後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

国際関係の客観的理解(2)北方四島は絶対にかえらない

2018年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム
国際問題を客観的に考えるためには相手国の考え方を正しく理解することが一番重要です。それと日本人の考え方を加えて二で割れば、二つの違う考えの中間になります。それが客観的理解に近い理解になります。これは雑な言い方ですので問題ごとに丁寧な考察が必要になるのが当然です。
この手法に従って私が相手国の考え方をまず書きます。
日本人の考え方は皆様よくご存知なので書きません。そうすると読者は感情的になって私を非難するコメントを投稿して来ます。私は相手国の考え方が正しいと主張してはいません。
『喧嘩両成敗』というように国際間にある問題に争いが起きる場合には、双方に悪い原因があるのです。一方だけが悪いことなど絶対にないのです。
この原則を胆に銘じて以下の文章をお読みください。
さてロシア人は択捉島、国後島、歯舞島、色丹島の四島を正当な理由で自国の領土だと考えています。
その根拠は第二次大戦でロシアが日本を攻撃したら樺太と千島列島をロシア領として認めるとアメリカ、イギリス、などの連合国側が秘密裡に固く約束したからです。
この秘密協定に従ってソ連は終戦直前に参戦し満州と樺太と千島列島の択捉島、国後島、歯舞島、色丹島の四島を軍事占領したのです。
これに対して敗戦した日本は何も言えなかったのです。
後に吉田首相だけは歯舞島、色丹島は千島列島に含まれないからロシア領にするのは不当であると主張したのです。
しかしそれは負け犬の遠吠えとして国際間では全く無視されたのです。
もう少し詳しい事実を書きます。
以下は、「北方領土問題」http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppou3.htm からの抜粋です。
「千島列島はなぜロシア領か?」
 第2次世界大戦末期、ヤルタ会談で米国大統領ルーズベルトはソ連のスターリンに対して対日参戦を求めました。このとき、ドイツの降伏後、3ヵ月以内に、ソ連が日本を攻撃したら、樺太と千島列島はソ連領として認めるという秘密協定を作ったのです。
正しくは、これに先立ってモスクワでの外相会談の席上で、連合国側はソ連の対日参戦を要請していたのいです。その延長にヤルタ会談での秘密協定の調印がなされてのです。
 この協定に従ってソ連はドイツの降伏後のょうど3ヵ月後の8月6日に参戦したのです。8月6日から満州国に進攻し、8月11日には当時日本領だった南サハリンに進攻します。さらに18日には千島列島に進攻開始します。それは日本が9月2日降伏文書に調印する前の軍事行動だったので国際慣例上、ソ連の攻撃は正当化されています。
もっと深読みすればアメリカはソ連が千島列島のソ連による占領完了を待った上で9月2日に戦争修了の調印式を行ったと考えられます。
 日本政府が受諾したポツダム宣言8条にしたがって、日本の領土は、四つの主要な島(北海道、本州、九州及び四国)及び連合国が定めた諸小島に限定されたのです。
降伏文書調印と同日に出された一般命令第一号により、千島諸島に在る日本軍は「ソヴィエト」極東軍最高司令官に降伏することが求められています。すなわち、ポツダム宣言第8条とアメリカ占領軍の一般命令一項(ロ)により、千島はソ連の占領下になったのです。
しかし実際にソ連が北方4島を占領するのは、8月28日から9月5日にかけてです。

さて日本を占領したアメリカのGHQは1946年1月29日に日本の行政区域を定める指令(SCAPIN-677)を出します。この指令では、千島列島はもとより歯舞、色丹も日本の行政範囲から正式に省かれていたのです。なお、このとき竹島も日本の行政範囲から省かれています。正式にはこのとき以降、日本の施政権は北方領土や竹島に及ばない事になり、現在にいたっています。
 1951年、サンフランシスコ条約を批准します。条約第2条C項は次のようになっており、日本国は世界に向けて、千島の放棄を約束しました。
『日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。』
 日本が放棄した千島とはどこか、条約には明確な記述はありませんが、同年10月の衆議院で、西村熊雄外務省条約局長は、放棄した千島列島に南千島(国後・択捉島)も含まれるとの答弁を行っており、国内外に向けて、国後・択捉島の放棄が明確に宣言されました。
なお、歯舞群島と色丹島は北海道の一部であり千島に含まれないというのが当時の日本政府の説明でした。

 サンフランシスコ条約では、日本が放棄した千島とはどこか、若干の解釈の違いがあった事が知られています。 
 ソ連代表グロムイコは「樺太南部、並びに現在ソ連の主権下にある千島列島に対するソ連の領有権は議論の余地のないところ」であるとの発言をしています。
 アメリカ代表は演説の中で、「千島列島という地理的名称がハボマイ諸島を含むかどうかについて若干の質問がありました。ハボマイを含まないというのが合衆国の見解であります」との発言をしています。
 日本代表の吉田茂は「日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島」との表現で、歯舞・色丹が千島列島に含まれないとも受け取れる表現を使っていますが、国後・択捉については「千島南部の二島」の表現をしています。
 これらのことから、サンフランシスコ条約では、国後・択捉は日本が放棄した千島列島に含まれるという事で一致していたわけですが、歯舞・色丹については、意見の一致をみなかったという事がわかります。

以上の経緯の結論として、現在のロシアは北方4島は国際的にも認められたロシアの領土だと考えています。
でから北方4島は日本へ絶対に帰ってこないのです。
さて日本人の考えはどういうものでしょうか?
ソ連は日本との相互不可侵条約があるのにも突然参戦したのであり北方4島の占領は国際的に認められない不当な占領である。その上満州や樺太の日本人軍人など60万人も抑留し、強制労働をさせた代償として北方4島は返還すべきである。
これは日本人の共通した考え方です。
しかしソ連に抑留され強制労働をさせられたドイツ軍兵士は230万人もいたのです。そしてその大部分は二度と祖国に帰れなかったのです。このことを考えると粛然たる思いをします。
日本人が北方4島に拘り過ぎるのは本当に国益にかなうことになるでしょうか?
私は択捉島と国後島は忘れ、歯舞島と色丹島の日本の権益を守るような外交努力を続行すべきと考えています。

今日の挿し絵代わりの写真は栄樹園というある園芸花屋さんで先日撮った花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)










カーニバル、灰の水曜日、四旬節、そして復活祭

2018年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム
リオのカーニバルが新聞やテレビに出てくるようになると、ああ 春が近づいたと感じます。
そしてそれが終ると「灰の水曜日」があり四旬節が続いて、最後に復活祭がきます。
それは春先の季節のうつろいを示す歳時記のようなものです。
今年の灰の水曜日は2月14日です。ですからリオのカーニバルはその前日に一斉に終了します。
そのあとの四旬節は今年は2月14日に始まり、復活祭の4月1日へと続くのです。
北半球の西洋では春先ですが南半球は夏の終わりです。その季節のうつろいを示す祝祭日です。
西洋の祝祭日のクリスマスやカーニバルや復活祭も日本の俳句の季語になっていることは面白いと思います。

今日はリオのカーニバル、灰の水曜日、四旬節、復活祭の意味とお互いの関係を簡単にご説明したいと思います。
リオのカーニバルでは山車の飾りつけを競います。そして女性の踊りもついています。毎年、四旬節の前に行われるお祭りです。
南米でのようなお祭りさわぎはヨーロッパではしません。南ヨーロッパでは仮装を中心にした宴を開きます。謝肉祭の宴です。
ヨーロッパのカーニバルは仮装を競う宴ですが、謝肉祭とも呼ばれます。
ドイツなどの北ヨーロッパではカーニバルのお祭り騒ぎをしません。
ところで本来はカトリックのお祭りのカーニバルは日本人も参加するようになりました。
一昨年、青森県五所川原市の立佞武多の人形灯籠の「ねぷた」はブラジル・サンパウロのカーニバルに参加しました。(http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14H3G_U5A210C1CR8000/ )

一昨年は日本とブラジルが外交関係を樹立して120年です。五所川原市が「日本の復興支援への御礼を伝えたい」とねぷたの参加で協力したのです。
カーニバルの踊りのサンバ踊りは日本各地の「サンバ祭り」として夏祭りの一つとして広がっています。サンバ祭りは四旬節に関係なく夏に行われますので宗教行事ではありません。
しかし夏の歳時記の一つとして開催されているようです。

さてそれはそれとして、これらの宗教的な行事の意味とお互いの関係を簡略に説明しておきます。
イエス・キリストは、ローマ提督、ピラトによって十字架刑にされました。2000年程前の出来ごとです。しかし3日後に復活して生き返りました。そして弟子達と会い、話をして、天国へ登り、神の右の座に着きました。
このイエス様の復活を祝うのが復活祭です。春先の大きなお祭りです。今年は4月1日(日曜日)です。
その前の40日間が四旬節として歌舞音楽を控え、断食や節食をしてイエス様の処刑を悼みます。
カトリック圏では騒がしい音楽やお笑いがテレビやラジオから消えます。静かな番組になります。禁欲的な生活を送る40日間なのです。
その四旬節の始めの日が、「灰の水曜日」です。灰の水曜日とはその日に神父さまが信者一人、一人の頭に灰をつけてくれるのです。この世の全てのものは土から生まれ、土へ還るということを忘れないように信者の頭に灰をつけるのです。今年は2月14日の水曜日です。
そしてこの日から禁欲の40日(四旬節)が始まります。
この禁欲的な40日間の前に大いに肉を食べ、ワインを飲み、馬鹿騒ぎをして断食や節食の期間へ突入する準備をします。それがカーニバル、あるいは謝肉祭と呼ばれるお祭りなのです。
ですからこの飽食や馬鹿騒ぎは「灰の水曜日」の前日にピタリと止めます。大規模なリオのカーニバルも2月13日にピタリと止め、世の中は水を打ったように静謐になります。
この謝肉祭が行われるのはカトリックの国々です。特にスペインやポルトガルの植民地だった南米では大きなお祭りとして毎年行われます。
しかし、イエス様は飽食や、欲望のままに酒を飲むのを喜ぶでしょうか?「汝、肉慾に生きるな」と教えました。ですから馬鹿騒ぎのカーニバルはキリスト教とは関係の無いお祭りだと私個人は理解しています。

「灰の水曜日」はカトリックの重要な儀式で、今年は2月14日で、この日から復活祭の四旬節が始まります。
なお復活祭の日付は毎年変わります。「春分の日の後の最初の満月から数えて最初の日曜日が復活祭」と定められているからです。これは、紀元325年に開かれたニカイア公会議という世界教会会議で定められました。その年によっては最大一ヶ月ほど、つまり月の周期プラス数日のずれが生じるのです。年ごとの日付は、http://www.calvin.org/misato/easter/easter04.htm をご覧下さい。
このような歴史的事情と関係の無いのが日本の夏の「サンバ祭り」です。
しかし日本に定着しているクリスマスと同じようにサンバ祭りも良いものです。

写真5枚にリオのカーニバルの様子を示します。写真は「リオのカーニバル」を検索して出て来る多数の写真の中から選び、お借りしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)