この表題は正確ではありません。狂ったようにお金を使う多くの日本人と訂正すべきです。しかし昨日、スーパーへお節料理の材料を買いに行って見た光景があまりにも驚愕的であったのです。
そのスーパーでは、日頃、控えめの値段で良質な食材を売っています。売り場が清潔で広い通路が気に入って毎日のように行っているYaokoというスーパーです。
それが昨日は様変わりしています。高級なお節料理の食材が溢れるように並んでいます。そして値段が驚く程高くなっているのです。
贅沢は敵だというスローガンを聞かされて育った私にとっては息を飲むような光景だったのです。
本当にこんなに高い、そして多量の商品が数日で売れるのでしょうか。とても心配になってきました。
お節料理に欠かせない蒲鉾や伊達巻を詳しく見ると篭清や鈴廣や紀文という有名店のものばかりです。黒豆は丹波産。太いタコの足は北海道産。マグロはインドマグロや近海の本鮪。
それに松葉蟹に太いタラバ蟹。当然、値段が違います。
これらの商品が数日で売れるのです。近所は普通の庶民が住んでいるごく平凡な住宅街です。
この光景を見て、私は確信しました。正月料理の為に狂ったようにお金を使う民族が日本民族の特徴だと。勿論、例外は多いと思いますが。
しかし驚いてばかりもいられません。家内と一緒に一応必要なものを買い揃えました。
そして下の写真のようなものを手本にして重箱に入れたお節料理を作るのです。
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1番目の写真はデパートや有名な料理店で売り出しているお節料理の詰め合わせです。
我が家では写真に写っている食材の全てを揃えるのは無理ですが、こんなイメージの詰め合わせを毎年作ります。家内が作るのが楽しそうにしています。
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2番目の写真は正月料理の材料を買う人で賑わっている東京のアメ横の風景です。
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3番目の写真はそのアメ横の店先の光景です。
さてお節料理にはどのような歴史があるのでしょうか?
簡単に言えば奈良時代に中国から入って来た五節供の行事の為に作った料理が起源になっているそうです。始めは実に質素なものでしたが、江戸時代になって武士階級が正月料理を特に作るようになったそうです。庶民もその真似事をします。
ところが多くの人が重箱に詰めるようになったのは第二次大戦以後のことなのです。私は江戸時代から重箱に詰めていたと思っていました。それは間違いでした。
金持ちが重箱に御節料理を詰めるようになったのは明治時代以降だったのです。
そして重箱に御節を詰める手法が完全に確立した時期は第二次世界大戦後だそうです。デパートなどが見栄えの良い重箱入りの御節料理を発売したことによると言われているのです。
そんな歴史があるので現在でもデパートや有名料亭の重箱入りの御節料理を買う人も多いようです。
しかしお節料理の楽しさは、一品一品手作りするのが楽しいのです。作っている間、家内が楽しそうにしているので家庭が明るくなるのです。お正月が来るとその重箱を開けるのが楽しいのです。
実は楽しみはそこまでです。一品一品食べてみると必ずしも感動的な味ではありません。すべて不味い言えば言い過ぎですが、まあ微妙な食品なのです。しかし美味しい!美味しい!と言わないとお正月の神様が来ません。美味しいと言うと美味しくなるのです。
そんなことをしているとお正月も過ぎていきます。
それにしても本年は皆様に多くの拙い記事をお読み頂き、本当に有難う御座いました。そして多くのコメントを頂いたことも深く感謝しています。コメントへ返事をあまり書かなかったことをお詫び申し上げます。
どうぞ楽しいお正月をお迎えください。そして来年も皆様にとって幸多い年になるようにお祈りいたします。
この一年間、有難う御座いました。 後藤和弘
===お節料理とは============
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%AF%80%E6%96%99%E7%90%86 より抜粋しました。
「おせち」は「御節供(おせちく、おせつく)」や「節会(せちえ)」の略であり、中国から伝わった五節供の行事に由来する。
奈良時代には朝廷内で節会(せちえ)として行われ、そこで供される供御を節供(せちく)と言った。現在のような料理ではなく、高盛りになったご飯などであったとされる。
この五節会の儀を一般庶民がならって御節供を行うようになったものと考えられている。
もともとは五節句の祝儀料理すべてをいったが、のちに最も重要とされる人日の節句の正月料理を指すようになった。正月料理は江戸時代の武家作法が中心となって形作られたといわれている。
江戸時代、関西では「蓬莱飾り」、江戸では「食積(くいつみ)」、九州の佐賀・長崎などでは「蓬莱台・手懸け盛り」と称し歳神様に三方などでめでたい食べ物などを床の間に飾り、また年始の挨拶に訪れた客にも振舞ったり家族も食べたりした。
重詰めへの移行;
傍廂(1853年)によれば天明の頃までは食べていたがそれ以降は飾るだけとなり、正月料理は重詰め等へと変化していく。膳に盛られた料理と重に詰められた料理が用意され、このうち膳に盛られた料理を「おせち」と呼んだ。のちの「東京風俗志」(明治34年)によるとお膳に供えた煮物を「御節」、重詰めしたものを「食積」と呼んでいる。
重箱に本膳料理であった煮染めを中心とした料理が詰められるようになり食積と御節の融合が進んだ。
現在では重箱に詰めた正月料理を御節と呼ぶようになっている。重箱に御節料理を詰めるようになったのは明治時代以降のことと言われている。
重箱に御節を詰める手法が完全に確立した時期は第二次世界大戦後でデパートなどが見栄えの良い重箱入りの御節料理を発売したことによるとも言われている。正月料理の重詰めについては江戸時代の文化・文政年間の料理茶屋における料理の影響を受けているとみる説もある。
内容;
御節料理の基本は、祝い肴三種(三つ肴、口取り)、煮しめ 酢の物、焼き物である。地方により構成は異なる。三つ肴の内容は関東では黒豆、数の子、ごまめ(田作り)の3種。
関西では黒豆、数の子、たたきごぼうの3種である。
一つ一つの料理は、火を通したり干したり、あるいは酢に漬けたり味を濃くするなど、日持ちする物が多い。これは歳神を迎えて共に食事を行う正月の火を聖なるものとして捉え、神と共食する雑煮をつくるほかは火を使う煮炊きをできるだけ避けるべきという風習に基づく。家事から女性を解放するためという要素があるとみる説もある。
また、関西には「睨み鯛」といって三が日の間は箸をつけない尾頭つきの鯛を焼いたものを重詰めする風習がある。
現在では、食品の保存技術も進んだため、生ものや珍味のほか、中華料理、西洋料理など多種多様な料理を重箱に詰めて供することも多い。マリネなどのオードブル、ローストビーフや牛肉の八幡巻などの肉料理、寿司などが企業や生活情報サイトなどでレシピとして提案されている。
また、これらの御節料理を宅配サービスを前提とした食料品店、百貨店、料亭、インターネット上の店舗が販売し、買い求める人々も増えている。以下省略。
そのスーパーでは、日頃、控えめの値段で良質な食材を売っています。売り場が清潔で広い通路が気に入って毎日のように行っているYaokoというスーパーです。
それが昨日は様変わりしています。高級なお節料理の食材が溢れるように並んでいます。そして値段が驚く程高くなっているのです。
贅沢は敵だというスローガンを聞かされて育った私にとっては息を飲むような光景だったのです。
本当にこんなに高い、そして多量の商品が数日で売れるのでしょうか。とても心配になってきました。
お節料理に欠かせない蒲鉾や伊達巻を詳しく見ると篭清や鈴廣や紀文という有名店のものばかりです。黒豆は丹波産。太いタコの足は北海道産。マグロはインドマグロや近海の本鮪。
それに松葉蟹に太いタラバ蟹。当然、値段が違います。
これらの商品が数日で売れるのです。近所は普通の庶民が住んでいるごく平凡な住宅街です。
この光景を見て、私は確信しました。正月料理の為に狂ったようにお金を使う民族が日本民族の特徴だと。勿論、例外は多いと思いますが。
しかし驚いてばかりもいられません。家内と一緒に一応必要なものを買い揃えました。
そして下の写真のようなものを手本にして重箱に入れたお節料理を作るのです。
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1番目の写真はデパートや有名な料理店で売り出しているお節料理の詰め合わせです。
我が家では写真に写っている食材の全てを揃えるのは無理ですが、こんなイメージの詰め合わせを毎年作ります。家内が作るのが楽しそうにしています。
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2番目の写真は正月料理の材料を買う人で賑わっている東京のアメ横の風景です。
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3番目の写真はそのアメ横の店先の光景です。
さてお節料理にはどのような歴史があるのでしょうか?
簡単に言えば奈良時代に中国から入って来た五節供の行事の為に作った料理が起源になっているそうです。始めは実に質素なものでしたが、江戸時代になって武士階級が正月料理を特に作るようになったそうです。庶民もその真似事をします。
ところが多くの人が重箱に詰めるようになったのは第二次大戦以後のことなのです。私は江戸時代から重箱に詰めていたと思っていました。それは間違いでした。
金持ちが重箱に御節料理を詰めるようになったのは明治時代以降だったのです。
そして重箱に御節を詰める手法が完全に確立した時期は第二次世界大戦後だそうです。デパートなどが見栄えの良い重箱入りの御節料理を発売したことによると言われているのです。
そんな歴史があるので現在でもデパートや有名料亭の重箱入りの御節料理を買う人も多いようです。
しかしお節料理の楽しさは、一品一品手作りするのが楽しいのです。作っている間、家内が楽しそうにしているので家庭が明るくなるのです。お正月が来るとその重箱を開けるのが楽しいのです。
実は楽しみはそこまでです。一品一品食べてみると必ずしも感動的な味ではありません。すべて不味い言えば言い過ぎですが、まあ微妙な食品なのです。しかし美味しい!美味しい!と言わないとお正月の神様が来ません。美味しいと言うと美味しくなるのです。
そんなことをしているとお正月も過ぎていきます。
それにしても本年は皆様に多くの拙い記事をお読み頂き、本当に有難う御座いました。そして多くのコメントを頂いたことも深く感謝しています。コメントへ返事をあまり書かなかったことをお詫び申し上げます。
どうぞ楽しいお正月をお迎えください。そして来年も皆様にとって幸多い年になるようにお祈りいたします。
この一年間、有難う御座いました。 後藤和弘
===お節料理とは============
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%AF%80%E6%96%99%E7%90%86 より抜粋しました。
「おせち」は「御節供(おせちく、おせつく)」や「節会(せちえ)」の略であり、中国から伝わった五節供の行事に由来する。
奈良時代には朝廷内で節会(せちえ)として行われ、そこで供される供御を節供(せちく)と言った。現在のような料理ではなく、高盛りになったご飯などであったとされる。
この五節会の儀を一般庶民がならって御節供を行うようになったものと考えられている。
もともとは五節句の祝儀料理すべてをいったが、のちに最も重要とされる人日の節句の正月料理を指すようになった。正月料理は江戸時代の武家作法が中心となって形作られたといわれている。
江戸時代、関西では「蓬莱飾り」、江戸では「食積(くいつみ)」、九州の佐賀・長崎などでは「蓬莱台・手懸け盛り」と称し歳神様に三方などでめでたい食べ物などを床の間に飾り、また年始の挨拶に訪れた客にも振舞ったり家族も食べたりした。
重詰めへの移行;
傍廂(1853年)によれば天明の頃までは食べていたがそれ以降は飾るだけとなり、正月料理は重詰め等へと変化していく。膳に盛られた料理と重に詰められた料理が用意され、このうち膳に盛られた料理を「おせち」と呼んだ。のちの「東京風俗志」(明治34年)によるとお膳に供えた煮物を「御節」、重詰めしたものを「食積」と呼んでいる。
重箱に本膳料理であった煮染めを中心とした料理が詰められるようになり食積と御節の融合が進んだ。
現在では重箱に詰めた正月料理を御節と呼ぶようになっている。重箱に御節料理を詰めるようになったのは明治時代以降のことと言われている。
重箱に御節を詰める手法が完全に確立した時期は第二次世界大戦後でデパートなどが見栄えの良い重箱入りの御節料理を発売したことによるとも言われている。正月料理の重詰めについては江戸時代の文化・文政年間の料理茶屋における料理の影響を受けているとみる説もある。
内容;
御節料理の基本は、祝い肴三種(三つ肴、口取り)、煮しめ 酢の物、焼き物である。地方により構成は異なる。三つ肴の内容は関東では黒豆、数の子、ごまめ(田作り)の3種。
関西では黒豆、数の子、たたきごぼうの3種である。
一つ一つの料理は、火を通したり干したり、あるいは酢に漬けたり味を濃くするなど、日持ちする物が多い。これは歳神を迎えて共に食事を行う正月の火を聖なるものとして捉え、神と共食する雑煮をつくるほかは火を使う煮炊きをできるだけ避けるべきという風習に基づく。家事から女性を解放するためという要素があるとみる説もある。
また、関西には「睨み鯛」といって三が日の間は箸をつけない尾頭つきの鯛を焼いたものを重詰めする風習がある。
現在では、食品の保存技術も進んだため、生ものや珍味のほか、中華料理、西洋料理など多種多様な料理を重箱に詰めて供することも多い。マリネなどのオードブル、ローストビーフや牛肉の八幡巻などの肉料理、寿司などが企業や生活情報サイトなどでレシピとして提案されている。
また、これらの御節料理を宅配サービスを前提とした食料品店、百貨店、料亭、インターネット上の店舗が販売し、買い求める人々も増えている。以下省略。