後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

年老いても「武蔵野」にロマンを感じ憧れる、この人間の不思議さ

2016年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム
道の奥の杜の都、仙台の大学に行っていた頃から「武蔵野」にロマンチックな憧れを持っていました。
まだ見たことの無い関東平野にはてしなく広がっている美しい雑木林の風景を想像して憧れていたのです。
その雑木林を独り彷徨う孤独を想像し、何故かせつない想いをしていました。
それは国木田独歩やツルゲーネフが雑木林の美しさを讃えていたからかも知れません。
その青春の「せつなさ」を80歳になった現在も感じるのです。武蔵野にロマンを感じ憧れているのです。
その度に私は車で雑木林の広がっている埼玉県南部へ行きます。そんな時に必ず行く場所があります。所沢市の東部の畑作地帯です。
先週も雑木林へのせつない憧れが湧いて来たので車を飛ばしてそこに行きました。
まだ葉が散らないで紅葉が美しいかったのです。

1番目の写真は広い畑の北側に防風林のように作ってある雑木林の風景です。

2番目の写真はクヌギやコナラやカシワの木が混じっている林の中に堂々と生えている大きなケヤキの写真です。ケヤキの右下にはイチョウの木も黄葉しています。

3番目の写真はこの防風林のような雑木林の中央部分の紅葉の風景です。今年は例年になく紅葉が綺麗です。多分、急に寒くなったせいかも知れません。

この雑木林は何故か好きになってしまい何度も通っています。冬の雑木林が好きで、寒い季節にも行きます。

4番目の写真はこの場所の冬景色です。5年前の12月に撮った写真です。

5番目の写真は同じ時に少しアングルを変えて撮ったものです。冬枯れの梢が美しいシルエットを見せています。

関東平野は昔、武蔵野とよばれ、雑木林で覆われていました。人々はその雑木林を切り開いて田畑にしました。しかしその一方、雑木林は薪を取り炭を焼くために必要でした。落ち葉は肥料になります。雑木林からは山菜やキノコも採れます。そこで田畑の周囲には雑木林が大切に保存してあります。このような雑木林を里山とも言います。そんな雑木林が関東地方の農村にはまだまだ沢山残っています。
私は雑木林を見に行くと幸せな気分になります。楽しい気分になるのです。
雑木林のまわりを歩きながら「一体、何故私はこんなに雑木林に憧れロマンを感じるのだろう?」と考えます。
何度考えても分かりません。明確な理由などありません。そしてつくづく人間の不思議さを想うのです。
人間は若い頃あるものを憧れ、好きになると生涯それが変わらないのかも知れません。何故好きになったか本人も分かりません。謎です。人間の不思議な一面ではないでしょうか。

話は変わりますが、最近、不思議な思いをしました。Esu Keiさんの書いた文章を「パリの寸描、その哀歓」と題し、7回の連載記事を掲載しました。
Esu Keiさんはフランスやドイツに長く住んで子育てを経験した方です。日常の生活で感じたことを飾らず素直な、そして読みやすい文章で綴ったものです。
この連載を丁寧に読んでみると、そこにはフランスの文化の素晴らしさが一切書いてありません。街々の景観が美しいことも書いてありません。印象派の画家の作品も紹介してありません。フランスの教育制度も紹介してありません。
ただただ ひたすら自分の通った歯医者さんや子供の病院のことがこまごま書いてあるのです。フランスで体験した日常茶飯事が流れるような文章で書いてあるだけなのです。
しかし驚くことにEsu Keiさんの会ったフランス人は皆とても親切です。感動的に優しいのです。Esu Keiさんの書きたかったことはただ一つ、フランス人の優しさだったのでしょう。本人はそれを意識していません。自分の経験したことを素直に書いたにすぎません。

私は何故フランス人がこうもEsu Keiさんへ対して優しかったか考えました。そして答らしいことに思いつきました。
結論を先に書けばEsu Keiさんはフランス語に憧れフランスが好きだったからです。フランス人が好きで、会うフランス人をみな憧れのまなざしで見たからなのでしょう。本人が意識していないだけに一層、それはフランス人の胸を打ったのでしょう。
感動したフランス人はEsu Keiさんに対して本当に親切にしてくれたのは自然の成り行きです。

それでは何故、Esu Keiさんはフランスにロマンを感じ憧れたのでしょうか。
その理由は本人も分からないでしょう。私にも分かる筈がありません。
ただ彼女は東京で高校を終えると日本の大学に進学せず日仏学院へ進学したのです。この学校はフランス語でフランスの大学教育をする学校です。ですから彼女は高校時代以前の少女の頃からフランスにロマンを感じ憧れていたのでしょう。
流暢なブランス語が話せて、フランスが大好きな人をフランス人は邪慳にあつかう筈はありません。その上、Esu Keiさんは人柄が良かったに違いありません。
そして彼女は老いた今でもフランスが好きなのでしょう。こうして連載記事を書いてくれたのですから。

人間は不思議なものです。若い頃、憧れて好きになったものは一生好きなのです。
私はネットを通して30年、50年と外国に住んでいる日本人を数人知っています。皆、例外なくその国が好きなって日本へ帰って来ないのです。多くの 場合は、その異国に子供や孫もいます。幸せそうです。好きになれば幸せになるのです。
しかしその一方で、日本が懐かしいのです。望郷の念に駆られる筈です。時々、私はそのような方々へ心を寄せて記事を書いています。

Esu Keiさんの「パリの寸描、その哀歓」と題した7回の連載記事を読み終って、考えたことです。
人間は不思議なものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料===========================
(1)国木田度独歩の「武蔵野」の詳細な内容は、http://www.aozora.gr.jp/cards/000038/files/329_15886.html にございます。
(2)国木田度独歩の経歴を下に掲載して置きます。
国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。幼名を亀吉、のちに哲夫と改名した。筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。
田山花袋、柳田国男らと知り合い「独歩吟」を発表。詩、小説を書いたが、次第に小説に専心。「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」などの浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。
また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されている。夏目漱石は、その短編『巡査』を絶賛した他、芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していた。ロシア語などへの翻訳があるが、海外では、夏目漱石や三島由紀夫のような知名度は得ていない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%9C%A8%E7%94%B0%E7%8B%AC%E6%AD%A9