満州のことを中国人は偽満州と呼び歴史から抹殺したいと思っています。
考えてみると日中戦争で日本軍が中国の北部から南部の桂林まで占領した事実は長い日中交流史の中で初めてのことでした。
戦後、日本はその償いをいろいろな形で行い現在の日中関係を築いて来ました。長年の中国への「ODA」の支払いや技術交流なども償いに含まれます。以下の小渕基金も償いの一つです。
江沢民主席から小渕首相へ協力要請され、1999年に「日中民間緑化協力委員会」が設立されました。日本政府は計100億円を拠出し中国の植林緑化を進めたのです。
これを「日中民間緑化協力基金」と言い、通称、小渕基金とも言います。
この植林事業は現在でも続行されています(http://www.green.or.jp/nichu/gallery_dayori-16/ )
さて私の旧友、竹内義信君は前にも書きましたとうり満州のハイラル小学校から引き揚げてきました。この竹内君たちが小渕基金の支援を受けてハイラルに10年間にわたって植林事業を続けたのです。この事業について彼が寄稿してくれた文章をお送りします。
お読み頂く前に樟子松をご理解頂きたいと思い、その美しい樟子松の写真を3枚お送り致します。写真はいずれもハイラルのあるホロンバイル平原での風景です。
====竹内義信著、『「樟子松」…ホロンバイル草原への植林事業』=====
私は国民学校一年生から、四年生の昭和20年8月9日のソ連侵攻まで、満州のハイラルという町で平和に暮らしていました。その海拉爾(ハイラル)の西側の砂山は西山と呼ばれてました。そこに生えていた赤松を「樟子松」と言います。
西山には樟子松が沢山生えており、20メートルを超えるものも少なくありませんでした。神社や忠霊塔の後背地になっており神々しさを与えるのに役立っていました。
海拉爾は北緯49度に位置し、冬の寒さは厳しく、零下40度以下になることも稀ではありません。しかし、樟子松は零下40度の真冬でも緑の葉を付けたままで、春にはまた新芽を吹いて成長します。
海拉爾在満国民学校の同窓会は戦後間もなく40年になろうという昭和57年に設立されました。そして芋づるのようにな同窓生探しが実を結び500名以上の名簿が作られたのです。
始めての同窓会総会には全国から200名近くの、懐かしい顔ぶれが集まりました。そして平成12年には同窓会活動から一歩踏み出した海拉爾市の植林に協力することになりました。
そのためにNPOの「呼倫貝爾(ホロンバイル)地域緑化協力会」を有志で立ち上げ、私も参加しました。
丁度、時を同じくして設立された「日中民間緑化協力基金」(通称、小渕基金)の助成金を受けて10年間に54万本の植林を行いました。
主な樹種は懐かしい樟子松でした。海拉爾市も2,000ヘクタールの「中日友誼林基地」を準備して協力してくれました。その植林地は私が戦争中に遊んでいた西山の数キロ西方にあります。私達が戦時中に見た樟子松の林は現在では国家森林公園として保護されており、昔からの樹齢400年から500年の樟子松も何本もあります。その上、樟子松は海拉爾の郷土木なのです。
樟子松は海拉爾付近に多いので別名ハイラル松とも呼ばれます。学名はPinus sylvestris var. mongolicaでヨーロッパアカマツ(Pinus syrvestris)の仲間で日本の赤松(Pinus densiflora)とは違います。
海拉爾での植林も樟子松が中心で一緒にマメ科の黄槐を混植しました。黄槐は根塊で窒素を固定しますので、栄養分の乏しい砂地では大切で樟子松の成長を助けます。
ホロンバイル草原に関する著書の多い細川呉港氏によると海拉爾から満洲里までの海拉爾河沿いの砂丘には昔はずっと松林が続いていたと蒙古人から聞いたとのことです。
中国人の増加もあり、鉄道沿線に住む多くの人たちが伐採して炊事や暖房に使ってしまい樟子松も少なくなってしまいました。
海拉爾の友誼林基地での樟子松の植林方法には春と秋の二通りの全く違った植林の仕方がありました。樟子松の松傘から集めた種を苗畑に蒔くと発芽率は良く、丁度稲の苗畑の様に密生して芽を出します。春季植林は手植えと機械植えがあり、手植えでは、2年目の15センチ位に伸びた樟子松の苗を30センチの穴に苗の頭が出て風に当らない様に手で植えて行きます。雨が降れば水が溜ることも期待します。
3メートル間隔で1ha当たり二千株ほどになります。同じ春季植林でもトラクターで二人の乗った車を引っ張り、3メートル間隔位に交代で苗を置いて行くと、後ろに土寄せのタイヤで土を掛けます。トラクターに乗った二人は前屈みで目に土が入らないように風防眼鏡をしてかなりの重労働になります。
一方、海拉爾独特の冬期植林があります。土の凍らない9月頃に立横高さがそれぞれ50センチの穴を掘っておきます。11月頃には地面も凍結し樟子松も冬眠状態となります。7~8年生の樹高約1.2メートルの樟子松を掘り起こします。慣れた職人でも一日15株掘り起こすのがやっとの重労働です。この凍土の付いた木を9月に掘っておいた穴に入れ土を掛け踏み固めたら、根元に50リットルの注水をするとたちまち凍結し、苗木はそのまま越冬して、翌年の春に水を要求する時期になると凍結した水がゆっくりと溶けだし根は十分に水分を吸い上げると言う大変合理的な植林方法です。
植林基地の一部に畑だった場所に植えた1メートルの樟子松は9年後には6メートルにまで成長しましたが、大部分の砂地では精々2~3メートルでした。
プロジェクトの終了から5年目の2014年の夏に細川氏が海拉爾を訪問されると聞き、私達の「中日友誼林基地」の樟子松にを見て来て欲しいと依頼しました。しかし昨今の日中関係のせいか基地は封鎖されており誰も入れないと断られてしまったそうです。しかし、私はこの封鎖は私達が植えた樟子松の保護のためには決して悪いことではないと思っています。
私達の植えた樟子松も郷土木として海拉爾の地で立派に成長して見事な松林になることを願っております。中国の環境保護の一助になればと考えるこの頃です。
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下にハイラルの小学生の協力の光景の写真と呼倫貝爾(ホロンバイル)地域緑化推進協力会の会合の光景の写真を示します。
竹内義信さんは最後の写真の左手前の方です。事務局長として活躍しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料========
特定非営利活動法人 呼倫貝爾(ホロンバイル)地域緑化推進協力会
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~s-juku/hurunboil.htm
平成12年2月17日、呼倫貝爾地域(中国内蒙古自治区)の砂地緑化を支援するボランティアグループが生まれました。
ホロンバイル地域の中心都市は海拉爾(ハイラル)市です。
現在この地は、黄砂の害に悩まされ、砂地が広がっており、防風林造成や砂地緑化が緊急の課題になっています。
今回、この地で50年以上前に学童時代を過ごした有志が中心となって緑化推進協力会の設立を行いましたが、今後多くの方々の参加と支援を求めていくこととしています。
したがいまして、このページも今後逐次充実させて参りますのでご期待ください。
注、呼緑協は平成12年10月から、特定非営利活動法人(NPO)に移行しました。
考えてみると日中戦争で日本軍が中国の北部から南部の桂林まで占領した事実は長い日中交流史の中で初めてのことでした。
戦後、日本はその償いをいろいろな形で行い現在の日中関係を築いて来ました。長年の中国への「ODA」の支払いや技術交流なども償いに含まれます。以下の小渕基金も償いの一つです。
江沢民主席から小渕首相へ協力要請され、1999年に「日中民間緑化協力委員会」が設立されました。日本政府は計100億円を拠出し中国の植林緑化を進めたのです。
これを「日中民間緑化協力基金」と言い、通称、小渕基金とも言います。
この植林事業は現在でも続行されています(http://www.green.or.jp/nichu/gallery_dayori-16/ )
さて私の旧友、竹内義信君は前にも書きましたとうり満州のハイラル小学校から引き揚げてきました。この竹内君たちが小渕基金の支援を受けてハイラルに10年間にわたって植林事業を続けたのです。この事業について彼が寄稿してくれた文章をお送りします。
お読み頂く前に樟子松をご理解頂きたいと思い、その美しい樟子松の写真を3枚お送り致します。写真はいずれもハイラルのあるホロンバイル平原での風景です。
====竹内義信著、『「樟子松」…ホロンバイル草原への植林事業』=====
私は国民学校一年生から、四年生の昭和20年8月9日のソ連侵攻まで、満州のハイラルという町で平和に暮らしていました。その海拉爾(ハイラル)の西側の砂山は西山と呼ばれてました。そこに生えていた赤松を「樟子松」と言います。
西山には樟子松が沢山生えており、20メートルを超えるものも少なくありませんでした。神社や忠霊塔の後背地になっており神々しさを与えるのに役立っていました。
海拉爾は北緯49度に位置し、冬の寒さは厳しく、零下40度以下になることも稀ではありません。しかし、樟子松は零下40度の真冬でも緑の葉を付けたままで、春にはまた新芽を吹いて成長します。
海拉爾在満国民学校の同窓会は戦後間もなく40年になろうという昭和57年に設立されました。そして芋づるのようにな同窓生探しが実を結び500名以上の名簿が作られたのです。
始めての同窓会総会には全国から200名近くの、懐かしい顔ぶれが集まりました。そして平成12年には同窓会活動から一歩踏み出した海拉爾市の植林に協力することになりました。
そのためにNPOの「呼倫貝爾(ホロンバイル)地域緑化協力会」を有志で立ち上げ、私も参加しました。
丁度、時を同じくして設立された「日中民間緑化協力基金」(通称、小渕基金)の助成金を受けて10年間に54万本の植林を行いました。
主な樹種は懐かしい樟子松でした。海拉爾市も2,000ヘクタールの「中日友誼林基地」を準備して協力してくれました。その植林地は私が戦争中に遊んでいた西山の数キロ西方にあります。私達が戦時中に見た樟子松の林は現在では国家森林公園として保護されており、昔からの樹齢400年から500年の樟子松も何本もあります。その上、樟子松は海拉爾の郷土木なのです。
樟子松は海拉爾付近に多いので別名ハイラル松とも呼ばれます。学名はPinus sylvestris var. mongolicaでヨーロッパアカマツ(Pinus syrvestris)の仲間で日本の赤松(Pinus densiflora)とは違います。
海拉爾での植林も樟子松が中心で一緒にマメ科の黄槐を混植しました。黄槐は根塊で窒素を固定しますので、栄養分の乏しい砂地では大切で樟子松の成長を助けます。
ホロンバイル草原に関する著書の多い細川呉港氏によると海拉爾から満洲里までの海拉爾河沿いの砂丘には昔はずっと松林が続いていたと蒙古人から聞いたとのことです。
中国人の増加もあり、鉄道沿線に住む多くの人たちが伐採して炊事や暖房に使ってしまい樟子松も少なくなってしまいました。
海拉爾の友誼林基地での樟子松の植林方法には春と秋の二通りの全く違った植林の仕方がありました。樟子松の松傘から集めた種を苗畑に蒔くと発芽率は良く、丁度稲の苗畑の様に密生して芽を出します。春季植林は手植えと機械植えがあり、手植えでは、2年目の15センチ位に伸びた樟子松の苗を30センチの穴に苗の頭が出て風に当らない様に手で植えて行きます。雨が降れば水が溜ることも期待します。
3メートル間隔で1ha当たり二千株ほどになります。同じ春季植林でもトラクターで二人の乗った車を引っ張り、3メートル間隔位に交代で苗を置いて行くと、後ろに土寄せのタイヤで土を掛けます。トラクターに乗った二人は前屈みで目に土が入らないように風防眼鏡をしてかなりの重労働になります。
一方、海拉爾独特の冬期植林があります。土の凍らない9月頃に立横高さがそれぞれ50センチの穴を掘っておきます。11月頃には地面も凍結し樟子松も冬眠状態となります。7~8年生の樹高約1.2メートルの樟子松を掘り起こします。慣れた職人でも一日15株掘り起こすのがやっとの重労働です。この凍土の付いた木を9月に掘っておいた穴に入れ土を掛け踏み固めたら、根元に50リットルの注水をするとたちまち凍結し、苗木はそのまま越冬して、翌年の春に水を要求する時期になると凍結した水がゆっくりと溶けだし根は十分に水分を吸い上げると言う大変合理的な植林方法です。
植林基地の一部に畑だった場所に植えた1メートルの樟子松は9年後には6メートルにまで成長しましたが、大部分の砂地では精々2~3メートルでした。
プロジェクトの終了から5年目の2014年の夏に細川氏が海拉爾を訪問されると聞き、私達の「中日友誼林基地」の樟子松にを見て来て欲しいと依頼しました。しかし昨今の日中関係のせいか基地は封鎖されており誰も入れないと断られてしまったそうです。しかし、私はこの封鎖は私達が植えた樟子松の保護のためには決して悪いことではないと思っています。
私達の植えた樟子松も郷土木として海拉爾の地で立派に成長して見事な松林になることを願っております。中国の環境保護の一助になればと考えるこの頃です。
===============================
下にハイラルの小学生の協力の光景の写真と呼倫貝爾(ホロンバイル)地域緑化推進協力会の会合の光景の写真を示します。
竹内義信さんは最後の写真の左手前の方です。事務局長として活躍しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料========
特定非営利活動法人 呼倫貝爾(ホロンバイル)地域緑化推進協力会
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~s-juku/hurunboil.htm
平成12年2月17日、呼倫貝爾地域(中国内蒙古自治区)の砂地緑化を支援するボランティアグループが生まれました。
ホロンバイル地域の中心都市は海拉爾(ハイラル)市です。
現在この地は、黄砂の害に悩まされ、砂地が広がっており、防風林造成や砂地緑化が緊急の課題になっています。
今回、この地で50年以上前に学童時代を過ごした有志が中心となって緑化推進協力会の設立を行いましたが、今後多くの方々の参加と支援を求めていくこととしています。
したがいまして、このページも今後逐次充実させて参りますのでご期待ください。
注、呼緑協は平成12年10月から、特定非営利活動法人(NPO)に移行しました。