多くの日本人は宗教にあまり関心がありません。結婚式を神社でしたり、お葬式をお寺や佛式でする時以外は宗教とはほとんどお付き合いがありません。
それはそれで良いのです。宗教とは関係がなくても日本人には品格があり外国の人々に尊敬されているようです。国々の好感度の世論調査をいろいろな国で実施すると日本はいつもトップクラスになっています。
しかし外国には宗教を大事にしている国々も多いのは事実です。そこで日本人がそれらの国々の人と仲良くするためにはもう少し宗教のことを理解していた方が良いと思います。
今日は日曜日です。キリスト教の日曜日の礼拝やミサにはどんな意味があるのでしょうか? そして何故するのでしょうか?そんな事について少し書いてみたいと思います。(プロテスタン宗派では礼拝と言い、カトリックではミサと言いますが、所詮同じものなのです。)
「礼拝やミサの意味?」や「何故、必要か?」の答えは簡単です。
忘れっぽい人間が毎週一回くらいは神様やキリストのことを思い出すようにするのが礼拝やミサの目的なのです。
人間は誘惑に弱いのが普通です。一週間、現実の生活をしていると、つい、つい、神様やキリストのことを忘れてしまいます。自分本位は勝手な生活をしてしまいます。まあ、それが普通です。
そこで日曜日には教会へ行って、神様やキリストのことを思い出すようにしているのです。
これを仏教の場合に例えて言えば、毎週一回ぐらいはお寺へ行って、住職さんと一緒にお経を唱えて、和尚さんから、お釈迦様の話を聞いて来るようなものです。
仕事が忙しい。週末は家族と遊びに行く。雑用がいっぱいあって日曜日にお寺などに行く暇が無い。こういうのが日本の実情です。
日本のサラリーマンは仕事に忙しく宗教活動なんかする時間が無いのも現実です。
ですから以下の記事くらいを読んで頂きたいのです。今日のカトリック小金井教会のミサの風景です。詳細は省略して、概略だけをご説明します。
まず聖歌の合唱があり、その後で、下の写真のように全員で悔い改めと、神への祈りを唱えます。
次に旧約聖書、使徒業伝と新約聖書のそれぞれの一部の朗読があります。下の写真は神学生の助祭が新約聖書を朗読している場面です。
次に神父さんの説教があります。下の写真は今日の説教の様子です。今日は神学校の神父様が小金井教会の主任司祭のディン神父さまの代わりに説教をしてくれました。
説教はイエス様の教えを判り易く説明し、イエス様が祭壇の上に見えるようにします。そうすると皆は続く一週間、イエス様や神様のことを忘れなくなるのです。でも、そううまく行かないので、また来週の日曜日に教会へ来ます。
説教が終わると幾つかの讃美歌や聖歌を歌い、幾つかの祈りをします。
そしてその後でミサのクライマックスがやってきます。小さなパン切れをイエスの体と言って、神父さんが一人ひとりへ手渡すのです。カトリックではこの場面を一番重要に考えています。
下の写真はカトリック小金井教会の主任司祭のディン神父様が小さなパンを一人ひとりへ手渡している場面です。パンは手に持った金色の器に入っています。
この後は聖歌を歌って、ミサは終りとなります。全部できっちり1時間で終わります。
このようなカトリックのミサは世界中みな共通です。私も言葉の分からいいろいろな外国でミサに出ました。内容は日本と同じなので気楽に聞いて、声を出さずに日本語で祈って来ました。
欧米諸国では日曜日には礼拝式やミサが行われている事を知っているだけで随分と助かります。
それではイスラム圏の諸国ではどうなるのでしょうか?
金曜日毎の礼拝があります。断食もあります。毎日、決まった時間にメッカの方角へ向かって礼拝します。その事を知った上で、尊重すれば良いと思います。
国際間の友好のためには宗教のことを少し知っていた方が良いと思います。
如何でしょうか?ご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)