老境になると友人や恩人への感謝の気持ちが強くなってきます。それと同時に人々との絆を大切に思うようになります。
そこで人間の絆というものをもう一度考えて見ましょう。
周りの家族との温かい絆もあります。友人たちとの楽しい関係も人間の絆です。
職場の上司や同僚たちとの絆もあります。退職後も心温まる交流が続く絆も楽しいものです。住んでいる所の地域社会の中で豊かな人間関係を持っていればそれも絆です。
これらが「人間の絆」というものです。しかし私にはこの「人間の絆」があまり強くないような気がします。
私は生まれつき人見知りをする性格です。知らない人へ気軽に声をかけられません。社交的でないのです。ですから他人との絆が上手く作れません。82歳の老境にある現在も困っています。
そこで何時も人間の絆を客観的に見ています。
客観的に考えるために、日本と欧米の人間の絆のあり方の違いを考えてみることにしました。
日本と欧米の一番大きな絆の違いの例を一つだけ示したいとおもいます。
それは学校の同窓会や同級会に見られる人間の絆です。
分かり易く結論を先に書けば、欧米では同窓会や同級会による人間の絆は非常に弱いのです。ほとんど存在しません。日本のように強い人間の絆が無いのです。
一方、日本ではある学校を卒業すると全員が自動的にその学校の同窓会に入ります。そしてその後の社会生活でも「同窓生のよしみで」いろいろなことが期待されます。同窓生は卒業した学校の部活への寄付を一生期待されます。同窓生同士も同じ学校を出たという絆を尊重します。
勿論このような絆に反発する人も少なくありません。
しかし何故、同窓会のことを書くかというと、欧米では日本ほど強固な同窓会の組織も無く、確かに寄付の案内も来ますが無視しても良いような文面なのです。
同窓会に関連して同級会もあります。これは同じクラスとして何年間か同じ勉強をした仲間なので絆が強いものです。
同級会には小学校、新制中学校、高校、大学とあります。私はそれぞれの同級会を大切にしています。
同級会は出席すると楽しいのです。
生まれつき社交的でない性格の私にとっては同級会の仲間だけは気軽に楽しく話しあえるのです。現在でも大学の同級会には毎回出席しています。
このような学校という組織で出来た人間の絆が強いのは日本や韓国や中国などの社会特有の文化のようです。
例えば新聞やマスコミで有名人を紹介するとき卒業した大学も紹介します。学者を紹介する時は東大教授、早稲田大教授と表記するのです。そしてその専門分野を書かないこともあります。
これでは高校や中学までしか行っていない人はどうするのでしょうか?私は いきどうりを感じていす。
欧米では人間の絆は組織を離れ、個人個人が作るもののようです。当然、日本のような同級会はありません。
しかし若い頃通っていた学校を懐かしいと思う卒業生もいます。そこでアメリカでは毎年、ホーム・カムイング・ディーと称する日に希望する同窓生が学校に帰って来て、いろいろなイベントに参加します。しかし日本のような半分、強制的な雰囲気ではありません。
日本文化で「人間の絆」で重要な概念は「運命共同体」というものです。同じ学校を卒業したのも前世からの縁です。運命です。
ですからそこには強い人間の絆がある筈です。雑に言えばこのようないきさつで同窓会や同級会は日本や韓国や中国では重要な意味を持っているのではないでしょうか?そこで出来た人間の絆は強いのではないでしょうか?
こういうことを書くとまた叱られますが、戦死した人は皆靖国神社に祀られるのは日本人として生まれた運命共同体だからなのでしょう。このような日本独特な人間の絆は私はあまり好きではありません。
一方、家族との絆や友人との絆は重要です。世界中共通に重要なのです。
組織の利害から離れた家族との絆や友人との絆こそ一番重要です。
これこそ大切な人間の絆です。組織の利害から生まれた人間の絆は大切ではありません。
そして時代は変わりました。ンターネットで出来た人間の絆はますます重要になって来ると信じています。
今日の挿し絵代わりの写真は花屋さんで撮った冬の花の写真です。東久留米市の石塚園芸店で撮らせて貰いました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)