日本の佛教は寺院仏教だと言われています。
日本人は幼少の頃からお寺の境内で遊び、お葬式や法事には本堂でお経を聞き、春秋の彼岸には墓参りに行きます。夏のお盆には先祖の霊を自宅へ迎えて祀ります。お釈迦様の教えを厳密に知らなくても日本人は一生の間お寺さんとお付き合いが深いのです。
私も祖父が山里の小さな寺の住職だったので少年の頃、盆には檀家の家を回ってお経をあげたこともあります。現在はカトリックですが日本のお寺や仏教が好きです。
そこで最近多くの普通のお寺を訪問してお寺と日本の佛教のありかたを考えて来ました。
感じたこと、考えたことを「お寺と日本の仏教」という連載記事として気軽に書いてみようと思います。
そんな目的があったので、最近10箇所以上のお寺の写真を撮りに行きました。すべて有名でない普通のお寺です。早速ですが今日は5つのお寺の写真を示します。
1番目の写真は日野市にある大昌寺です。浄土宗です。
2番目の写真は小金井市にある海岸禅寺です。臨済宗妙心寺派です。
3番目の写真は府中市にある高安寺です。曹洞宗です。
4番目の写真は清瀬市にある圓通寺です。真言宗豊山派です。
5番目の写真は相模湖のそばにある善勝寺です。高野山の真言宗です。
写真で示したお寺の他にも幾つものお寺を訪問していろなことを観察して来ました。
日本のお寺には檀家の墓が多数並んでいます。そして本堂の須弥壇の後ろには檀家の先祖の位牌が並んでいます。住職さんは毎日、朝夕お経をあげて檀家の先祖の冥福を祈っています。住職さんは作務として境内の掃除をします。檀家の幸せを祈って鐘を突きます。鐘の音を聞いた人々は安らかな気持ちになります。
檀家さんは墓参りに行ったら住職さんへ挨拶し菓子折りなどお供え物を差し上げます。
檀家のお寺へ納めた位牌と同じものをもう一つ作り自宅の仏壇に祀ります。
自宅の仏壇には毎日線香を焚き手を合わせます。
お盆には住職さんが檀家の家を周り家々の仏壇にお経を上げ、お布施を貰います。
お寺から離れて山裾にある孤立した檀家の墓地にはお盆の時、住職さんが世話人とともに訪れてお経をあげます。
以上書いたことは昔の風習ですが、しかし現在でも農村では行われていることです。
さて私が最近訪れた10以上の東京近郊のお寺では上に書いた風習はほとんど消え去っていたのです。
どこのお寺の墓地も綺麗に掃除してあります。清潔です。
しかしプロの掃除人が定期的に掃除をしているのです。例外は住職と奥さんが中心になって掃除をしていた日野市の大昌寺だけのようです。
檀家の人々は美しい花束を持って墓参りに来ますが、住職さんのいる庫裏には寄りません。
本堂の前では本尊と先祖の位牌に頭を下げません。
本堂から線香の匂いがしません。住職のお経の声も聞こえません。
鐘は騒音だとして使わないのです。ある山の中の寺では鐘つきは自動装置になっていました。
これらの観察結果から私はお寺と檀家の間にあった宗教的絆が消えてしまったと感じたのです。
それはもはや寺院仏教でも無くなったのです。
この書き方は極端過ぎることを知っています。熱心に仏教を勉強し、修行に励みつつ檀家の面倒をみている住職さんもいます。
しかし昔のお寺と檀家の間の深い信頼関係は消えつつあるようです。淋しいです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)