後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

キリスト教の日曜日の礼拝やミサにはどんな意味があるのでしょうか?・・・何故するのですか?

2012年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

多くの日本人は宗教にあまり関心がありません。結婚式を神社でしたり、お葬式をお寺や佛式でする時以外は宗教とはほとんどお付き合いがありません。

それはそれで良いのです。宗教とは関係がなくても日本人には品格があり外国の人々に尊敬されているようです。国々の好感度の世論調査をいろいろな国で実施すると日本はいつもトップクラスになっています。

しかし外国には宗教を大事にしている国々も多いのは事実です。そこで日本人がそれらの国々の人と仲良くするためにはもう少し宗教のことを理解していた方が良いと思います。

今日は日曜日です。キリスト教の日曜日の礼拝やミサにはどんな意味があるのでしょうか? そして何故するのでしょうか?そんな事について少し書いてみたいと思います。(プロテスタン宗派では礼拝と言い、カトリックではミサと言いますが、所詮同じものなのです。)

「礼拝やミサの意味?」や「何故、必要か?」の答えは簡単です。

忘れっぽい人間が毎週一回くらいは神様やキリストのことを思い出すようにするのが礼拝やミサの目的なのです。

人間は誘惑に弱いのが普通です。一週間、現実の生活をしていると、つい、つい、神様やキリストのことを忘れてしまいます。自分本位は勝手な生活をしてしまいます。まあ、それが普通です。

そこで日曜日には教会へ行って、神様やキリストのことを思い出すようにしているのです。

これを仏教の場合に例えて言えば、毎週一回ぐらいはお寺へ行って、住職さんと一緒にお経を唱えて、和尚さんから、お釈迦様の話を聞いて来るようなものです。

仕事が忙しい。週末は家族と遊びに行く。雑用がいっぱいあって日曜日にお寺などに行く暇が無い。こういうのが日本の実情です。

日本のサラリーマンは仕事に忙しく宗教活動なんかする時間が無いのも現実です。

ですから以下の記事くらいを読んで頂きたいのです。今日のカトリック小金井教会のミサの風景です。詳細は省略して、概略だけをご説明します。

まず聖歌の合唱があり、その後で、下の写真のように全員で悔い改めと、神への祈りを唱えます。

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次に旧約聖書、使徒業伝と新約聖書のそれぞれの一部の朗読があります。下の写真は神学生の助祭が新約聖書を朗読している場面です。

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次に神父さんの説教があります。下の写真は今日の説教の様子です。今日は神学校の神父様が小金井教会の主任司祭のディン神父さまの代わりに説教をしてくれました。

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説教はイエス様の教えを判り易く説明し、イエス様が祭壇の上に見えるようにします。そうすると皆は続く一週間、イエス様や神様のことを忘れなくなるのです。でも、そううまく行かないので、また来週の日曜日に教会へ来ます。

説教が終わると幾つかの讃美歌や聖歌を歌い、幾つかの祈りをします。

そしてその後でミサのクライマックスがやってきます。小さなパン切れをイエスの体と言って、神父さんが一人ひとりへ手渡すのです。カトリックではこの場面を一番重要に考えています。

下の写真はカトリック小金井教会の主任司祭のディン神父様が小さなパンを一人ひとりへ手渡している場面です。パンは手に持った金色の器に入っています。

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この後は聖歌を歌って、ミサは終りとなります。全部できっちり1時間で終わります。

このようなカトリックのミサは世界中みな共通です。私も言葉の分からいいろいろな外国でミサに出ました。内容は日本と同じなので気楽に聞いて、声を出さずに日本語で祈って来ました。

欧米諸国では日曜日には礼拝式やミサが行われている事を知っているだけで随分と助かります。

それではイスラム圏の諸国ではどうなるのでしょうか?

金曜日毎の礼拝があります。断食もあります。毎日、決まった時間にメッカの方角へ向かって礼拝します。その事を知った上で、尊重すれば良いと思います。

国際間の友好のためには宗教のことを少し知っていた方が良いと思います。

如何でしょうか?ご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)


懐かしい霞ヶ浦への小さな旅(4)うなぎの山中と亡くなった星野君のことなど

2012年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

星野君は昔の大学時代の友人でヨットが趣味でした。一緒に猪苗代湖や霞ヶ浦を泊りがけでヨットを楽しんだのです。その彼とは昨年の秋、一緒に霞ヶ浦でセイリングしようと約束していましたが、その3週間ほど前の9月に急病で亡くなりました。

今回の「懐かしい霞ヶ浦への小さな旅」では星野君と何度も行った「うなぎの山中」という店に行き、彼を偲ぶことにしていました。

彼と共に行って、天然仕立ての鰻の蒲焼や湖でとれる生シラウオを食べた店です。下にその写真を示します。

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ここは彼が毎年10月に霞ヶ浦にセイリングに来る度に必ず行ったお店でした。

一昨年の10月27日に彼と一緒にセイリングしたのが最後になってしまいました。それを思い出しながら昔と変わらない「うなぎの山中」で蒲焼を食べてきました。

最後になってしまった彼と一昨年のセイリングの写真を下に示します。始めは風が穏やかでしたが、沖では物凄くなり、船が身を躍らせて走りまわりました。帰港のころは又静かになり夕日を楽しみながら帰ってきました。ホテルに一泊し次の日も星野君とセイリングへ出ようとしたとき突然雨が降ってきました。船は出さないでセールにカバーをかけて帰って来ました。012_2

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仙台の大学で彼と机を並べたのが専門課程の1957 年と1958年。卒業と同時に彼は父が経営する精密鋳物会社の仕事をするために福島へ行ってしまいます。それから15年間くらいはお互いに多忙で会うこともありませんでした。ところがある時の同級会の折、彼がヨットの話をしていました。猪苗代湖で大きなキャビンのクルーザーでセイリングしているのです。

そして花春カップというクルーザーレースへ3回ほど招待してくれたのです。それは猪苗代湖のそばの大きな酒造会社、花春が主宰するレースなのです。

彼のヨットはヤマハ29という楽しい構造のクルーザーです。船体の真ん中の甲板に操縦席があります。その後ろのキャビンへ降りてゆくと大きなパーティ向きの部屋があり、簡単な炊事用具がついています。船尾が大きく湾曲して張り出していて、そこに大きなガラス窓が横並びについているのです。シャンパンやビールを飲みながら、美しい猪苗代湖が風波を立てている様子が眺められのです。

レースでは、彼のヨットは遅い船なので、いつも終りの方を走ります。前の方を列を作って競い合いながらセイリングしている他のヨットの夢幻的な光景を見ながら悠々と走ります。

遅れてゴールしても、船体ごとにハンディキャップがついているのでレース結果は何時も2位か3位でした。

残雪の磐梯山を眺めながらの花春カップは終生忘れられない思い出になりました。

花春カップの後は福島の彼の家に寄り、奥様や息子さん達と一緒に夕食をご馳走になったこともあります。

それから又何年かが過ぎ去りました。今度は私が霞ヶ浦にクルーザーを係留していました。以前、猪苗代湖でお世話になったことを思い出して彼を招待しました。一緒に仙台の大学時代の同級生も招待しました。7人が集まりました。

彼は福島から大きな荷物を背負ってやって来ました。

かなり激しいセイリングの後のパーティの時、彼がその大荷物を解き始めました。ぶ厚い断熱布の中から出てきたのはギンギンに冷えた高級なシャンパン3本でした。その上よく冷えたシャンパングラスも、人数分の7個も出て来たのです。男ばかり7人のキャビンの中が途端に華やかになったものです。

こんなセイリングの会を4回ほどしました。何時も熱心な彼は福島からシャンパンを担いでやって来るのです。

毎回、パーティの次の日は蓮田のなかの「うなぎの山中」へ昼食を食べに行きます。うなぎが美味しいと言ってましたが、霞ヶ浦でとれた生白魚にはかなり感動していました。

毎年秋になると私のヨットに来るので、彼は自分専用のデッキ・シューズを私の船に預けていました。

昨年もそろそろヨットに来てくれると思い、9月にその白いデッキ・シューズを取り出して、すぐに履けるように並べて置きました。

そのデッキ・シューズを揃えて置いた次の週に、彼の急な病死の連絡があったのです。

彼は友情に篤く、素直な性格で実に気持ちの良い男でした。

他の急用と重なり福島でのお葬式には行けませんでした。

友人が死ぬと淋しくなります。涼しい秋風が身にしみます。私のヨットを手放した後は我が家に白いシューズを持ち帰り箱に大切に蔵ってあります。

そんな事を想いながら湖岸に出ると、下のような風景が広がっていました。

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陽はあくまでも明るく射していますが、風景が暗くかすんで見えます。星野君のことを思い出し、淋しく沈んでいる私の心が映っているようでした。(続く)

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。

後藤和弘(藤山杜人)