後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「パリの寸描、その哀歓(3)駐車違反には買収で対抗?」

2016年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム
まえがき、
このブログではいろいろな方々に原稿をお願いして記事を書いて頂いています。
今回はフランスやドイツに長く住んで子育てを経験したEsu Keiさんに寄稿を頼みました。ご主人の仕事のため1974年から1984年の間滞在しました。
日常の生活で感じたことを飾らず素直な、そして読みやすい文章で綴ったものです。
何気ない書き方ですが、人々の息づかいが感じらるのです。ユーモアもペーソスがあります。
連載の第3回目は、「駐車違反には買収で対抗?」です。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。

===「パリの寸描、その哀歓(3)駐車違反には買収で対抗?」Esu Kei著=====
 日本に限らず、世界のどこでも大都市の通りでは駐車場が不足している。そういう時にお国柄が出る。ドイツなどでは駐車違反をする人はとても少ない。ドイツ人の車に乗せてもらうと、駐車するためにだけでも正規の駐車場を探してちょっとしたドライブをする人が多い。規則はきちんと守るという真面目な国民性は実に見上げたものだ。日常的な意味では。ただ私は、どんな長所も同時に欠点になり得るし、どんな欠点も長所と裏表でであると思っているので、ドイツ人だけが素晴らしいとか、ラテン系の人達がけしからんと言うつもりはない。
 パリのヴィクトル・ユーゴー大通りで愉快な場面にであった。ある日の午後、駐車違反の車を監視するオーベルジーヌ(茄子)とよばれる茄子色の制服を着た女性の補助警官が、違反の車に罰金支払い命令の紙を貼りつけて歩いている。そこへちょうど車の持ち主が戻って来た。太っちょの気の好さそうなおじさんだ。大慌てで駆け寄ると「ちょっと、ちょっと待ってよ!マドモアゼル、ちょっと待って...大急ぎで帰ってきたんだから。息も切れそうに走ってきて、ほら、こんなにドキドキしてるよ。あなたのほうが偶然一歩早かっただけじゃないか。それはあまりにも意地悪というものだ。貴女のような美しくて、優しくて、エレガントな人のすることじゃないでしょ。お願いします、今日一度だけはお見逃しください。」と胸の前で手を合わせて、拝まんばかりである。オーベルジーヌ嬢(日本風に言えば茄子娘)は、お腹をよじって笑いをこらえながら、首を横に振っている。「美しいマドモアゼル、あなたにプレゼントがあります。この私の傑作を見てください。これをあなたに差し上げましょう。」とさっきから巻いて手に持っていた絵らしきものを差し出した。今度は買収作戦か。楽しませてくれる人だなぁ。もちろんそんなことが通じるはずもなく、茄子娘は笑いながら去っていった。
喜劇の一場面をを演じた名優は、両手を広げ、肩をすぼめ、ちょっとうなだれて見送っていたが、一転、ずっと側に黙って立っていた連れの男と肩をたたきあうと何事もなかったような表情で車を出した。(続く)

さて挿し絵ですが、この記事の内容と関係の無い私の好きなユトリロの絵画にしました。サクレクール寺院の見える風景画です。
彼は『サクレクール寺院』の見える風景画を沢山描いていますが、私の好きな絵3点を選びました。
不思議な詩情が漂っている絵です。





モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo, 1883年 - 1955年)は、近代のフランスの画家です。生活環境に恵まれなかった上、飲酒依存症でした。
彼の作品のほとんどは風景画、それも、小路、教会、運河などの身近なパリの風景を描いたものです。ありふれた街の風景を描きながら、その画面は不思議な静謐さに満ちています。特に、用いられた白色が独特で美しいのです。
第二次世界大戦後まで余命を保ちましたが、作品は、後に「白の時代」といわれる、アルコールに溺れていた初期のものの方が一般に評価が高いそうです。パリ郊外のサノワにはモーリス・ユトリロ美術館があります。またモンマルトルにある墓には献花が絶えないと言います。

非日常の光景の写真を撮りに遠くの森の中へ行く

2016年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム
題目の非日常とは都下の小金井市に住む私の日常では絶対に経験出来ないことを意味します。
私の家は住宅に囲まれていて高い山々は見えません。道路は全てアスファルト舗装です。近所に少し畑は残っていますが、道路には車が溢れていて、その排気ガスで空気が汚れています。
時々、嗚呼!自然の中に浸りたい、生の自然と親しみたいと無性に思います。
そんな時には車で遠方の森の中へ行きます。甲斐駒岳の麓の森深くにある小屋に行きます。昨日も行ってきました。
そして非日常の光景の写真を撮って来ました。新鮮な空気の中で自然の景観に酔いしれてきました。
昨日撮ってきた5枚の写真を下に示します。

1番目の写真は標高2967mの甲斐駒岳の写真です。この山を右に見ながら森の中の道をゆっくり登ります。

2番目の写真は小屋へ上る森の中の道です。このような道を車で走ることは日常ではありません。悪路の凸凹を避けながらゆっくり登って行きます。歩いたら大変な距離の悪路です。車の有り難さがしみじみと体験出来るのです。

3番目の写真は深い森の中の小屋の写真です。小屋のすぐ傍に太い松の木が密着して生えています。小金井市の自宅の傍には巨木などありません。この松の樹が台風などで小屋の上に倒れたら一巻の終わりです。この太い松の木は小屋を建てた42年前はヒョロヒョロの細い木でした。歳月の流れを感じます。
もう一つの非日常は薪ストーブの煙突です。小金井の自宅には無い薪ストーブを燃やすと非日常の体験になります。薪の燃える煙が少し部屋に漏れ木の香りが部屋に満ちます。

4番目の写真は小屋の窓から見た小川の光景です。小金井の自宅の庭には小川などありません。
この小川に浮いた落ち葉を掻きわけ柄杓で水を汲みます。ヤカンで沸騰させてお茶を淹れます。嗚呼、風流だと独りで感動します。つまらない感動です。しかし何故か自然に浸っているような気分になります。

5番目の写真は伐採地に停めた車の写真です。車が枯れ木や草に埋まってしまい頼り無い風情です。
この写真の手前の方向に道のように見える踏み跡があります。その「けもの道」のような道を搔き分けながら、100m位、根気よく辿って行くと大きな山荘に着きます。
高齢の友人が独りで住んでいる山荘です。11月の24日に山荘の雪景色の写真を撮ろうとして転倒しました。
腰を強打し、救急車で病院へ行ったそうです。昨日はお見舞いに寄ったのです。
少し元気になって玄関まで歩いて出てきました。家内が心ばかりの品を出していました。
その後、また伐採地のけものみちを歩いて車まで帰って来ました。このようなけもの道を歩くのが非日常なことなのです。
ズボンにイノコズチが沢山着きます。枯葉が上着にまとわり着きます。自然と戯れているような気分にまります。
やっと車にたどり着くと家内がいません。サルたちの遊んでいる道を歩いて下っているのです。昨年までは走って下っていました。

帰りは高速道路に上がらないで昔の甲州街道をゆっくりとドライブしながら帰って来ました。前方に雪に覆われた富士山が光っていました。笛吹市に入るまでズウッと富士山を仰いでいました。

これが昨日の私の非日常な生活でした。高齢になっても時々、非日常な生活をすると新鮮な精神がよみがえって来て良いものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)