後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

人間の絆のいろいろ(1)日本と欧米の違い

2016年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム
あなたは周りの家族と温かい絆を持っていますか?友人たちと楽しい関係を持っていますか?職場の上司や同僚たちに可愛いがらていますか?退職後も心温まる交流が続いていますか?住んでいる所の地域社会の中で豊かな人間関係を持っていますか?
これら皆を纏めれば「人間の絆」という言葉になります。
私は生まれつき人見知りをする性格です。知らない人へ気軽に声をかけられません。社交的でないのです。ですから他人との絆が上手く作れません。80歳と老成した現在も困っています。
そこで人間の絆のいろいろな問題を考えています。その考えたことを、今日から「人間の絆のいろいろ」と題する連載にして書いて行きたいと思います。その考えたことは体系的に整理しにくいことです。従って連載と言っても脈絡も無い断片的な内容の羅列になっています。
第一回目のものは「人間の絆のいろいろ(1)日本と欧米の違い」です。
日本と欧米の一番大きな絆の違いの例を一つだけ示したいとおもいます。
それは学校の同窓会や同級会に見られる人間の絆です。
分かり易く結論を先に書けば、欧米では同窓会や同級会による人間の絆は存在しません。日本のように強い人間の絆が無いのです。
一方、日本ではある学校を卒業すると全員が自動的にその学校の同窓会に入ります。そしてその後の社会生活でも「同窓生のよしみで」いろいろなことが期待されます。同窓生は学校の部活への寄付を一生期待されます。同窓生同士も同じ学校を出たという絆を尊重します。
勿論このような絆に反発する人も少なくありません。
しかし何故、同窓会のことを書くかというと、欧米では日本ほど強固な同窓会の組織も無く、確かに寄付の案内も来ますが無視しても良いような文面なのです。
同窓会に関連して同級会もあります。これは同じクラスとして何年間か同じ勉強をした仲間なので絆が強いものです。
同級会には小学校、新制中学校、高校、大学とあります。私はそれぞれの同級会を大切にしています。
同級会は出席すると楽しいのです。
生まれつき社交的でない性格の私にとっては同級会の仲間だけは気軽に楽しく話しあえるのです。現在でも大学の同級会には毎回出席しています。
このような学校という組織で出来た人間の絆が強いのは日本や韓国や中国などの社会特有の文化のようです。
例えば新聞やマスコミで有名人を紹介するとき必ず大学の名を書く習慣です。東大教授、早稲田大教授とか表記するのです。そしてその専門分野を書かないのです。
また出身大学を書く場合も多いのです。これでは高校や中学までしか行っていない人はどうするのでしょうか?私は いきどうりを感じていす。
欧米では人間の絆は組織を離れ、個人個人が作るもののようです。当然、日本のような同級会はありません。
しかし若い頃通っていた学校を懐かしいと思う卒業生もいます。そこでアメリカでは毎年、ホーム・カムイング・ディーと称する日に希望する同窓生が学校に帰って来て、いろいろなイベントに参加します。しかし日本のような半分、強制的な雰囲気ではありません。
日本文化で無意識ながら重要な概念は「運命共同体」というものです。同じ学校を卒業したのも前世からの縁です。運命です。
ですからそこには強い人間の絆がある筈です。雑に言えばこのようないきさつで同窓会や同級会は日本や韓国や中国では重要な意味を持っているのではないでしょうか?そこで出来た人間の絆は強いのではないでしょうか?

こういうことを書くとまた叱られますが、戦死した人は皆靖国神社に祀られるのは日本人として生まれた運命共同体だからなのでしょう。

この連載では都会における人間の絆や農村の絆やインターネットで出来た人間の絆などと多方面の問題を取り上げて行きたいと思います。

今日の挿し絵代わりの写真は花屋さんで撮った冬の花の写真です。東久留米市の石塚園芸店で撮らせて貰いました。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)