後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

敦煌莫高窟の壁画が伝える仏教への熱い想い

2018年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なので宗教のことを少し書きます。
今日からカトリックではイエスさまの降誕を待つ「待降節」が始まります。寒くなる一方ですが、心楽しい季節です。
それはそれとして今日はいろいろな佛さまが中国の敦煌を通って日本へやって来た様子を書きたいと思います。
我が町、小金井市の市立「はけの森美術館」で中国の敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)の壁画と法隆寺金堂の壁画の摸写展覧会が12月22日まで開催されています。東京藝術大学の大学院生たちが模写したものです。
昨日の午後に見に行きました。
忠実な模写でした。丁寧に見て行くと当時の仏教の伝来に対する中国人の熱い情熱に圧倒されます。
中国人は炎熱、極寒のシルクロードを通って、はるばるインドから敦煌迄、仏教を運んで来たのです。
阿弥陀様や観音菩薩や勢至菩薩や極楽浄土などが描かれています。大乗仏教が敦煌を経て中国へ、そして日本へ流れ込んで来た様子が如実に分かるのです。
佛教の壮大な力に感銘を受けます。
それでは写真をお送りします。

1番目の写真は小金井市の市立「はけの森美術館」です。

2番目の写真は中国の西端にある敦煌の莫高窟の写真です。中央の建物の左右に無数の洞窟があり、その内面に絢爛たる仏画が描かれているのです。

3番目の写真は洞窟の内面に仏画が描かれている様子を示す写真です。

4番目の写真は「はけの森美術館」に展示してあった模写の写真です。

5番目の写真も「はけの森美術館」に展示してあった模写の写真です。大乗仏教のいろいろな佛さまの姿が描かれています。

6番目の写真は、「敦煌莫高窟 仏教壁画」http://www.allchinainfo.com/photos/5635 からお借りした写真です。

7番目の写真も「敦煌莫高窟 仏教壁画」からお借りした写真です。
さて敦煌はシルクロードのオアシス都市として栄えた町です。その東南25kmの地砂漠の中に莫高窟があります。
鳴沙山東麓の断崖に南北約1600mにわたって700ともいわれる石窟があり、極彩色で彩られた壁画や2400余体もの色鮮やかな彩色塑像が安置されているそうです。
莫高窟が作られた時は敦煌が前秦の支配下にあった五胡十六国時代の西暦366年頃といわれ、元代まで約1000年にわたり石窟の造営は続けられのです。
当初は仏教の修行の場として築かれたもので、北側の石窟には、僧たちが修行や祈りの生活を続けた痕跡が残っています。
南側の石窟は仏教芸術の宝庫です。
交通の要衝にあった敦煌は、東西交易の中継地として栄えました。
初期の壁画はインド仏教芸術の、仏塑像は西域の影響をそれぞれ受けており、また後世になると中国色が強くなるなど歴史的価値が大きいと言われています。
佛教を中国に来て伝承したインド僧の鳩摩羅什も後にインドに行った玄奘三蔵法師もここを通ったのでしょう。
悠久の歴史を感じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


今日から師走、行く秋を惜しみつつ紅葉、黄葉の写真を撮る

2018年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム
月日の流れは早いもので今日から師走です。冬になります。
流れゆく秋を惜しみつつ最後の紅葉や黄葉の写真を撮って来ました。おもに都立小金井公園で撮りましたが、一部に一昨日撮った八王子の散り残ったイチョウの黄葉の写真もあります。
これで紅葉や黄葉も終りです。
やがて裸になった梢を木枯らしが吹いて本格的な冬になるのです。
明日から待降節が始まり、クリスマスもやって来ます。師走は文字通りアッと言う間に過ぎ去って行くでしょう。
名残の紅葉、黄葉の写真をお送りします。









美しい日本庭園を造った無窓国師と小堀遠州

2018年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム
若い頃、私は日本庭園が嫌いでした。自然の風景の方が好きでした。
日本庭園は矮小で作り過ぎです。自然で健康な美が無いのです。同じような理由で西洋庭園も好きになれませんでした。草木の配置があまりにもシンメトリーで人工的過ぎるのです。人間の浅知恵を感じておぞましかったのです。
しかし老境に至って感じ方がすっかり変わってきました。
箱庭のように作り過ぎた日本庭園をじっと眺めていると雄大な自然の風景が見えて来るのです。
日本庭園の美しさを知るためには縁先に座って静かに眺めることが重要なのです。歩きながら眺める場合も必ずゆっくり、ゆっくり歩くことが重要なのです。
日本庭園の美しさを楽しむためには静かな時間と見る人の豊かな経験にもとずいた想像力が一番重要なのです。
私は老境に至ってやっと日本庭園の限りない美しさに感動するようになったのです。

今日はこの日本庭園を独創的に造った無窓国師と後の時代の小堀遠州の庭の写真をお送り致します。お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。
以下の無窓国師の庭の写真と文章の原典は、https://oniwa.garden/tag/夢窓疎石/ です。


1番目の写真は夢窓疎石が京都の天竜寺に作った池泉回遊式の庭園です。天竜寺は足利氏ゆかりの京都五山の一つです。
夢想国師は鎌倉時代〜室町時代に活躍した禅僧であり、後醍醐天皇から与えられた「夢窓国師」の名でも知られます。
代表作であり世界遺産にも選ばれている天龍寺庭園、西芳寺庭園(苔寺)をはじめ、多くの寺院の庭を造りました。
鎌倉、京都、修行の場であった甲斐国(山梨県)などに庭園が残っています。中には都から離れた四国・高知の「竹林寺庭園」(国指定名勝)というのも夢窓疎石が手がけた庭園と伝っています。

2番目の写真は南禅寺 南禅院庭園です。
夢窓疎石作庭と伝わる池泉回遊式庭園では京都の庭園の中では古い部類に入ります。湯豆腐を食べた記憶はありますが庭のことは忘れていました。

3番目の写真は山梨県の恵林寺の庭です。恵林寺は鎌倉時代に鎌倉より招かれた夢窓疎石によって開かれた寺院で、戦国時代には甲斐武田氏の菩提寺となりました。ここは山の家に近いので何度も訪れています。

4番目の写真は鎌倉の「瑞泉寺」の庭です。この寺は鎌倉時代に夢窓疎石(夢窓国師)により開かれた寺院で、庭園の作庭も夢窓疎石が手掛けたとされています。京都の天龍寺や西芳寺の庭園を手掛ける以前に造られた初期の作品です。
鎌倉地域でよく見られる「やぐら」が岩壁を削り造られ、その岩壁を登るための橋という組み合わせがインパクトを放つています。梅・水仙を見て裏に廻ると荒々しい光景で吃驚します。

さて次は江戸時代の小堀遠州の庭を見ましょう。
以下の小堀遠州の庭の写真と文章の原典は、https://oniwa.garden/tag/小堀遠州/ です。

5番目の写真は東京の「池上本門寺」の庭です。この寺は東京を代表する寺院の一つで、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠によって建てられました。
池上本門寺境内にある庭園「松濤園」は小堀遠州作庭と伝わる池泉回遊式庭園です。親戚の法事の折りに訪ねて都心にあるのにと雄大さに感動しました。
小堀遠州は江戸時代初期に徳川家康に仕えた大名であり、代表的な作庭家であり、茶道「遠州流」の祖でもありました。
小堀遠州の庭園は、出身地である近江国(滋賀県)を始め、藩主を務めた備中松山、そして江戸時代に政治の中心であった京都・江戸、そして駿府・遠江国(静岡県)に比較的多く集まっています。

6番目も写真は東京国立博物館の庭園です。
『東京国立博物館』の本館の裏にある池泉回遊式庭園です。
庭園内には、小堀遠州によって造られた茶室「転合庵」をはじめ、江戸時代に造られた茶室や書院といった歴史的建造物も数軒移築されています。

7番目の写真は鎌倉の光明寺庭園です。ここは静かで心が落ち着く石庭もあります。
鎌倉の「光明寺」は鎌倉時代に創建された寺院で、江戸時代に造られた大きな本堂が国指定重要文化財になっています。

さて皆様は若いころから日本庭園がお好きだったでしょうか?日本庭園に感動していましたか?
もし感銘を受けていたなら皆様は素晴らしく想像力の豊かな方です。良い感性に恵まれた羨ましい方です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)