昨日の横綱審議会で12人の委員が満場一致で大関日馬富士の横綱推薦が決定しました。
本当におめでとうございます。
千秋楽での横綱白鵬を堂々と右下手投で破った相撲ぶりは横綱にふさわしい力量を示しました。
全勝で優勝したのです。
勝負が決まった後すぐに立ち上がらず、土俵の砂に額を押しつけて相撲の神様へ感謝の祈りを捧げていた姿が感動的でした。
下に読売新聞のネット版から写真をお借りして日馬富士の勝負とその場面を示します。
そして先輩の朝青竜が日馬富士大関優勝を祝って、抱え上げている微笑ましい写真をお送りします。
一番下は昨日の横綱審議会の推薦決定を知らされた後の記者会見の姿です。
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横綱と言えば今回の北海道旅行で3泊した弟子屈町の川湯は、かの大横綱・大鵬の出身地です。ホテルのフロントに記念館の場所を聞くと、道路の向こう側の公園にあると教えてくれます。まさに「巨人 大鵬 卵焼き」の家内は跳び上がって喜んでいました。
早速、翌朝一番に訪れました。
大鵬は32回の優勝記録を打ち立て、あの柏鵬時代を築いたのです。その敏捷で粘り強い天才的な取り組みの光景は現在でも脳裏に刻んでいる人々も多いと思います。
下に今回撮って来た写真をお送りいたします。
大鵬記念館は「川湯相撲記念館」という名前ですが、中の展示物はすべて大鵬に関連したものです。
特に映像室では、当時の数々の名勝負の映画の上映があり、大鵬の天才的な相撲を直接見ることが出来ます。
下は32回の優勝で贈られた天皇賜杯です。
下は子供や孫に囲まれ幸せそうな大鵬一家の写真です。
下にサムネイルでいろいろな写真もお送り致します。
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=====大鵬に関する資料(出典:http://www.taiho-yokozuna.com/profile/index.html)=====
第四十八代横綱 大鵬 本名:納谷 幸喜(なや こうき) | |
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1940年 5月29日、旧樺太(現・サハリン)生まれ |
1947年 小学1年生 岩内町西小学校 |
小学2年生 北見訓子布小学校 |
小学3年生 知床岩尾別小学校 |
小学4年生 夕張若菜小学校 |
小学5・6年生 弟子屈町川湯小学校(現在実家あり) |
1956年 弟子屈高校( 夜学 )を中退し、二所ノ関部屋に入門 ( 師匠:大関 佐賀ノ花 ) |
9月場所 16歳で初土俵 |
1959年 5月場所にて十両入り、「大鵬」と改名 |
1960年 1月場所にて新入幕。11月九州場所にて初優勝。場所後、大関に昇進。(20歳) |
1961年 7月場所、9月場所と2場所連続優勝して(柏戸と共に21歳3ヶ月、当時史上最年少) で第48代横綱になる。(入幕から1年10ヶ月) この間、三賞:敢闘賞2回、技能賞1回、金星1個 |
1971年 現役引退 |