今日は日曜日なので宗教のことを少し書きます。
今日からカトリックではイエスさまの降誕を待つ「待降節」が始まります。寒くなる一方ですが、心楽しい季節です。
それはそれとして今日はいろいろな佛さまが中国の敦煌を通って日本へやって来た様子を書きたいと思います。
我が町、小金井市の市立「はけの森美術館」で中国の敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)の壁画と法隆寺金堂の壁画の摸写展覧会が12月22日まで開催されています。東京藝術大学の大学院生たちが模写したものです。
昨日の午後に見に行きました。
忠実な模写でした。丁寧に見て行くと当時の仏教の伝来に対する中国人の熱い情熱に圧倒されます。
中国人は炎熱、極寒のシルクロードを通って、はるばるインドから敦煌迄、仏教を運んで来たのです。
阿弥陀様や観音菩薩や勢至菩薩や極楽浄土などが描かれています。大乗仏教が敦煌を経て中国へ、そして日本へ流れ込んで来た様子が如実に分かるのです。
佛教の壮大な力に感銘を受けます。
それでは写真をお送りします。
1番目の写真は小金井市の市立「はけの森美術館」です。
2番目の写真は中国の西端にある敦煌の莫高窟の写真です。中央の建物の左右に無数の洞窟があり、その内面に絢爛たる仏画が描かれているのです。
3番目の写真は洞窟の内面に仏画が描かれている様子を示す写真です。
4番目の写真は「はけの森美術館」に展示してあった模写の写真です。
5番目の写真も「はけの森美術館」に展示してあった模写の写真です。大乗仏教のいろいろな佛さまの姿が描かれています。
6番目の写真は、「敦煌莫高窟 仏教壁画」http://www.allchinainfo.com/photos/5635 からお借りした写真です。
7番目の写真も「敦煌莫高窟 仏教壁画」からお借りした写真です。
さて敦煌はシルクロードのオアシス都市として栄えた町です。その東南25kmの地砂漠の中に莫高窟があります。
鳴沙山東麓の断崖に南北約1600mにわたって700ともいわれる石窟があり、極彩色で彩られた壁画や2400余体もの色鮮やかな彩色塑像が安置されているそうです。
莫高窟が作られた時は敦煌が前秦の支配下にあった五胡十六国時代の西暦366年頃といわれ、元代まで約1000年にわたり石窟の造営は続けられのです。
当初は仏教の修行の場として築かれたもので、北側の石窟には、僧たちが修行や祈りの生活を続けた痕跡が残っています。
南側の石窟は仏教芸術の宝庫です。
交通の要衝にあった敦煌は、東西交易の中継地として栄えました。
初期の壁画はインド仏教芸術の、仏塑像は西域の影響をそれぞれ受けており、また後世になると中国色が強くなるなど歴史的価値が大きいと言われています。
佛教を中国に来て伝承したインド僧の鳩摩羅什も後にインドに行った玄奘三蔵法師もここを通ったのでしょう。
悠久の歴史を感じます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
今日からカトリックではイエスさまの降誕を待つ「待降節」が始まります。寒くなる一方ですが、心楽しい季節です。
それはそれとして今日はいろいろな佛さまが中国の敦煌を通って日本へやって来た様子を書きたいと思います。
我が町、小金井市の市立「はけの森美術館」で中国の敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)の壁画と法隆寺金堂の壁画の摸写展覧会が12月22日まで開催されています。東京藝術大学の大学院生たちが模写したものです。
昨日の午後に見に行きました。
忠実な模写でした。丁寧に見て行くと当時の仏教の伝来に対する中国人の熱い情熱に圧倒されます。
中国人は炎熱、極寒のシルクロードを通って、はるばるインドから敦煌迄、仏教を運んで来たのです。
阿弥陀様や観音菩薩や勢至菩薩や極楽浄土などが描かれています。大乗仏教が敦煌を経て中国へ、そして日本へ流れ込んで来た様子が如実に分かるのです。
佛教の壮大な力に感銘を受けます。
それでは写真をお送りします。
1番目の写真は小金井市の市立「はけの森美術館」です。
2番目の写真は中国の西端にある敦煌の莫高窟の写真です。中央の建物の左右に無数の洞窟があり、その内面に絢爛たる仏画が描かれているのです。
3番目の写真は洞窟の内面に仏画が描かれている様子を示す写真です。
4番目の写真は「はけの森美術館」に展示してあった模写の写真です。
5番目の写真も「はけの森美術館」に展示してあった模写の写真です。大乗仏教のいろいろな佛さまの姿が描かれています。
6番目の写真は、「敦煌莫高窟 仏教壁画」http://www.allchinainfo.com/photos/5635 からお借りした写真です。
7番目の写真も「敦煌莫高窟 仏教壁画」からお借りした写真です。
さて敦煌はシルクロードのオアシス都市として栄えた町です。その東南25kmの地砂漠の中に莫高窟があります。
鳴沙山東麓の断崖に南北約1600mにわたって700ともいわれる石窟があり、極彩色で彩られた壁画や2400余体もの色鮮やかな彩色塑像が安置されているそうです。
莫高窟が作られた時は敦煌が前秦の支配下にあった五胡十六国時代の西暦366年頃といわれ、元代まで約1000年にわたり石窟の造営は続けられのです。
当初は仏教の修行の場として築かれたもので、北側の石窟には、僧たちが修行や祈りの生活を続けた痕跡が残っています。
南側の石窟は仏教芸術の宝庫です。
交通の要衝にあった敦煌は、東西交易の中継地として栄えました。
初期の壁画はインド仏教芸術の、仏塑像は西域の影響をそれぞれ受けており、また後世になると中国色が強くなるなど歴史的価値が大きいと言われています。
佛教を中国に来て伝承したインド僧の鳩摩羅什も後にインドに行った玄奘三蔵法師もここを通ったのでしょう。
悠久の歴史を感じます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)