昨夜はクリスマス・イブのミサに行きました。この寒いのに何故わざわざ教会へ行くのでしょうか?
人間の苦しみを救ってくれるイエス・キリストの誕生日を祝うためです。そのイエスを地上に送ってくれた神に感謝の祈りを捧げるためです。世界に真の平和が来るように祈るためです。そして個人、個人が自由に自分の祈りを捧げます。
私はクリスマスやお正月を独りで過ごす人の心の平安を祈りました。独り暮らしを淋しいと感じる人の心が少しでも楽しくなるようにと祈りました。
今年の1月に満80歳になった私の知り合いには伴侶に死なれ独りで暮らすようになった人が多いのです。そして結婚もしないで独り年老いていく友人もいます。淋しい思いをしていませんか。その淋しさが少しでもやわらぐようにと祈ってきました。
昨夜撮って来た写真を示します。
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1番目の写真は教会の入り口の質素な電飾です。この教会には1600人もの信者がいてクリスマスと復活瑳のミサは立錐の余地もなくなります。私どもはミサの始まる40分前に着きましたが、やっと後ろの席に座れました。その後に来た人々は立っています。
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2番目の写真は全員がローソクに火を灯し電灯を消して「静けき、真夜中、星はひかり、、、」と聖歌を歌いながらミサを始める場面です。
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3番目の写真は神父さん達と侍者達が祭壇に並んでミサの始めの祈りを始めた場面です。
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4番目の写真はイエス誕生の祝いの後で、イエスの体と言ってパン片をサレジオ会の吉田利満神父さまが信者、一人一人に配っている様子です。
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5番目の写真は主任司祭のディン神父さまが信者、一人一人にパン片を配っている様子です。
昨夜、神父さまが読んだ福音書はルカの福音書の一部分です。その中に現在戦乱が絶えないシリアの名前が出て来るので以下に示します。
=============================
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
==============================
こうしてイエスが生まれたのです。宿屋が満員で泊まれなかったマリアは馬小屋で出産し、赤子を飼い葉桶に寝かせたのです。
イエスの誕生の祝福を祈り、そして続いて私は現在のシリアの戦乱で孤児になった子供達のことを想っていました。
ミサ後、自宅に帰った私はローストチキンを前にして夕食を始めようとしていました。
その時、外国に住んでいて先月伴侶に死なれ孤独になった友人から電話がありました。葬式の前は電話で淋しい、淋しい、足が地についていないと言っていました。それが葬式が終わり日が経つに従って声が少しずつ明るくなってきたのです。昨日の電話では伴侶の貰っていた年金がそのままの金額で自分が死ぬまで支払うと役所から通知があったという報告でした。その国の法律がそのようになっているそうです。声が一段と明るくなっていました。
クリスマス・イブのミサの間に私はクリスマスやお正月を独りで過ごす人々の心の平安を祈りました。独り暮らしを淋しいと感じる人の心が少しでも楽しくなるようにと祈りました。
そして自宅に帰ったら、そのような友人から明るい声の電話があったのです。不思議な気分になりました。
自分の祈りを神様がすぐに聞いて下さったと思うほど私は短絡的ではないつもりです。偶然の一致なのですが、不思議なこともあるものですね。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
人間の苦しみを救ってくれるイエス・キリストの誕生日を祝うためです。そのイエスを地上に送ってくれた神に感謝の祈りを捧げるためです。世界に真の平和が来るように祈るためです。そして個人、個人が自由に自分の祈りを捧げます。
私はクリスマスやお正月を独りで過ごす人の心の平安を祈りました。独り暮らしを淋しいと感じる人の心が少しでも楽しくなるようにと祈りました。
今年の1月に満80歳になった私の知り合いには伴侶に死なれ独りで暮らすようになった人が多いのです。そして結婚もしないで独り年老いていく友人もいます。淋しい思いをしていませんか。その淋しさが少しでもやわらぐようにと祈ってきました。
昨夜撮って来た写真を示します。
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1番目の写真は教会の入り口の質素な電飾です。この教会には1600人もの信者がいてクリスマスと復活瑳のミサは立錐の余地もなくなります。私どもはミサの始まる40分前に着きましたが、やっと後ろの席に座れました。その後に来た人々は立っています。
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2番目の写真は全員がローソクに火を灯し電灯を消して「静けき、真夜中、星はひかり、、、」と聖歌を歌いながらミサを始める場面です。
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3番目の写真は神父さん達と侍者達が祭壇に並んでミサの始めの祈りを始めた場面です。
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4番目の写真はイエス誕生の祝いの後で、イエスの体と言ってパン片をサレジオ会の吉田利満神父さまが信者、一人一人に配っている様子です。
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5番目の写真は主任司祭のディン神父さまが信者、一人一人にパン片を配っている様子です。
昨夜、神父さまが読んだ福音書はルカの福音書の一部分です。その中に現在戦乱が絶えないシリアの名前が出て来るので以下に示します。
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そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
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こうしてイエスが生まれたのです。宿屋が満員で泊まれなかったマリアは馬小屋で出産し、赤子を飼い葉桶に寝かせたのです。
イエスの誕生の祝福を祈り、そして続いて私は現在のシリアの戦乱で孤児になった子供達のことを想っていました。
ミサ後、自宅に帰った私はローストチキンを前にして夕食を始めようとしていました。
その時、外国に住んでいて先月伴侶に死なれ孤独になった友人から電話がありました。葬式の前は電話で淋しい、淋しい、足が地についていないと言っていました。それが葬式が終わり日が経つに従って声が少しずつ明るくなってきたのです。昨日の電話では伴侶の貰っていた年金がそのままの金額で自分が死ぬまで支払うと役所から通知があったという報告でした。その国の法律がそのようになっているそうです。声が一段と明るくなっていました。
クリスマス・イブのミサの間に私はクリスマスやお正月を独りで過ごす人々の心の平安を祈りました。独り暮らしを淋しいと感じる人の心が少しでも楽しくなるようにと祈りました。
そして自宅に帰ったら、そのような友人から明るい声の電話があったのです。不思議な気分になりました。
自分の祈りを神様がすぐに聞いて下さったと思うほど私は短絡的ではないつもりです。偶然の一致なのですが、不思議なこともあるものですね。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)