この欄では折にふれて、いろいろな方々に原稿をお願いして記事を書いて頂いています。
Esu Keiさんによる連載記事の「パリの寸描、その哀歓」は少しお休みいたします。頂いている原稿はまだありますが、この辺で気分を変えて頂くためにドイツでの体験談を時々お送りしたいと存じます。
Esu Keiさんはフランスやドイツに長く住んで子育てを経験した方です。ご主人の仕事のため1974年から1984年の間滞在しました。日常の生活で体験したことを素直な、そして読みやすい文章で綴ったものです。
今日はドイツで遭遇したスリ師のことです。お楽しみ下さい。
===「ドイツで遭遇したスリ師の見事なわざ」、Esu Kei著===============
ハンブルクに住んでいた頃のこと、電車に乗って珍しく都心まで出かけた。夫があつらえたジャケットを洋服屋さんに取りに行く日だった。
我が家としては数年に一度の高い買い物である。夫から預かったお金は1000マルク。用心深く封筒に入れて、深い買い物バッグの内ポケットに入れていた。
家を出て、まず近くの洗濯屋さんによる。そこで洗濯物をおいて、イーザーブルックの駅に向かう。20分に1本の電車を待つ。ようやく来た電車に乗り込み、4人向かい合わせの席に座ろうとしたその時、電車が揺れたのかよろけた。バッグを取り落としてして、みごとに中身をぶちまけてしまった。すでに二人の女性が乗っていて、私ともう一人男性が座ろうとしていた。私は座っていた人に体か、荷物がぶつかったかもしれないし、恥ずかしいし、とにかく平謝りで、身の置き所もない思いだった。男性が荷物を拾うのを手伝ってくれたが、丸い小さなキャンディー缶が転がって座席の下に行ってしまうし、文庫本のページがくしゃくしゃに開いて落ちている。ハンカチ、手帳、ボールペン、鍵も床に落ちて…男性に助けられながら荷物を拾い終わり、何度もダンケ・シェーン(有難う)を繰り返し…電車はもう次のブランケネーゼの駅についていた。
ユンクフェルンシュティークで電車を降りて、湖のほうへ歩いてすぐのところに洋服屋さんはある。ジャケットの代金を払うためにお金の封筒を出そうと、バッグの中のポケットのチャックを開けようとした。あれ?チャックが開いている。ない。封筒はない。あわててバッグの底の方も探してみるが、ない。何度探ってもない。
その時あっと思い出した。荷物を拾うのを手伝ってくれた男性が、何故か私の目をじっと見つめたまま目を離さなかったことを。そして、それが何か気味悪く心にひっかかったことを。あの男はスリだったのかもしれない。
家に戻る途中、念のためと思って洗濯屋さんに寄って見た。「私、ここに封筒を忘れていきませんでしたか?」「何も気が付かなかったけれど、どうしたの?」「実はお金を無くしてしまったの。電車の中でバッグを落として、男の人が助けてくれたんだけれど、どうも掏られた気がするの。」というと、「それよ。彼等の職業なのよ。そりゃかなわないわ。相手はプロなんだから。可哀想に、気を取り直してね」おかみさんに慰められて、家に帰る道々、夫になんと言って謝ったらいいのかと考えていた。
私がよろけたのは本当に電車が揺れたからだったのか? よろけたくらいで、バッグの中身はあんなに見事にひっくり返るものなのか?電車の中でバッグの内ポケットのチャックが開いているのに気付いたとして、取り返すチャンスはあったのか?
でも、どう思い返しても今更仕方のないことではないか。あれがプロのお手並みと言うものか。参りました。
夜、帰宅した夫に「あなたから預かった大切なお金掏られてしまいました。ごめんなさい」というと、夫から返ってきた言葉は「君はぼんやりしてるところがあるからな。でも君がケガしたとかじゃなくて良かったよ。この次は気を付けて」というものだった。私と夫は、普段は実に些細なことで言い合いをする。でも大きな失敗をしでかした時には、夫は決して私を責めないのだ。(終り)
今日の挿し絵代わりの写真は気分が晴れ晴れするような海の見える風景です。先週、三浦半島で撮ってきました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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Esu Keiさんによる連載記事の「パリの寸描、その哀歓」は少しお休みいたします。頂いている原稿はまだありますが、この辺で気分を変えて頂くためにドイツでの体験談を時々お送りしたいと存じます。
Esu Keiさんはフランスやドイツに長く住んで子育てを経験した方です。ご主人の仕事のため1974年から1984年の間滞在しました。日常の生活で体験したことを素直な、そして読みやすい文章で綴ったものです。
今日はドイツで遭遇したスリ師のことです。お楽しみ下さい。
===「ドイツで遭遇したスリ師の見事なわざ」、Esu Kei著===============
ハンブルクに住んでいた頃のこと、電車に乗って珍しく都心まで出かけた。夫があつらえたジャケットを洋服屋さんに取りに行く日だった。
我が家としては数年に一度の高い買い物である。夫から預かったお金は1000マルク。用心深く封筒に入れて、深い買い物バッグの内ポケットに入れていた。
家を出て、まず近くの洗濯屋さんによる。そこで洗濯物をおいて、イーザーブルックの駅に向かう。20分に1本の電車を待つ。ようやく来た電車に乗り込み、4人向かい合わせの席に座ろうとしたその時、電車が揺れたのかよろけた。バッグを取り落としてして、みごとに中身をぶちまけてしまった。すでに二人の女性が乗っていて、私ともう一人男性が座ろうとしていた。私は座っていた人に体か、荷物がぶつかったかもしれないし、恥ずかしいし、とにかく平謝りで、身の置き所もない思いだった。男性が荷物を拾うのを手伝ってくれたが、丸い小さなキャンディー缶が転がって座席の下に行ってしまうし、文庫本のページがくしゃくしゃに開いて落ちている。ハンカチ、手帳、ボールペン、鍵も床に落ちて…男性に助けられながら荷物を拾い終わり、何度もダンケ・シェーン(有難う)を繰り返し…電車はもう次のブランケネーゼの駅についていた。
ユンクフェルンシュティークで電車を降りて、湖のほうへ歩いてすぐのところに洋服屋さんはある。ジャケットの代金を払うためにお金の封筒を出そうと、バッグの中のポケットのチャックを開けようとした。あれ?チャックが開いている。ない。封筒はない。あわててバッグの底の方も探してみるが、ない。何度探ってもない。
その時あっと思い出した。荷物を拾うのを手伝ってくれた男性が、何故か私の目をじっと見つめたまま目を離さなかったことを。そして、それが何か気味悪く心にひっかかったことを。あの男はスリだったのかもしれない。
家に戻る途中、念のためと思って洗濯屋さんに寄って見た。「私、ここに封筒を忘れていきませんでしたか?」「何も気が付かなかったけれど、どうしたの?」「実はお金を無くしてしまったの。電車の中でバッグを落として、男の人が助けてくれたんだけれど、どうも掏られた気がするの。」というと、「それよ。彼等の職業なのよ。そりゃかなわないわ。相手はプロなんだから。可哀想に、気を取り直してね」おかみさんに慰められて、家に帰る道々、夫になんと言って謝ったらいいのかと考えていた。
私がよろけたのは本当に電車が揺れたからだったのか? よろけたくらいで、バッグの中身はあんなに見事にひっくり返るものなのか?電車の中でバッグの内ポケットのチャックが開いているのに気付いたとして、取り返すチャンスはあったのか?
でも、どう思い返しても今更仕方のないことではないか。あれがプロのお手並みと言うものか。参りました。
夜、帰宅した夫に「あなたから預かった大切なお金掏られてしまいました。ごめんなさい」というと、夫から返ってきた言葉は「君はぼんやりしてるところがあるからな。でも君がケガしたとかじゃなくて良かったよ。この次は気を付けて」というものだった。私と夫は、普段は実に些細なことで言い合いをする。でも大きな失敗をしでかした時には、夫は決して私を責めないのだ。(終り)
今日の挿し絵代わりの写真は気分が晴れ晴れするような海の見える風景です。先週、三浦半島で撮ってきました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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