上の写真は3年ほど前にネットの上で知り合った三輪 修さんの絵画です。彼の油絵は銀座の日動画廊で取り扱っています。プロの画家です。何度か個展も見に行きました。
この絵を一度見ると何故か心に焼きついてしまい忘れられません。
旅立ってしまった親しい人の存在の証(あかし)を描いたのではないかと勝手に想っています。
そしてその女性の服の裾の方から次第に消えて行く様子がいろいろな事を考えさせます。
人々はこの世にいつまでもとどまっていたいものです。
愛する家族は何時までも生きていてもらいたいのです。
しかし人生は無常です。やがて旅立つ時が来るのです。
昨日、「中学三年生の娘を亡くした母の悲しく、美しい文章(2)「告知」」という記事を掲載いたしました。
その記事の中で、不運にも中学校3年生の時急病で旅立ってしまった少女の写真を掲載いたしました。母親から送られてきたものの、この写真を掲載すべきか、止めるべきか随分と迷いました。
痛々し過ぎるのです。しかし私は勇気を振るって掲載しました。少しでも少女の存在の証になれば良いと信じて掲載しました。母親から今朝、記事に感謝していているというメールを戴きました。
ブログに写真を掲載してもほんの少ししか存在の証になりません。
2年ほど前に織田寧人さんという方の奥さんの追悼集の書評を書きました。そして下記のように、このブログに掲載しました。奥さんは若いのに病に倒れ、旅立ってしまったのです。
39歳、ガンで逝った織田美保子さんの遺稿集の書評(1)分かりやすい文章、美しい日本語
織田美保子さんの遺稿集「風を愛したひと」の書評(2)結婚しようとしている男性、夫婦生活をしている夫が読むべき書
織田美保子さんの遺稿集「風を愛したひと」の書評(3)涙、涙、涙、そして慟哭
その折も、私はその奥さんの存在の証を少しでもしようと考えていました。
しかし、ある人間の存在の証明は出来るのでしょうか?
何度も書きましたが私はよく墓地を散歩します。心が静まるので良い散歩になるのです。その墓地には家族が来なくなった墓を集め、積み上げられた無縁仏の大きな塚があるのです。
それを見ると人間の存在の証明はお釈迦さまにしか出来ないことだと思います。
私はカトリックなので「人間の存在の証明は神様しか出来ない事」と信じています。
神は人間一人ひとりを温かく見守り、この世にあってもあの世にあっても一人ひとりを愛してくれるのです。神は、昨日、写真を掲載した少女も愛し、その存在の証(あかし)をしてくれているのです。それが救いなのです。
下の写真は織田寧人@風工房 からお借りしました。
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それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)