後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

クリスマスやお正月を独りで過ごす人と、不思議な体験

2016年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム
昨夜はクリスマス・イブのミサに行きました。この寒いのに何故わざわざ教会へ行くのでしょうか?
人間の苦しみを救ってくれるイエス・キリストの誕生日を祝うためです。そのイエスを地上に送ってくれた神に感謝の祈りを捧げるためです。世界に真の平和が来るように祈るためです。そして個人、個人が自由に自分の祈りを捧げます。
私はクリスマスやお正月を独りで過ごす人の心の平安を祈りました。独り暮らしを淋しいと感じる人の心が少しでも楽しくなるようにと祈りました。
今年の1月に満80歳になった私の知り合いには伴侶に死なれ独りで暮らすようになった人が多いのです。そして結婚もしないで独り年老いていく友人もいます。淋しい思いをしていませんか。その淋しさが少しでもやわらぐようにと祈ってきました。
昨夜撮って来た写真を示します。

1番目の写真は教会の入り口の質素な電飾です。この教会には1600人もの信者がいてクリスマスと復活瑳のミサは立錐の余地もなくなります。私どもはミサの始まる40分前に着きましたが、やっと後ろの席に座れました。その後に来た人々は立っています。

2番目の写真は全員がローソクに火を灯し電灯を消して「静けき、真夜中、星はひかり、、、」と聖歌を歌いながらミサを始める場面です。

3番目の写真は神父さん達と侍者達が祭壇に並んでミサの始めの祈りを始めた場面です。

4番目の写真はイエス誕生の祝いの後で、イエスの体と言ってパン片をサレジオ会の吉田利満神父さまが信者、一人一人に配っている様子です。

5番目の写真は主任司祭のディン神父さまが信者、一人一人にパン片を配っている様子です。

昨夜、神父さまが読んだ福音書はルカの福音書の一部分です。その中に現在戦乱が絶えないシリアの名前が出て来るので以下に示します。
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そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
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こうしてイエスが生まれたのです。宿屋が満員で泊まれなかったマリアは馬小屋で出産し、赤子を飼い葉桶に寝かせたのです。
イエスの誕生の祝福を祈り、そして続いて私は現在のシリアの戦乱で孤児になった子供達のことを想っていました。

ミサ後、自宅に帰った私はローストチキンを前にして夕食を始めようとしていました。
その時、外国に住んでいて先月伴侶に死なれ孤独になった友人から電話がありました。葬式の前は電話で淋しい、淋しい、足が地についていないと言っていました。それが葬式が終わり日が経つに従って声が少しずつ明るくなってきたのです。昨日の電話では伴侶の貰っていた年金がそのままの金額で自分が死ぬまで支払うと役所から通知があったという報告でした。その国の法律がそのようになっているそうです。声が一段と明るくなっていました。

クリスマス・イブのミサの間に私はクリスマスやお正月を独りで過ごす人々の心の平安を祈りました。独り暮らしを淋しいと感じる人の心が少しでも楽しくなるようにと祈りました。
そして自宅に帰ったら、そのような友人から明るい声の電話があったのです。不思議な気分になりました。
自分の祈りを神様がすぐに聞いて下さったと思うほど私は短絡的ではないつもりです。偶然の一致なのですが、不思議なこともあるものですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

日本が精神的に独立国家になるための戦後70年

2016年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は快晴でした。東京の秘境、桧原村の冬の風景写真を撮りに行きました。

1番目の写真は桧原村の山並みの上に広がる冬空の写真です。
山里の細い道を辿って行ったら白壁の倉のある家を見つけました。

2番目の写真は戦前の農家を連想させる白壁の倉の写真です。そしてその家の下の谷川を見下ろすと養沢の流れが見えます。

3番目の写真は冬の川霧に陽が斜めに射ししている風景です。
こんな風景を見ていると戦前の日本のことをあれこれと思い出したのです。
一昨日、「トランプ大統領の出現で急激に変わる日本人の戦争観」という記事を書きました。
この記事の中で、私はトランプ氏の発言の影響で日本の安全は自衛隊だけで守るべきと考える人が急に増えたと書きました。
しかし自衛隊だけで守るという考えは非常に非現実的です。やはり日米安保を一層強化して、駐留米軍の力を借りなければいけないことは良識のある人々の認めていることです。
しかし精神の上だけでは、日本は真の独立国家として自主防衛をすべしという思想を夢見る人が急に増加したようです。

このような日本人の考え方の変化を私は日本が精神的には独立国家になった証拠だと主張したいのです。
ある冬の日に一介の老人が桧原村をさまよいながら空想した主張ですからあまり本気に考えないで下さい。
太平洋戦争であまりにも酷い敗け方をした日本民族は茫然として、その悲劇の大きさから立ち直るのに70年を必要としたのです。
真珠湾攻撃は1941年でした。明治維新を1867年とすると維新後74年目でした。そして日本の全ての町々が焼け野原になってアメリカに敗けたのです。そして71年目の今年になって日本は敗戦の悲劇から立ち直って独立国家になろうとしているのです。
考えても見て下さい。日本民族の歴史の中で外国に完全に占領され、その総司令官が6年間も統治したことは前代未聞のことだったのです。

日本人はこの大きな悲劇に打ちのめされ、また独立国家を作ろうという思いが無くなるのは自然なことではないでしょうか。
現在の71歳以下の日本人は戦後生まれなのでこの悲劇を具体的に知らない傾向にあります。
そこで少しこの悲劇の内容を具体的に書いてみようと思います。
(1)約300万人の日本人が戦争が原因で死んだのです。
戦死者はアメリカ軍の犠牲になった上に戦地での飢餓で死んだのです。そして空襲で焼け死んだ人、満州からの引揚で死んだ人、シベリア抑留中に死んだ人、特攻隊で死んだ人。その悲劇の内容は実に様々だったのです。
(2)日本軍の武力占領で中国やフィリピン、インドシナ、なのなどで数百万人の人が死んだのです。中国政府の主張によると中国だけで1000万人から3000万人の人が日本軍に殺されてということになっています。
勿論、中国政府の主張は荒唐無稽ですが、問題は現在の中国人が3000万説を信じているのです。これは日本にとっても大きな悲劇です。その他、朝鮮併合や満州の建国も日本が戦争で敗けたので日本の国家的罪悪として非難されているのです。
(3)戦争の悲劇は膨大な数の人間の犠牲だけではありませんでした。日本人の心の荒廃も大きな悲劇をもたらしました。
戦後の日本には凶悪な犯罪が蔓延していたのです。強盗事件は日常的で、もっと凶悪な帝銀事件も起きました。犯人が青酸カリで多数の銀行員を殺してから悠々と大金を持ち去ったのです。陰謀がからんだような大規模な列車転覆事件も続発していました。松川事件、三鷹事件、下川国鉄総裁の列車事故などです。
食糧難が戦後10年間以上に渡って続き、それは暗い世相でした。

こんな様々の悲劇にもかかわらず日本は経済成長を遂げたのです。
豊かになって礼節を知り、住み良い日本になったのは何時頃だったでしょうか?1990年の頃だったでしょうか?
しかし日本人は自国の安全と防衛を自衛隊だけで守ろうとする気概には欠けていたと思います。
それが安倍総理が「日本を取り戻す!」といスローガンを かがげて戦後レジームからの脱却を促す政策を進めて来たのです。そしてトランプ次期大統領が「日本がアメリカ軍に守って貰いたいなら もっと金を出せ」と公言したのです。
その結果、日本の安全は自衛隊だけで守るべきと考える人が急に増えたと私は考えています。
このような日本人の考え方の変化を 私は日本が精神的には独立国家になった証拠だと主張したいのです。
ある冬の日に一介の老人が桧原村をさまよいながら空想した主張ですからあまり本気に考えで下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)