まえがき、
このブログではいろいろな方々に原稿をお願いして記事を書いて頂いています。
今回はフランスやドイツに長く住んで子育てを経験したEsu Keiさんに寄稿を頼みました。ご主人の仕事のため1974年の秋から84年の間滞在しました。
日常の生活で感じたことを飾らず素直な、そして読みやすい文章で綴ったものです。
何気ない書き方ですが、人々の息づかいが感じらるのです。ユーモアもペーソスがあります。そして温かい人間愛がそこはかと感じられるのです。
連載の第ニ回目は、「パリ的交通渋滞」です。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。
===「パリの寸描、その哀歓(2)パリ的交通渋滞」Esu Kei著====
ある日のこと珍しく中心市街へ出て帰りが丁度ラッシュアワーに当たってしまった。何故かその日は特別に混んでいた。パリの道路では車線がないので、適当に走る人が多い。困るのは物理的に通れるところを縫って走る車も多いということである。その日の渋滞では、カミオンも、タクシーも、乗用車も、正に缶詰状態(フランス語では瓶詰≪embouteille≫という)。僅かな空間に割り込もうとする身勝手ドライバーの多いこと。結果...道路の隙間をモザイクのように埋め尽くした車、車、車...前後左右どうにも動けない。信号は最早ないも同然。私が乗っていたのは路線バス。あちこちで苛立ったクラクションの音。車から体を半分乗り出し、こぶしを振り上げている人の怒鳴り声。バスの中ではにっちもさっちもいかないと諦めた乗客が妙に静かである。運転手も「渋滞で遅れ、ご迷惑をかけます。」なんてことは言わない。見ればわかることだし。そのうちに誰かが電話したのだろう、プーパープーパーとパトカーがやってきた。誰も動けない道路のどこを通ってくるかといえば、なんと堂々と歩道を走ってくるのである。幸いパトカーは小型で、パリの歩道は人々がちょっとよければ車一台くらいは通れるところが多い。警官が手動で交通整理を始めるのだと誰もが思った。パトカーから3人の警官が降りてきた。どうしたものかと大渋滞を見回し、顔を見合わせ、両手を広げ、肩をすくめ(例の “為す術なし!”のポーズ)、またパトカーに乗り込み、プーパープーパーと間抜けな音を立てて戻っていった。タクシーをはじめ、車、車のクラクションとブーイング!... さてこの後どうなったか?
一台のタクシーから運ちゃんが降りると、自分の車の前にいる車の何台か(10台前後?)を誘導して、歩道に並べ始めたのである。それが呼び水となって、あちこちでタクシーの運ちゃんたちが同じことをする。集まって相談しなくても、やるべきことは分かっているとばかりに交通整理を始めたのだ。こうしてある程度隙間ができると、もう誘導は止めて素早く車に戻り、自分が先ずそこを通る。そのためにも自分の車はちゃんと車道に残しておくのだ。どんな大渋滞でも、ほんの数パーセント車が減ると流れはできるのだ。私の乗っているバスも、動き出した。乗客は知らない者同士、お互いに顔を見合わせて、“Enfin, on se debrouille comme ca!(やれやれ、なんとかなったわ)” ”Tant mieux(良かった)”とか呟いて頷き合っている。車の流れができてきた。それでもいつもは30~40分の道のりをこの時ばかりは1時間半もかかったのである。
さてあの後、歩道に退避させられた車がどうなったか、再び渋滞が起きなかったかどうかは分からない。でも誰かが何とかしたにちがいない。
ああいう時のタクシーの運ちゃん達の機転(自分の車が最優先ではあるが)と連係プレーはすごい。大いに褒めたたえられるべきところである。パトカーが尻尾を巻いて逃げ出した後だからこそなのである。その前に勝手に歩道に車を誘導すれば警察の交通課は黙って見過ごしたかどうかは分からない。
私はこの文の中でタクシーの運転手さんたちを運ちゃんと呼んだが、それは親しみと尊敬を込めてのことだからお許しいただきたい。パリの運転手さんたちにはそう呼びたくなる風情があるのだもの。(続く)
さてこの記事の挿し絵として私の好きなモネの「サン・ラザール駅 」を示します。
この絵が描かれた1877年の頃のパリの街路には貴族を乗せた馬車だけがのどかに走っていたのです。自動車が増えだしたのは1909年にT-型フォードが多量生産されるようになってからです。
モネが活躍していた頃の交通機関の主流は蒸気機関車だったのです。
そんな頃のパリの風景をご想像して頂き、現在の交通渋滞と比較して考えると興味が深まります。
何年も前にパリでこのモネの「サン・ラザール駅 」を見た時の感動を思い出します。
サン・ラザール駅 (La gare Saint Lazare) 1877年
75.5×104cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)
印象派最大の画家のひとりクロード・モネの代表的な作品のひとつ『サン・ラザール駅』は1877年の第3回印象派展に出品された30点あまりの画家の作品群で最も批評家たちの注目を集めた絵画だったそうです。1837年に建設されたフランス初の鉄道の発終着駅≪サン・ラザール駅≫を描いた8作品の中の1点で、公式な許可を得て駅舎の中で描いたことが知られています。
このブログではいろいろな方々に原稿をお願いして記事を書いて頂いています。
今回はフランスやドイツに長く住んで子育てを経験したEsu Keiさんに寄稿を頼みました。ご主人の仕事のため1974年の秋から84年の間滞在しました。
日常の生活で感じたことを飾らず素直な、そして読みやすい文章で綴ったものです。
何気ない書き方ですが、人々の息づかいが感じらるのです。ユーモアもペーソスがあります。そして温かい人間愛がそこはかと感じられるのです。
連載の第ニ回目は、「パリ的交通渋滞」です。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。
===「パリの寸描、その哀歓(2)パリ的交通渋滞」Esu Kei著====
ある日のこと珍しく中心市街へ出て帰りが丁度ラッシュアワーに当たってしまった。何故かその日は特別に混んでいた。パリの道路では車線がないので、適当に走る人が多い。困るのは物理的に通れるところを縫って走る車も多いということである。その日の渋滞では、カミオンも、タクシーも、乗用車も、正に缶詰状態(フランス語では瓶詰≪embouteille≫という)。僅かな空間に割り込もうとする身勝手ドライバーの多いこと。結果...道路の隙間をモザイクのように埋め尽くした車、車、車...前後左右どうにも動けない。信号は最早ないも同然。私が乗っていたのは路線バス。あちこちで苛立ったクラクションの音。車から体を半分乗り出し、こぶしを振り上げている人の怒鳴り声。バスの中ではにっちもさっちもいかないと諦めた乗客が妙に静かである。運転手も「渋滞で遅れ、ご迷惑をかけます。」なんてことは言わない。見ればわかることだし。そのうちに誰かが電話したのだろう、プーパープーパーとパトカーがやってきた。誰も動けない道路のどこを通ってくるかといえば、なんと堂々と歩道を走ってくるのである。幸いパトカーは小型で、パリの歩道は人々がちょっとよければ車一台くらいは通れるところが多い。警官が手動で交通整理を始めるのだと誰もが思った。パトカーから3人の警官が降りてきた。どうしたものかと大渋滞を見回し、顔を見合わせ、両手を広げ、肩をすくめ(例の “為す術なし!”のポーズ)、またパトカーに乗り込み、プーパープーパーと間抜けな音を立てて戻っていった。タクシーをはじめ、車、車のクラクションとブーイング!... さてこの後どうなったか?
一台のタクシーから運ちゃんが降りると、自分の車の前にいる車の何台か(10台前後?)を誘導して、歩道に並べ始めたのである。それが呼び水となって、あちこちでタクシーの運ちゃんたちが同じことをする。集まって相談しなくても、やるべきことは分かっているとばかりに交通整理を始めたのだ。こうしてある程度隙間ができると、もう誘導は止めて素早く車に戻り、自分が先ずそこを通る。そのためにも自分の車はちゃんと車道に残しておくのだ。どんな大渋滞でも、ほんの数パーセント車が減ると流れはできるのだ。私の乗っているバスも、動き出した。乗客は知らない者同士、お互いに顔を見合わせて、“Enfin, on se debrouille comme ca!(やれやれ、なんとかなったわ)” ”Tant mieux(良かった)”とか呟いて頷き合っている。車の流れができてきた。それでもいつもは30~40分の道のりをこの時ばかりは1時間半もかかったのである。
さてあの後、歩道に退避させられた車がどうなったか、再び渋滞が起きなかったかどうかは分からない。でも誰かが何とかしたにちがいない。
ああいう時のタクシーの運ちゃん達の機転(自分の車が最優先ではあるが)と連係プレーはすごい。大いに褒めたたえられるべきところである。パトカーが尻尾を巻いて逃げ出した後だからこそなのである。その前に勝手に歩道に車を誘導すれば警察の交通課は黙って見過ごしたかどうかは分からない。
私はこの文の中でタクシーの運転手さんたちを運ちゃんと呼んだが、それは親しみと尊敬を込めてのことだからお許しいただきたい。パリの運転手さんたちにはそう呼びたくなる風情があるのだもの。(続く)
さてこの記事の挿し絵として私の好きなモネの「サン・ラザール駅 」を示します。
この絵が描かれた1877年の頃のパリの街路には貴族を乗せた馬車だけがのどかに走っていたのです。自動車が増えだしたのは1909年にT-型フォードが多量生産されるようになってからです。
モネが活躍していた頃の交通機関の主流は蒸気機関車だったのです。
そんな頃のパリの風景をご想像して頂き、現在の交通渋滞と比較して考えると興味が深まります。
何年も前にパリでこのモネの「サン・ラザール駅 」を見た時の感動を思い出します。
サン・ラザール駅 (La gare Saint Lazare) 1877年
75.5×104cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)
印象派最大の画家のひとりクロード・モネの代表的な作品のひとつ『サン・ラザール駅』は1877年の第3回印象派展に出品された30点あまりの画家の作品群で最も批評家たちの注目を集めた絵画だったそうです。1837年に建設されたフランス初の鉄道の発終着駅≪サン・ラザール駅≫を描いた8作品の中の1点で、公式な許可を得て駅舎の中で描いたことが知られています。