2.jpg" o:button="t" style="WIDTH: 75pt; HEIGHT: 56.25pt; VISIBILITY: visible; mso-wrap-style: square"></shape><imagedata o:title="006_2" src="file:///C:DOCUME~1gotouLOCALS~1Tempmsohtmlclip11clip_image004.jpg"></imagedata>カバヤキの味は甘くなくさっぱりしていて粋な江戸前風。ウナギの身は厚すぎずしかもふっくらとして脂も乗っていて申し分が無い。蜂蜜入りの諏訪湖、うな藤のウナギと対象的なカバヤキ。ウナギほど店によって焼き加減や味、ウナギの身が違うものは無い。行田へ行ったら是非と、お勧めします。

うな重、上、1990円(上の写真)、中、1360円、姫、1100円、他に天然ナマズの天麩羅(840円)もある。鯉、どじょう、山女魚、など色々川魚料理もある。

撮影場所:行田市行田20-17割烹 魚豊、(文久二年創業)、国道125号線沿い、市役所から東方向へ200mほどのところ、名物菓子店、「十万石」の左。駐車場十分広い。(電話:048-553-3113、Home Pageは無い)

撮影日時:2008年6月7日正午頃。 

(4)上諏訪の「うな藤」:

諏訪湖周辺のウナギの蒲焼

全国各地の湖の周辺にはワカサギ、鯉、ウナギなどの川魚料理店が昔から有った。諏訪湖もその一つ。昨日は「うな藤」へ行ってきた。

蒲焼の身が厚く、しっかりした歯ごたえ。タレは蜂蜜入りの甘い醤油味。上の写真は上うな重(2300円)だが厚いウナギが3切れもついていた。焼き方は焦げ目を十分つけた深い焼き方。濃厚な味の厚い身を食べこの上ない充足感を得た。諏訪湖の周辺のカバヤキは焼き方を十分にし、甘い濃厚な醤油味が特徴らしい。東京の味とは違ってローカル文化の主張がある。(うな重は他に特上3000円と中1750円もある。)

ウナギはしばらく食べなくとも良い感じである。

食前にワカサギの唐揚と甘露煮の盛り合わせ(550円)とシジミの時雨煮(320)で生ビールを頂く。ワカサギがまだ小さい季節なので味は絶妙で柔らかい。シジミも3年前から稚貝を撒くようになってから取れ出したという。酒のツマミには他に、蜂の子、イナゴ、山菜など色々あり地の味覚楽しめる。

下列の最後の写真は昨年カバヤキを食べた岡谷にある「うなぎのあら川」の店の写真である。味は同じく甘く濃厚な醤油味で香ばしく焼き上げてある。この店の場所は諏訪湖から天竜川へ水を出す堰のすぐ前である。

諏訪湖周辺には諏訪市、下諏訪町、岡谷市があるが昔からのウナギ屋が数多くあり検索すると詳細が分かる。しかし、うな藤のようにHome Page を持っていない店も有るので要注意。(岡谷市、下諏訪町、諏訪市のそれぞれの観光・グルメ情報を検索すると「ウナギ蒲焼料理店の住所や地図が調べられる)

うな藤:諏訪市湖岸通利5-5-2 電話0266-58-0114

なお代表的な店として、岡谷市には、御うな小松屋(電話:0266-23-0407)や 浜うし川魚店(電話:0266-22-2531)や 観光荘(0266-22-2041)や 大七鱒の家(0266-23-4175)などがある。下諏訪町には「うなぎ林屋」(0266-28-8372)がある。撮影は2008年6月1日(終わり)

(2)霞ヶ浦の「うなぎの山中」:白魚の生の刺身


(2)星空のかなたに住みたまう全知全能の神とアイヌ民族の神々

2012年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

アイヌの娘、知里幸恵さんは1922年に19歳で亡くなりました。死んだあとに出版された「アイヌ神謡集」という一冊の本を残して。その中に[梟の神の自ら歌った謡]という詩があります。

美しい散文詩です。読み返すたびに何故か涙ぐんでしまいます。

アイヌ民族は梟など数々の神々と共に雄大な北海道で暮らしていたのです。狩りや漁をして、豊かな自然の恵みに生かされていたのです。

この梟の神様は一体なんでしょうか?

私は確信を持って書きます。何百億光年というはてしない星空のかなたに住みたまう全知全能の神が姿を変えてアイヌ民族の所に来てくれたのです。そして「銀のしずく降る降るまわりに、金のしずく降る降るまわりに、・・・」と歌ってくれたのです。

御幣棚にまつってある神々や家の神や火の神も皆、果てしない星空のかなたに住みたまう全知全能の神がいろいろと姿を変えてアイヌ民族の所に来てくれたのです。

この詩のなかで貧乏人のニシバが6つの酒樽の酒を用意する場面があります。イエス様がカナの婚姻の宴席で甕の水を良いブドウ酒にした場面と同じです。

全知全能の神にとってはそんなことはたやすい事なのです。

このように全知全能の神はいろいろな民族に違ったお姿で来て下さいます。

ですから民族や宗教の違いによって全知全能の神のお姿やは働き方は異なるのです。この相違は個人個人によっても異なります。

全能の神のお姿は人間の数だけ少しずつ違うのが自然なことなのです。

これで今日の話はおしまいです。

ここまで書けば日本の神道の神々と星空のかなたに住みたまう全知全能の神との関係が同じようなものである事がお分り頂けたと思います。

さて仏教のお釈迦さまや観音様や薬師如来様と全知全能の神との関係はすこし違った性質なのです。次回に書きます。

下にhttp://www.nextftp.com/y_misa/sinyo/sinyo_01.html からお借りした「梟の神の自ら歌った謡」を転載させて頂きました。どうぞゆっくりご観賞下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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Kamuichikap kamui yaieyukar, 梟の神の自ら歌った謡
“Shirokanipe ranran pishkan”       しずく
「銀の滴降る降るまわりに」
 
“Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe  
「銀の滴降る降るまわりに,金の滴
ranran pishkan.” arian rekpo chiki kane  
降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら
petesoro sapash aine, ainukotan enkashike  
流に沿って下り,人間の村の上を
chikush kor shichorpokun inkarash ko  
通りながら下を眺めると
teeta wenkur tane nishpa ne, teeta nishpa  
昔の貧乏人が今お金持になっていて,昔のお金持が
tane wenkur ne kotom shiran.  
今の貧乏人になっている様です.
Atuiteksam ta ainuhekattar (1)  
海辺に人間の子供たちがおもちゃの小弓に
akshinotponai euweshinot korokai.  
おもちゃの小矢をもってあそんで居ります.
“Shirokanipe ranran pishkan,  
「銀の滴降る降るまわりに
konkanipe ranran pishkan.” arian rekpo  
金の滴降る降るまわりに.」という歌を
chiki kane hekachiutar enkashike  
歌いながら子供等の上を
chikush awa, unchorpoke ehoyuppa  
通りますと,(子供等は)私の下を走りながら
ene hawokai:――  
云うことには,
“Pirka chikappo ! kamui chikappo !  
「美しい鳥!神様の鳥!
Keke hetak, akash wa toan chikappo  
さあ,矢を射てあの鳥
kamui chikappo tukan wa ankur, hoshkiukkur  
神様の鳥を射当てたものは,一ばんさきに取った者は
sonno rametok shino chipapa ne ruwe tapan”  
ほんとうの勇者,ほんとうの強者だぞ.」
hawokai kane, teeta wenkur tane nishpa nep  
云いながら,昔貧乏人で今お金持になってる者の
poutari, konkani ponku konkani ponai  
子供等は,金の小弓に金の小矢を
uweunupa untukan ko, konkani ponai つが
番えて私を射ますと,金の小矢を
shichorpok chikushte shienka chikushte,  
私は下を通したり上を通したりしました.
rapokita,hekachiutar tumukeheta  
その中に,子供等の中に
shine hekachi yayan ponku yayan ponai  
一人の子供がただの(木製の)小弓にただの小矢
ukoani iyeutanne, chinukar chiki  
を持って仲間にはいっています.私はそれを見ると
wenkur poho ne kotomno imi. ka wano  
貧乏人の子らしく,着物でも
akoeraman. Kipnekorka shiktumorke(2)  
それがわかります.けれどもその眼色を
chiuwante ko, nishpasani nekotomno, shinnai-  
よく見ると,えらい人の子孫らしく,一人変り
chikapne iyeutanne. Anihi nakka yayan ponku  
者になって仲間入りをしています.自分もただの小弓に
yayan ponai uweunu wa unramante ko,  
ただの小矢を番えて私をねらいますと,
teeta wenkur tane nishpanep poutari euminare  
昔貧乏人で今お金持の子供等は大笑いをして
ene hawokai:――  
云うには,
Achikara(3)ta wenkur hekachi  
「あらおかしや貧乏の子
toan chikappo kamui chikappo aokaiutar  
あの鳥,神様の鳥は私たちの
akor konkaniai ka somouk(4)ko, enepkoran  
金の小矢でもお取りにならないものを,お前の様な
wenkur hekachi kor yayanai muninchikuniai  
貧乏な子のただの矢腐れ木の矢を
toan chikappo kamui chikappo sbinoshino  
あの鳥,神様の鳥がよくよく
uk nankor wa.”  
取るだろうよ.」
hawokai kane wenkur hekachi ukooterke  
と云って,貧しい子を足蹴にしたり
ukokikkik. Kipnekorka wenkur hekachi  
たたいたりします.けれども貧乏な子は
senne ponno ekottanu uneyoko.  
ちっとも構わず私をねらっています.
Shirki chiki ihomakeutum chiyaikore.  
私はそのさまを見ると,大層不憫に思いました.
“Shirokanipe ranran pishkan,  
「銀の滴降る降るまわりに,
konkanipe ranran pishkan.”arian rekpo  
金の滴降る降るまわりに.」という歌を
chiki kane moiretara kamuinish kashi  
歌いながらゆっくりと大空に
chikoshikarinpa, wenkur hekachi  
私は輪をえがいていました.貧乏な子は
oatchikiri otuimaashi oatchikiri ohanke ashi,  
片足を遠く立て片足を近くたてて,
poknapapushi shikoruki yoko wa anaine  
下唇をグッと噛みしめて,ねらっていて
unkotushura, tapan ponai ekshirkonna  
ひょうと射放しました.小さい矢は美しく飛んで
tonnatara, shirki chiki chisantekehe  
私の方へ来ました,それで私は手を
chiturpa wa nean ponai chieshikari  
差しのべてその小さい矢を取りました.
shikachikachiash rapash humi  
クルクルまわりながら私は
chiekisarshut maukururu.  
風をきって舞い下りました.
Ikichiash awa, nerok hekattar uhoyuppare         か
すると,彼の子供たちは走って
wenotaupun shiokotpakor unuwetushmak.  
砂吹雪をたてながら競争しました.
Toitoi kata hachirash koiramno hoshkinopo  
土の上に私が落ちると一しょに,一等先に
wenkur hekachi unkoshirepa uneshikari.  
貧乏な子がかけついて私を取りました.
Shirki chiki, teeta wenkur tane nishpa nep  
すると,昔貧乏人で今は金持になってる者の
poutari iyoshino hoyuppa wa arki,  
子供たちは後から走って来て
tuwan wenitak rewan wenitak shuipa kane  
二十も三十も悪口をついて
wenkur hekachi ukooputuipa ukokikkik.  
貧乏な子を押したりたたいたり
“Shirun hekachi wenkur hekachi  
「にくらしい子,貧乏人の子
hoshki tashi aki kushnep eiyetushmak.”  
私たちが先にしようとする事を先がけしやがって.」
hawokai ko, wenkur hekachi unkashike  
と云うと,貧乏な子は,私の上に
kamu kamu unhonkokishma.  
おおいかぶさって,自分の腹にしっかりと私を抑えていました.
Hushkotoi wano iki aine ainuutur wa  
もがいてもがいてやっとの事,人の隙から
soikosanu orowano hoyupu humi taknatara.  
飛び出しますと,それから,どんどんかけ出しました.
Teeta wenkur tane nishpa nep poutari  
昔は貧乏人で今は金持の子供等が
shuma ari nihum ari yapkir korka  
石や木片を投げつけるけれど
wenkur hekachi senne pono ekottanu  
貧乏な子はちっとも構わず
wenotaupun shiokote hoyupu aine shine ponchise  
砂吹雪をたてながらかけて来て一軒の小屋の
chisesoikehe akoshirepa. Pon hekachi  
表へ着きました.子供は
rorunpurai karl unahunke kurkashike  
第一の窓から私を入れて,それに
itakomare, tapne tapne nekatuhu eisoitak.             かくかく
言葉を添え,斯々のありさまを物語りまし
Chiseupshor wa onneumurek  
家の中から老夫婦が
tekkakipo rikunruke raunruke arki wa  
眼の上に手をかざしながらやって来て
inkarash ko, shino wenkur ikikorkaiki  
見ると,大へんな貧乏人ではあるけれども
nishpa ipor katkemat ipor ukoturpa,  
紳士らしい淑女らしい品をそなえています,
unnukar awa. ikkeu noshki komkosampa.                 なか
私を見ると,腰の央をギックリ屈めて,ピックしました.
Poroshikupkur yaikokutkor yupu kane  
老人はキチンと帯をしめ直して,
unkoonkami.  
私を拝し
“Kamuichikap kamui pase kamui  
「ふくろうの神様,大神様,
wenash shiri chiwenchisehe  
貧しい私たちの粗末な家へ
koshirepa shiri iyairaikere.  
お出で下さいました事,有難う御座います.
Teeta anak nishpa otta yayukopishkip  
昔は,お金持に自分を数え入れるはどの者で
chime akorka tane anakne tan korachi