後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

政治に関心の無い人の罪、そして人間的な魅力

2017年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、『安倍総理が辞め、小池総理に?原発は廃止か?』という題の記事を掲載しました。
そしてその冒頭部分は次のようなものでした。
・・・安倍さんの独断的解散が藪蛇になり小池さんという強力な蛇が鎌首を上げました。
その結果、「自民・公明のグループ」と「希望・民進・維新というグループ」と「共産・社民・その他のグループ」の3つのグループの三者対抗戦になってしまいました。この3つのグループが475定員の衆議院議員の議席を争う選挙が今回の選挙なのです。・・・
今日はそれにまつわる感想です。簡略に書きます。
民主国で政治に関心を持たない人は悪いと言います。全ての国民が政治に関心を持ち自分の自由な考えに従って投票することが民主主義の原理原則です。ですから政治に関心の無いことは罪なことなのです。
このようなことを戦後教育で教わりました。その中学校で教わったことを私は金科玉条として信じています。
しかし日本にはまったく政治に関心の無い人も多いのです。関心の無さは国会議員や市町村議員の選挙の際の棄権率が30%から40%、あるいはそれ以上あることで分かります。
棄権率が「政治に関心の無い人」という短絡的な書き方に問題があるのは承知していますが、話を進めます。なにせ上で簡略に書きますと書いたのですから。
私は政治に関心の無い人に人間的な魅力を感じます。
この世の俗悪な権力欲が無い素晴らしい人が多いのです。
そんな人の例は芸術家、学者、そして聖職者に多いのではないでしょうか?
芸術的な価値、学問的な価値、信仰の価値などは政治的権力とは無縁のものです。
しかしここにも陥穽があります。例えば画家の組織、学会の組織、そして宗教の組織が出来ると、その中に権力構造ができます。
その権力にも無縁な人こそ人間として本物の魅力があるのではないでしょうか?
実例を挙げます。この欄で、8月7日に『薄幸の画家たち、山内龍雄と韓国の朴壽根のはなし』という記事を掲載しました。
そうして日本ではあまり有名ではない山内龍雄氏(1950年ー2013年)と韓国の朴壽根氏(1914年~1965年)の人となりをご紹介しました。二人の絵画には東洋的な無常感が漂い、何故か共通な基底があるようなのです。
これで止めます。
最後に一言です。
政治に関心の無い人には生活の追われて、その暇が無い人もいます。
単に怠慢で新聞の政治記事を読まない人もいます。子育てに熱中していて政治には全く関心の無い女性も多いかも知れません。私はそんな全ての人に人間的な魅力を感じます。
しかし民主主義の社会に生きている限り、政治に関心の無いことは良いことではありません。政治に自分固有の意見を持つことが民主主義の原理原則なのですから。
政治家の悪口を言って、自分が偉いと思っている人は論外です。

今日の挿し絵代わりの写真は江戸時代そのままの中山道、奈良井宿の風景写真です。今年の7月18日に撮りました。自動車が写っているのは江戸時代と違いますが。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)