後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

東京に一番近い湖の写真をお楽しみ下さい

2012年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

東京に一番近い湖は相模湖と思います。東京と神奈川県の境の大垂峠から4kmくらいの所にあります。横濱市の水源になっているダム湖です。一昨日撮ってきた写真です。

お楽しみ下さい。

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葛西敬之著、「国益に背く原発ゼロ」・・・今朝の読売新聞から・・・

2012年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

読売新聞は原発をゼロにする政策に反対する記事を何度も掲載しています。

今朝の一面には、JR東海会長の葛西敬之氏の原発ゼロ政策へ反対する意見が掲載されています。理路整然とした意見です。

何故、原発が必要だと主張しているか? 

その理由を要約し、判り易くするために、少し激烈な表現を用いてご紹介したいと思います。

(1)原発を利用して安い電力を供給する事は日本人の雇用と生活水準を維持する為には絶対必要である。

(2)化石燃料は中東から来るが価格や供給量が不安定である。その上、再生可能エルギーは発電効率が低く、価格的にも原発の方が圧倒う的に有利である。

(3)安価な電力の供給が途絶すれば、日本の製造業の国際競争力が無くなり、世界の市場から脱落して行く。強い製造業無しでは日本人はどこに雇用をもとめ、生活の質を維持しようとするのか?

(4)「原発をゼロにして再生可能エネルギーで代替えせよ」と叫んでいる大衆運動家は「必勝の信念と竹やりがあればアメリカに勝てる」と叫んでいた愚かな日本人と同じである。それに迎合している政治家は国家を滅ぼすだけである。

(5)原子力の専門家はひるむことなく、原発の安全性と技術水準を向上させるために一段と努力すれば、より安全で、より安価な原発が建設出来る。原発を諦めないでその技術水準を向上すれば良いのである。

(6)飛行機や高速鉄道や自動車には常に危険性がつきまとうのが当たり前である。原発もそれと同じ事であるから、原発だけを止めるのは全く感情的過ぎる。科学的合理性に欠けている。

以上のような論旨と私は理解いたしました。

私自身は原発ゼロ政策の支持者です。反論は幾らでも出来ますが、ここでは致しません。ただ皆様の考えの参考資料になると信じて、ここにご紹介する次第です。

原発推進者がどのような理由で推進しているかが判れば、彼等を説得する方法も判明するのです。

しかし、どちらも時の経過に従って変化して行く不確定な根拠で理論を組み上げているのです。

ですから話しあいでは何時までも決着がつかないのです。実に難しい問題です。

皆様からのご意見をお待ちしています。(終り)

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新しい歴史研究、民衆史の展開・・・松根油の歴史

2012年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

多くの歴史研究の対象は、天皇の権力や武士の力が時代によってどのように変化したかという権力者に関する歴史に集中しています。

しかし、その時代、時代に生きた一般民衆の生活がどのようなものだったかという問題は無視されがちです。例えば飛鳥、奈良時代の農民の住んで居た家や炊事道具については学校では教えてくれません。その生活の実態が鎌倉時代、江戸時代と時代が変化して行く時、どのように変化して行ったのでしょうか。

このような分野の歴史を「民衆史」と称します。

この民衆史は歴史学者はあまり研究しません。地味なテーマの上、散在する資料を体系的に蒐集し、分析するのが困難だからです。

ところが最近、インターネット上に素人による「民衆史」の研究成果が沢山発表されるようになって来ました。

ここで一つだけ実例を示します。それは「満州写真館」の管理人による「歴史資料館」;http://www.geocities.jp/ramopcommand/page031.htmlです。

戦前、戦後の民衆の生活の実態を示す写真が蒐集してあり、「管理人」による客観的な、そして学問的な考察結果の文章がついています。

例えば、戦争中に松の根を掘り起こして、根から飛行機のガソリンを抽出するという一大国民的な運動が全国規模で実施されたのです。

国民学校の生徒だった私も山へ行って松の根を運びました。大人たちが掘り出した松の根をリヤカーに積んで学校まで運んだのです。時々軍のトラックが来て、その松の根をどこかへ運送して行きました。

「松の根で戦闘機を飛ばす」ということがあまりにも荒唐無稽だったので、子供心にも信用していませんでした。あの民衆を動員して、苦労して掘った松の根は何処へ行ったのでしょうか?

あれから茫々60年、松根油のこと、そしてその謎のことは忘れませんでした。

それが数日前に氷解したのです。

「歴史資料館」に松根油の歴史がキチンと記録され、詳細な説明があったのです。

結論を書けば松根油から極く少量の燃料油は抽出できましたが、その性質は飛行機のガソリンに使うにはあまりにも性質が劣悪だったのです。結局、飛行機は飛ばせられなかったようです。

アメリカ軍もこの日本の国民運動を知っていて、その成果を評価した資料が残っていたのです。

詳細は、http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/w_fushu_matsu/matu.htmlをご覧下さい。

この記録は、中国新聞の研究成果、http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/pineoil/pineroot.htmを編集しなおしたものです。

以下にその要約を写真で示します。

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上は全国的な国民運動を推進するためのポスターです。

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・左が松の根を集めて割っている様子を示しています。右はその松の根を蒸し焼きにして、松根油を抽出する釜です。一個の釜で一回に300kgの松の根を処理できたのです。そして300kgの松の根から数百ccの粗油しか抽出できなかったのです。

 この粗油から航空機用エンジンの燃料とするためには,分子量の大きな炭化水素を分解して分子量の小さい軽質油にし,さらに水素を添加しオクタン価を高める必要があったのです。技術的には困難なプロセスなのです。

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・左が釜から流れ出た抽出油です。そして右が中国新聞が戦後に再現実験で使用した「抽出炉」の写真です。

松根油の研究は山口県の宇部市にあった大型合成化学会社でなされていたので中国新聞が当時の技術者に依頼して再現実験をしたのです。

詳細は上に示した2つのウエッブページをご覧下さい。

しれはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。

後藤和弘(藤山杜人)