まえがき、
この欄ではいろいろな方々に原稿をお願いして記事を書いて頂いています。
今回はフランスやドイツに長く住んで子育てを経験したEsu Keiさんに寄稿を頼みました。ご主人の仕事のため1974年から1984年の間滞在しました。日常の生活で感じたことを飾らず素直な、そして読みやすい文章で綴ったものです。
連載の第8回目は、「みんな、財布を確かめろ!」です。パリの地下鉄の中での一場面です。
お楽しみ頂けたら嬉しく思います。
===「パリの寸描、その哀歓(8)みんな、財布を確かめろ!」、Esu Kei著==========
ラッシュアワーの地下鉄でのことである。シャトレで乗り換えて1号線に乗ろうとした時、後から私を押すようにして、5,6人の若い娘たちがどやどやと声高に何か言いながら乗ってきた。ラフな格好の何と言うか社会に反発するちょっと乱暴な雰囲気を漂わせている、そんな二十歳前後の年恰好の人達。
プォーと音がして、ドアが閉まりかけたその時、中の一人がパッと足をあげて、ドアを抑えた。電車は発車できない。何人かが大声で何か怒鳴るように声を掛け合ってやがてさっと降りて行った。この間30秒とは経っていなかったと思う。器用に素早く、だれも電車に取り残されたりもせず、逃げるように降りて行った。電車のドアは閉まった。あまりのことに皆声も出ない。その時、一人の中年の男性が叫んだ。「みんな、財布を確かめろ!」
乗客は弾かれたように胸のポケットやら、バッグに手を当てる。大丈夫、と安心した顔、顔、顔。そうか、彼女たちはスリ集団だったのかもしれない。乱暴な挙動で嫌がられながらも乗客の注意を引き付けておいて、あっけにとられているうちに財布を掏る。そんな集団だったのかなと私も思った。パリでは観光地の広場などで、移民の貧しい子等が集団でスリをするということはよくある。この日の集団はもう年齢も大人だし、白人が多かったように見えた。アウトローの若者集団であろう。何事もなくてよかった。
家に帰って夜、私の胸に妙な想像と言うか、疑いが浮かんだ。もし「財布を確かめろ!」と叫んだ中年の男性と、あの娘達がぐるだったらどうだろう。財布を確かめた人の中から目ぼしいカモを選んで今度こそ本当にスリを働くことができるではないか。でも、娘達の分け前の配分の問題が起きそうだから、その可能性は低いだろう。
もうひとつ、もっと現実的な想像が…警告した中年の男性は善意で皆に注意喚起をしただけだとする。しかし、あの車内にスリを働こうとする悪い奴が居合わせたとしたら、皆が財布のありかに手をやって確かめたことで絶好の機会を得たのではないか。何しろラッシュアワーである。あの時胸をなでおろした人の中に、帰宅した後で財布がないことに気付いて愕然とした人もいたかもしれない。誰が見ても貧乏人の部類に入る私はちょっとだけ安心し、「私は推理小説が書けるぞ」と思った。(続く)
今日の挿し絵代わりの絵画は私の心を揺さぶるゴッホの絵3点です。記事の内容とは全く関係がありません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
この欄ではいろいろな方々に原稿をお願いして記事を書いて頂いています。
今回はフランスやドイツに長く住んで子育てを経験したEsu Keiさんに寄稿を頼みました。ご主人の仕事のため1974年から1984年の間滞在しました。日常の生活で感じたことを飾らず素直な、そして読みやすい文章で綴ったものです。
連載の第8回目は、「みんな、財布を確かめろ!」です。パリの地下鉄の中での一場面です。
お楽しみ頂けたら嬉しく思います。
===「パリの寸描、その哀歓(8)みんな、財布を確かめろ!」、Esu Kei著==========
ラッシュアワーの地下鉄でのことである。シャトレで乗り換えて1号線に乗ろうとした時、後から私を押すようにして、5,6人の若い娘たちがどやどやと声高に何か言いながら乗ってきた。ラフな格好の何と言うか社会に反発するちょっと乱暴な雰囲気を漂わせている、そんな二十歳前後の年恰好の人達。
プォーと音がして、ドアが閉まりかけたその時、中の一人がパッと足をあげて、ドアを抑えた。電車は発車できない。何人かが大声で何か怒鳴るように声を掛け合ってやがてさっと降りて行った。この間30秒とは経っていなかったと思う。器用に素早く、だれも電車に取り残されたりもせず、逃げるように降りて行った。電車のドアは閉まった。あまりのことに皆声も出ない。その時、一人の中年の男性が叫んだ。「みんな、財布を確かめろ!」
乗客は弾かれたように胸のポケットやら、バッグに手を当てる。大丈夫、と安心した顔、顔、顔。そうか、彼女たちはスリ集団だったのかもしれない。乱暴な挙動で嫌がられながらも乗客の注意を引き付けておいて、あっけにとられているうちに財布を掏る。そんな集団だったのかなと私も思った。パリでは観光地の広場などで、移民の貧しい子等が集団でスリをするということはよくある。この日の集団はもう年齢も大人だし、白人が多かったように見えた。アウトローの若者集団であろう。何事もなくてよかった。
家に帰って夜、私の胸に妙な想像と言うか、疑いが浮かんだ。もし「財布を確かめろ!」と叫んだ中年の男性と、あの娘達がぐるだったらどうだろう。財布を確かめた人の中から目ぼしいカモを選んで今度こそ本当にスリを働くことができるではないか。でも、娘達の分け前の配分の問題が起きそうだから、その可能性は低いだろう。
もうひとつ、もっと現実的な想像が…警告した中年の男性は善意で皆に注意喚起をしただけだとする。しかし、あの車内にスリを働こうとする悪い奴が居合わせたとしたら、皆が財布のありかに手をやって確かめたことで絶好の機会を得たのではないか。何しろラッシュアワーである。あの時胸をなでおろした人の中に、帰宅した後で財布がないことに気付いて愕然とした人もいたかもしれない。誰が見ても貧乏人の部類に入る私はちょっとだけ安心し、「私は推理小説が書けるぞ」と思った。(続く)
今日の挿し絵代わりの絵画は私の心を揺さぶるゴッホの絵3点です。記事の内容とは全く関係がありません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)