後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「桃太郎さんという住職さんの日記をご紹介いたします。」

2016年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム
唐突ですが、私は桃太郎 さんという曹洞宗のあるお寺の住職さんを尊敬しています。趣味人倶楽部の会員です。

素晴らしい住職さんです。日本中の住職さんが桃太郎さんのような方だったら寺院仏教は衰退しません。
そこで今日の彼の日記の一部をご紹介いたします。

挿し絵代わりの写真は今日の午後、八王子市の郊外で通りがかった姿の良いお寺の写真です。桃太郎さんのお寺ではありません。臨済宗の常龍山斟珠寺(シンシュウジ)です。
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『破戒坊主』(400)
https://smcb.jp/users/463063

・・・およそ信仰の対象(神や仏など)は カネを欲しがらない。
どこの世界の どんな神様が 指を舐めて カネを数えるか?
カネを欲しがるのは 自らを教祖と 或いは教祖の教えを説明する伝道師と自認する 人間なのだ。

信仰には カネは掛からない。
一銭のカネでも求める宗教があれば 偽教と思って 間違いない。

『布施』だ『喜捨』だ『浄財』だと その辺り 巷の宗教者は奥歯に物の挟まった言い方をするが 信仰には 普通の生活以上のカネは 掛からないのだ。

だが 葬式にはカネが掛かる。
当たり前だ。
(坊さんの)職業だもの。
経済活動だもの。
だから葬式は 宗教ではない。

俺は 生活の多くの時間を 葬式業に使っている。
だからその時の俺は 宗教者ではない。
考えても見よ。
死んだ者に向かって 仏教の教義なる お経を唱えて 何の為になる。
精々
『葬式は死人の為ではない 生き残った者の道を示す為の宗教儀式だ』
などと ねじ曲げて 必死に言い訳をする。

そんな持って回った言い方をするヒマが有るのなら 何故 道を説かぬか。
気が触れた と 阿呆 と言われようが 何故巷に分け入って 読経し続けないのか。

俺とは 一体 何なのか。
何の為にこの世に生まれ 何の為に坊主に成ったのか。
何百何千何万回 自問してきた此の問いを 馬鹿のようにまた 問い直している。

自己矛盾の落としどころが見付からない。
そういう『葬式坊主』が 此処に居る。
何の役にも 立たない。・・・つづく





人間の絆のいろいろ(3)夫婦ほど不思議な絆は無い

2016年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム
人間の絆で夫婦の絆ほど不思議なものはありません。多くの場合、まったくの赤の他人同士だった2人が一緒になって何十年死ぬまで暮らして行くのですから、これほど不思議な絆はありません。
一緒になる2人が外国人同士だろうが親子ほど年が離れていても一向に関係なく添い遂げるのですから不思議です。
血を分けた母子の絆や父と子供の絆の強さは容易に理解出来ますが、夫婦の場合は全く他人同士なのです。
自分のことを例に上げて恐縮ですが、たった一回の見合いで、何も恐れないで、すぐにいきなり結婚してしまったのです。
そして子供も生まれ、孫も生まれました。子供や孫は夫婦の絆を一層強くします。無意識のうちに強くしてくれているのです。
昨日は妻の祖父母や両親の正月前の墓参りをして来ました。

1番目の写真は東京の日野市にあるお墓のあるお寺の写真です。

2番目の写真はお寺の鐘楼です。今夜、除夜の鐘を突く鐘です。

3番目の写真は妻の実家の先祖代々の墓です。
宗派が浄土宗なので合掌して「南無阿弥陀佛」と十回唱えます。線香の香りが流れ、晴れ上がった虚空にケヤキの梢が広がっていました。
妻の祖父母も両親も私を大切にしてくれました。墓参りをするとその生前の優しい笑顔が眼前に現れてくるのです。これも不思議な人間の絆です。
自分自身の祖父母や両親の墓は遠方にあります。めったに墓参りは出来ませんが、それぞれの生前の姿が昨日も現れていました。
こうして私にとって妻の実家の墓参りをするたびに人間の絆を強く感じ、とても不思議な思いをいたします。
このようにもともと赤の他人だった妻と一生一緒に仲良く住む絆を持てたことは幸運なことです。
偶然このような運命に会えたのです。
しかし人それぞれと言うように結婚という絆にもいろいろな形があるのです。全く結婚をしない人も多いのです。
私の友人にまったく結婚しなかった人がいます。親切で優しい人です。独り暮らしを悠々と楽しんでいます。よく結婚しないと幸せになれないと言う人がいます。しかしそれは間違っています。
それから最近増えてきたものに同性婚という形態があります。
残念ながら日本では差別する人が多いようですが、差別してはいけないと思います。
私の友人に同性婚をしている人がいます。人間性が良く、知的で、暖かい心を持った人です。
日本では同性婚に対して偏見が強く、差別されるので ある外国に移住してそこで幸せな同性婚をしています。
一般に欧米側国では同性婚は普通の結婚と同じく法律的に保護されているのです。
税金の配偶者控除も普通の夫婦とまったく同じです。一方が亡くなった場合には配偶者の受け取っていた年金も貰えます。遺産相続も同じです。
日本では一般に性的マイノリティーとはどういうものかがきちんと理解されていないのです。
この件は奥が深いので、今日はこの位で止めます。

しかし同性婚のことまで考えると結婚の絆の不可思議さが一層深く感じられます。
人間がいくら考えても結婚の絆は理解できません。
ですからそれは神の領域なのです。
したがってキリスト教の旧教であるカトリックの教義では、現在でも離婚を禁止しています。
しかし世の中には2人の相性が悪いこともあります。いくら双方が努力しても相性の悪いのはどうしようもありません。別れる他方法がありません。私はカトリックですが、そのように考えています。別れる他方法が無いという絆も不思議なことです。

昨日、お墓参りに行きながらこんなことを考えていました。そして帰りがけに本堂の前でお釈迦様にお祈りして来ました。妻も合掌していました。
空には冬の澄んだ空気がみなぎり、宇宙のかなたまで見えるような素晴らしい晴天でした。

皆様、良いお年をお迎えください。この一年お世話になりました。
皆様の幸多い新年が来ますようにお祈り申し上げます。  後藤和弘