恥ずかしい話ですが私が花々を好きになったのは家内の影響でした。例外はありますが、一般的には男性は女性ほど花を好きではないようです。しかしあまり花に関心の無かった男性も高齢になるに従って花々が好きになるようです。
さて、あなたは四季折々に咲く花々がお好きでしょうか?
お好きなら、何故好きなのか、その理由を説明できますか? 愚問ですね。
人間は太古の昔から花が好きだったのでしょうか?縄文時代の人は野山に咲く花を愛で、竪穴式の家の中に飾っていたでしょうか?
これも愚問ですね。しかしこの愚問から楽しい想像が出来ます。
数多く出土する土器には祈りや占いのような信心に関係する土偶が沢山あります。赤ん坊が死ぬという悲しみを癒すためにお棺も作りました。そして野山で採ってきた花々を挿したように見える細長い土器もあります。
しかし家の中からは花々の痕跡や化石は出て来ません。花々の弱い繊維は日本の酸性土壌で解けて消えてしまうのでしょう。
それでも私は縄文時代の竪穴式の家にも花々が飾ってあったと信じています。
縄文時代の女性は野山に木の実や食用植物を採集に行くのが仕事です。そこで見た美しい花々を持ち帰り自分の家に飾ったという想像をしても良いのではないでしょうか?
そして縄文時代に人々の愛した花々は現在、私達が見て楽しんでいる花と同じだったのでしょうか?
これは愚問ではありません。日本の植物学にとって重要な問題です。
そこで日本へ渡ってきた花の渡来植物を調べました。そうすると、渡来植物以外の花々は縄文時代から日本に存在していたと考えられるのです。
調べてみると、慶応大学、磯野直秀名誉教授の発表している「明治前園芸植物渡来年表」を見つけました。それは、http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=13125 です。これは完璧な研究論文です。信用出来る内容です。
下のにその一部をご紹介いたしますが、是非原文をご覧下さい。植物学の素人にも簡単に理解出来る素晴らしい文章で書いてあります。海外から渡来した時期は
(1)奈良、平安期
ウメ、キク、ボタン、シャクヤク、アサガオ、シモクレン、ケイトウ、ジュズダマなど。
(2)鎌倉期
ナンテン、フヨウ、ムクゲなど。
(3)室町期から安土桃山期
スイセン、ホウセンカ、ジンチョウゲ、ヒガンバナ、ロウバイ、ソテツなどなど。
(4)江戸時代(17世紀)
シュウカイドウ、サルスベリ、レンギョウ、ハクモクレン、オシロイバナ、エニシダ、ヒマワリ、など。
(5)江戸時代(18世紀)
キョウチクトウ、ハボタン、ニチニチソウ、など。
(6)江戸時代(19世紀)
ノボタン、ダリア、オジギソウ、コスモス、カンナ、キンギョソウ、スイートピー、パンジー、ラベンダー、チューリップ、ゼラニュームなど。
この研究論文の圧巻は30ページから39ページにわたる数百種の渡来園芸植物の年号別の一覧表にあります。
慶雲2年(705年)から始まって、明治1年(1968年)のそれぞれの年号に渡来した園芸植物の名前が明記してあるのです。それはこの研究者のライフワークと言っても過言ではありません。
驚くことにわれわれが普通日本古来の植物と思っていた梅も柿も皆渡来植物なのです。
この磯野直秀先生の渡来植物の表に無い花々は次の通りです。
ヤマザクラ、
ツツジ、
アジサイ、
いろいろな30種のユリ、
ツバキ、
山茶花、
ノバラ、
ハギ、
フジ、などなど。
そして縄文時代以後に絶滅した花々もあるでしょうから、当時は結構多種多様な花々が野山に咲いていたと考えられます。それらは園芸種ほど色あざやかではありませんが、楚々とした美しいものでした。
暗い竪穴式の縄文時代の家の中に美しいアジサイの花束が飾ってある光景を想像すると楽しいものです。
藤の花房が沢山野山に咲き、野バラも山桜の花々も人々が楽しんだことでしょう。
私は縄文時代や弥生時代の花々の考古学の進歩を願っています。
ついでに日本の昔からの文学作品に登場する植物や花を調べた記事をご紹介いたします。
出雲風土記、古事記、日本書紀、萬葉集、古今集、竹取物語、伊勢物語、今昔物語、源氏物語、枕草子、土佐日記、更級日記 などなど、江戸時代、明治維新後の文学作品に登場する植物が一覧表になっているのです。是非、http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/plant/bungakusakuhin/index.html をご覧下さい。
上に書いたように縄文人も多くの花々を眺めていました。
そしてその後、多くの花々が海を渡って日本に来たのです。 渡り鳥が運んだり、人間が運んだのです。
特に美しい花々はその種子や苗を人間が大切に運んだのです。運んだ人の名前は分かりません。しかし外国から運んで来た種や苗が日本の土で花を咲かせたときの感動は大きかったに違いありません。
花々を見てそんなことを想像するのは楽しいものです。
今日の挿し絵代わりの写真は昨日、都立薬草植物園で撮った蝋梅と紅梅と朝鮮連翹の花の写真と裏の雑木林の写真です。梅は奈良、平安時代に中國から来ました。ロウバイは室町期から安土桃山期に日本に来ました。レンギョウは江戸時代の1700年代に朝鮮からやって来ました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
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さて、あなたは四季折々に咲く花々がお好きでしょうか?
お好きなら、何故好きなのか、その理由を説明できますか? 愚問ですね。
人間は太古の昔から花が好きだったのでしょうか?縄文時代の人は野山に咲く花を愛で、竪穴式の家の中に飾っていたでしょうか?
これも愚問ですね。しかしこの愚問から楽しい想像が出来ます。
数多く出土する土器には祈りや占いのような信心に関係する土偶が沢山あります。赤ん坊が死ぬという悲しみを癒すためにお棺も作りました。そして野山で採ってきた花々を挿したように見える細長い土器もあります。
しかし家の中からは花々の痕跡や化石は出て来ません。花々の弱い繊維は日本の酸性土壌で解けて消えてしまうのでしょう。
それでも私は縄文時代の竪穴式の家にも花々が飾ってあったと信じています。
縄文時代の女性は野山に木の実や食用植物を採集に行くのが仕事です。そこで見た美しい花々を持ち帰り自分の家に飾ったという想像をしても良いのではないでしょうか?
そして縄文時代に人々の愛した花々は現在、私達が見て楽しんでいる花と同じだったのでしょうか?
これは愚問ではありません。日本の植物学にとって重要な問題です。
そこで日本へ渡ってきた花の渡来植物を調べました。そうすると、渡来植物以外の花々は縄文時代から日本に存在していたと考えられるのです。
調べてみると、慶応大学、磯野直秀名誉教授の発表している「明治前園芸植物渡来年表」を見つけました。それは、http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=13125 です。これは完璧な研究論文です。信用出来る内容です。
下のにその一部をご紹介いたしますが、是非原文をご覧下さい。植物学の素人にも簡単に理解出来る素晴らしい文章で書いてあります。海外から渡来した時期は
(1)奈良、平安期
ウメ、キク、ボタン、シャクヤク、アサガオ、シモクレン、ケイトウ、ジュズダマなど。
(2)鎌倉期
ナンテン、フヨウ、ムクゲなど。
(3)室町期から安土桃山期
スイセン、ホウセンカ、ジンチョウゲ、ヒガンバナ、ロウバイ、ソテツなどなど。
(4)江戸時代(17世紀)
シュウカイドウ、サルスベリ、レンギョウ、ハクモクレン、オシロイバナ、エニシダ、ヒマワリ、など。
(5)江戸時代(18世紀)
キョウチクトウ、ハボタン、ニチニチソウ、など。
(6)江戸時代(19世紀)
ノボタン、ダリア、オジギソウ、コスモス、カンナ、キンギョソウ、スイートピー、パンジー、ラベンダー、チューリップ、ゼラニュームなど。
この研究論文の圧巻は30ページから39ページにわたる数百種の渡来園芸植物の年号別の一覧表にあります。
慶雲2年(705年)から始まって、明治1年(1968年)のそれぞれの年号に渡来した園芸植物の名前が明記してあるのです。それはこの研究者のライフワークと言っても過言ではありません。
驚くことにわれわれが普通日本古来の植物と思っていた梅も柿も皆渡来植物なのです。
この磯野直秀先生の渡来植物の表に無い花々は次の通りです。
ヤマザクラ、
ツツジ、
アジサイ、
いろいろな30種のユリ、
ツバキ、
山茶花、
ノバラ、
ハギ、
フジ、などなど。
そして縄文時代以後に絶滅した花々もあるでしょうから、当時は結構多種多様な花々が野山に咲いていたと考えられます。それらは園芸種ほど色あざやかではありませんが、楚々とした美しいものでした。
暗い竪穴式の縄文時代の家の中に美しいアジサイの花束が飾ってある光景を想像すると楽しいものです。
藤の花房が沢山野山に咲き、野バラも山桜の花々も人々が楽しんだことでしょう。
私は縄文時代や弥生時代の花々の考古学の進歩を願っています。
ついでに日本の昔からの文学作品に登場する植物や花を調べた記事をご紹介いたします。
出雲風土記、古事記、日本書紀、萬葉集、古今集、竹取物語、伊勢物語、今昔物語、源氏物語、枕草子、土佐日記、更級日記 などなど、江戸時代、明治維新後の文学作品に登場する植物が一覧表になっているのです。是非、http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/plant/bungakusakuhin/index.html をご覧下さい。
上に書いたように縄文人も多くの花々を眺めていました。
そしてその後、多くの花々が海を渡って日本に来たのです。 渡り鳥が運んだり、人間が運んだのです。
特に美しい花々はその種子や苗を人間が大切に運んだのです。運んだ人の名前は分かりません。しかし外国から運んで来た種や苗が日本の土で花を咲かせたときの感動は大きかったに違いありません。
花々を見てそんなことを想像するのは楽しいものです。
今日の挿し絵代わりの写真は昨日、都立薬草植物園で撮った蝋梅と紅梅と朝鮮連翹の花の写真と裏の雑木林の写真です。梅は奈良、平安時代に中國から来ました。ロウバイは室町期から安土桃山期に日本に来ました。レンギョウは江戸時代の1700年代に朝鮮からやって来ました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
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