愛にはいろいろなかたちがあるようです。親子の愛や夫婦の愛は実感出来る分かり易い愛です。
しかし子供の童話によく描かれている王様の人々へに対する愛は、現在の日本人には分かりにくいのではないでしょうか。
王様が人々を愛し、人々は王様を愛することは美しいことです。王様も人々も幸福です。どんなに科学や工業が発達していても愛が豊かにみなぎっている国ほど幸せな国はありません。
そのような国がアジアのいっかくにあるのです。タイ王国です。
昨年の10月13日にプミポン国王が88歳で亡くなったときのタイの人々の写真をご覧下さい。
1番目の写真は国王を慕う民衆がタイのシリアート病院の外で国王の病気が良くなるように祈っている光景です。病院の外にいる人の多くがピンク色の服を着て、国王に幸運が訪れることを願っています。
2番目の写真はプミポン国王の姿を写した写真を掲げ嘆き悲しむ女性の写真です。
3番目の写真も同じようにプミポン国王の姿を写した写真を掲げ嘆き悲しむ女性の写真です。
4番目の写真は悲しみのあまり道端で泣き崩れる3人の女性の写真です。以上の写真の出典は、http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/13/thailand-_n_12481536.html です。
プミポン国王の遺骸の通る沿道を国民が埋め尽くして悲しみにくれたそうです。そして国中が黒服を着て1年間の喪に服したのです。その1年間の喪も間も無く明けます。そして一年後の今月にプミポン前国王の葬儀を国家こぞって行うのです。
5番目の写真はこの一年間、黒服で通勤している光景の写真です。
プミポン国王はタイで敬愛される存在でした。国王の肖像画はタイの至る所で見かけられ、多くのタイ人は国王を崇拝の対象としていたのです。
プミポン国王は1927年12月5日、アメリカのマサチューセッツ州で生まれ、1946年6月、18歳で即位しました。世界で在位期間が最も長い王様でした。趣味は音楽、絵画、写真、ヨットなどだったそうです。作曲も行い、発表された作品は50を超えていたとも言います。。
タイは立憲主義の国ですが、政府に問題が起こったときには国王が仲裁役として大きな役割を担ってきた歴史があるのです。70年間に及ぶ在任中、クーデターや政治的な対立が起きたとき、国王は常に政治的な権力を行使して国内の平和を守ったのです。
タイは現在、2014年5月にクーデターが発生し、国王の承認を得たのち、軍政の支配下にあります。
このようにタイの王様は政治的な力を何度も発揮してきたのです。
それが可能だったのは国民が王様を愛していたからです。王様が国民を愛していたからです。
翻って日本の天皇制を考えて見ましょう。
私どもの天皇性は1300年の歴史があります。この長い間の存続を可能にしたのは時代、時代の政治権力者が天皇を利用して来たからです。と理解するのはあまりにも皮相的な理解です。
どんな時代にも天皇は人々を愛し、人々は天皇を愛していたのです。この相互の愛が天皇制を守ってきたとも理解できます。この相互の愛が無ければ政治権力者は天皇を利用できません。
このように目に見えない愛を強く感じる人もいます。鈍感で感じない人もいます。全く無関心な人もいます。
天皇制を否定する人にはこのような愛の存在が理解出来ないのです。
嗚呼、人はそれぞれです。しかし目に見えない愛を強く感じる人は幸せです。そのような人々を私は好きです。
今日示した写真に写っているような人々が好きです。尊敬しています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
しかし子供の童話によく描かれている王様の人々へに対する愛は、現在の日本人には分かりにくいのではないでしょうか。
王様が人々を愛し、人々は王様を愛することは美しいことです。王様も人々も幸福です。どんなに科学や工業が発達していても愛が豊かにみなぎっている国ほど幸せな国はありません。
そのような国がアジアのいっかくにあるのです。タイ王国です。
昨年の10月13日にプミポン国王が88歳で亡くなったときのタイの人々の写真をご覧下さい。
1番目の写真は国王を慕う民衆がタイのシリアート病院の外で国王の病気が良くなるように祈っている光景です。病院の外にいる人の多くがピンク色の服を着て、国王に幸運が訪れることを願っています。
2番目の写真はプミポン国王の姿を写した写真を掲げ嘆き悲しむ女性の写真です。
3番目の写真も同じようにプミポン国王の姿を写した写真を掲げ嘆き悲しむ女性の写真です。
4番目の写真は悲しみのあまり道端で泣き崩れる3人の女性の写真です。以上の写真の出典は、http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/13/thailand-_n_12481536.html です。
プミポン国王の遺骸の通る沿道を国民が埋め尽くして悲しみにくれたそうです。そして国中が黒服を着て1年間の喪に服したのです。その1年間の喪も間も無く明けます。そして一年後の今月にプミポン前国王の葬儀を国家こぞって行うのです。
5番目の写真はこの一年間、黒服で通勤している光景の写真です。
プミポン国王はタイで敬愛される存在でした。国王の肖像画はタイの至る所で見かけられ、多くのタイ人は国王を崇拝の対象としていたのです。
プミポン国王は1927年12月5日、アメリカのマサチューセッツ州で生まれ、1946年6月、18歳で即位しました。世界で在位期間が最も長い王様でした。趣味は音楽、絵画、写真、ヨットなどだったそうです。作曲も行い、発表された作品は50を超えていたとも言います。。
タイは立憲主義の国ですが、政府に問題が起こったときには国王が仲裁役として大きな役割を担ってきた歴史があるのです。70年間に及ぶ在任中、クーデターや政治的な対立が起きたとき、国王は常に政治的な権力を行使して国内の平和を守ったのです。
タイは現在、2014年5月にクーデターが発生し、国王の承認を得たのち、軍政の支配下にあります。
このようにタイの王様は政治的な力を何度も発揮してきたのです。
それが可能だったのは国民が王様を愛していたからです。王様が国民を愛していたからです。
翻って日本の天皇制を考えて見ましょう。
私どもの天皇性は1300年の歴史があります。この長い間の存続を可能にしたのは時代、時代の政治権力者が天皇を利用して来たからです。と理解するのはあまりにも皮相的な理解です。
どんな時代にも天皇は人々を愛し、人々は天皇を愛していたのです。この相互の愛が天皇制を守ってきたとも理解できます。この相互の愛が無ければ政治権力者は天皇を利用できません。
このように目に見えない愛を強く感じる人もいます。鈍感で感じない人もいます。全く無関心な人もいます。
天皇制を否定する人にはこのような愛の存在が理解出来ないのです。
嗚呼、人はそれぞれです。しかし目に見えない愛を強く感じる人は幸せです。そのような人々を私は好きです。
今日示した写真に写っているような人々が好きです。尊敬しています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)