後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ヨットの見える風景をお楽しみ下さい・・・霞ヶ浦にて

2012年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム

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どのような風景を美しいと感じるかは人それぞれです。深山幽谷や明るく広がる海原の風景は多くの人が美しいと感じると思います。

それも良いですが、自然の風景に人間の作ったものが加わると一層美しい風景になることもあります。青い海にはるかに浮かぶ白い帆船などがその例です。

そしてヨットを趣味にしている人々にとっては海岸や湖岸に舫っているヨットの姿が美しいと思います。風をセイルに受けて快走する姿を思い浮かべているのかも知れません。

その船の形は実に自然な形をしていてバランス良く出来ているのです。

見えませんが船底から水中へ突き出している大きな鉄製のキールが船の安定を保障しています。その重さを感じさせる船形になっているのです。

霞ヶ浦では係留場所がいくらでもあり、ヨットとが散らばって悠々と舫っています。

江戸時代の和舟も美しい形をしています。和舟が日本文化の象徴ならヨットはヨーロッパ文化の象徴です。

そんなことを考えながら昨日、霞ヶ浦にあるヨットの写真を撮って来ました。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。


懐かしい霞ヶ浦への小さな旅(2)山本船長のヨットと彼の思い出

2012年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、23年間、自分のヨットを係留していた土浦港の県営の岸壁に行ってみました。下がその風景です。

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私が昨年まで持っていたヨットは右から2番目の黄色い横線の入った船です。

そばに行って見ると、隣に昔のまま、山本船長の持っていた薄いブルーのヨットが静かに浮いています。

20年間、ヨットを並べて係留していたヨットで山吹号と言いました。

その船長の山本さんが亡くなってもう4年近くなります。

急病でアッという間に旅立ってしまったのです。白血球ガンでした。

2,3ケ月に1回位はお会いしていました。

それぞれの船を出す準備をしながら、少しだけ会話を交わします。

帰港後に一緒にキャビンの中でコーヒーを飲んだり、缶ビールを飲んだりしました。

何時も一人で来ています。親切で、ニコニコして私の船の水漏れを直してくれたり、エンジンの修理屋さんを紹介してくれました。プロの写真家が使うカメラの設計をしているとのことでした。

長話は一度もしない方でした。何かさわやかで、それだけに淡いお付き合いでした。

とても元気な方で、一人で高いマストを倒し、低い橋の下を何か所もくぐって、銚子漁港まで出て行きました。銚子漁港からは大島までセイリングしたのです。

ある時は九州までヨットで行きました。

時々、家内も短い会話を交わしていました。家内は山本船長は人格が良い方だと言います。

亡くなる直前に、ヨットの前で会いました。ニコニコ笑って言います。「白血球の難しい病気と仲よくなってしまいました。もうヨットには乗れません」。

それが彼との会話の最後でした。愚かな私はそれが彼の別れの言葉とは気がつかないで、長い間お世話になったお礼も言わずいつものように別々に出港しました。

暮れに毎年のように年賀状を送りました。奥様の名前で主人が秋に亡くなったという知らせでした。我々との交流のことを彼は奥さんへ言っていたそうです。

確か60歳前でした。もう少しで定年なので、暇が出来たら九州にもう一度行く予定だと話していました。

昨日、彼の乗っていたヨットを見てつい山吹号の山本船長のことを思い出します。山本船長は私の心の中に永遠に生きているのです。天国にいる山本船長へ彼のヨットと昔の私のヨットの写真をお送りします。山本船長、どうぞあの世でもセイリングをお楽しみ下さい。合掌。

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原発技術は国家機密なのです(2)原発の弱点は軍事機密

2012年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム

電源が止まれば原発は水素爆発するという弱点を公表すれば、テロリスト達が原発に電気を送っている変電所や送電ケーブルを数か所、「破壊」すれば良いと教えることになります。それらの復旧に24時間以上かかると原発は水素爆発するのです。

したがって原発は絶対に安全だという宣伝を、政府、官僚、原子力村の学者達がして来ました。

その宣伝の根拠は次の2つに尽きます。

(1)原発の炉心は「圧力容器」に入っていて、その圧力容器は頑丈な「原子炉格納容器」に入っています。そして更に鉄筋コンクリートの丈夫な建物に入っています。

つまり3重に密閉してあるので万一事故が起きても放射能は絶対に外へ漏れません。

この3重構造はジェット戦闘機が突っ込んでも壊れない強度で出来ています。勿論、どんなに強い地震が起きても壊れません。

(2)万一事故が起きた場合はシリコンカーバイト(減速材)の棒が核燃料棒の間に瞬間的に挿入され、核連連鎖反応を停止させますから絶対に安全なのです。

シリコンカーバイトの棒の挿入は停電になっても良いように油圧で行います。だから安心なのです。

以上の説明は多くの人々が耳にタコが出来るほど何度も聞いたはずです。新聞にも何度も書かれていました。そして原子力村の偉い学者がその安全性を書いていたものです。

しかし今回の福島原発4基の水素爆発で「原発の安全神話」が木端微塵に吹き飛んでしまったのです。

上の(2)はその通り作動しましたが、(1)は全くのウソだったのです。

つまり冷却水が止まった後で核燃料棒が自然崩壊熱で1600度、2000度と加熱され水素ガスを多量に発生したのです。

その水素ガスが「圧力容器」と「原子炉格納容器」の数多くの配管の隙間から漏れ出し、建物の中に充満し、停電後やく24時間で大爆発を起こしたのです。

大爆発とともに半減期の長い放射性セシウムを大量に福島県と茨城県北部へ播き散らしたのです。

(1)に書いてある・・・つまり3重に密閉してあるので万一事故が起きても放射能は絶対に外へ漏れません・・・は全くのウソだったのです。

この重大なウソを真実のように見せかけるために以下の2つの技術的情報を公表しなかったのです。特にマスコミなどで報道されないようにしたようです。

(1)燃料棒の自然崩壊熱で水素ガスが多量に発生するという事実。

(2)その水素ガスが格納容器の配管の隙間から出て、建屋に充満し、やがて大爆発をするという事実。

この2つの弱点はかなり秘密だったので、原子力の専門家ですら福島原発爆発のとき「あれは水蒸気爆発だ」と言っていたのです。爆発後しばらくたってから水素爆発だったというマスコミ報道が流れたのです。

恥ずかしい話ですが、大学の工学部を卒業し、技術研究を職業としていた私も、上の(1)と(2)は全く知りませんでした。爆発の後で考え直して、成程、当然起きるべきことは起きると納得したのです。

福島原発の爆発のとき原子力村の学者でさえ水素爆発だと公言した人は殆どいませんでした。

この弱点の機密保持が成功したのです。

しかしその機密保持の代償はあまりにも甚大でした。大きな悲劇をもたらしました。

何故このような悲劇が起きたのか深く、繰り返し考えています。

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それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。

後藤和弘(藤山杜人)

下の写真は大悲劇の前、大津波が福島原発を襲っている様子です。

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