後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

お寺と日本の仏教(2)多神教の佛教、檀家は宗派に無頓着

2019年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム
キリスト教には一人の神様と、神様によってこの世に派遣されたイエス様しかいません。従って信仰の対象は単純明快で、唯一の神と一人のイエス様です。これを一神教と言います。
ところが日本の佛教には釈迦如来、観音菩薩、薬師如来、弘法大師、伝教大師などなど多数の「佛様」が同列に崇拝されています。これを多神教的信仰と言います。的と語尾に着ける理由は「佛様」は神様ではないからです。
さて日本のお寺の住職さん達は上座部仏教が一神教的で日本の大乗仏教が多神教的だということに関心がありません。
しかし住職さん達は宗派の違いに非常に関心があります。宗派の違いによって葬式や法事で唱えるお経が違うからです。宗派の違いによって修行の仕方が違うからです。ですから自分の宗派のお経と儀式の仕方や自分の宗派の伝統だけは知っています。他の宗派のことには関心がありません。
しかし一方、檀家や一般人は宗派の違いを重視しません。はっきり言えば無頓着にならなければ社会生活が上手く行かないのです。
親類や友人のお葬式や法事に行けば自分のお寺の宗派とは違うお経を詠んでいます。お葬式や法事の進め方も少し違います。お葬式や法事の終りに立派な袈裟を着たお坊さんがやおらこちらを向いて「南無阿弥陀仏と10回唱えて下さい」と言います。これには吃驚です。私の馴染みの宗派ではそんな事は強要されません。
しかし私は目くじらを立てずに素直に「南無阿弥陀仏」と10回唱和します。
日本人が上手く社会に順応して生きて行くためには宗教や宗派の違いに無頓着にならなければいけないのです。
この日本社会の現実は日本の佛教の多神教的性質から来ているのです。
それぞれ違う宗派のお寺の住職さん達はこの現実に妥協せざるを得ません。
私はこの「お寺と日本の仏教」という連載記事を書くために十数軒のお寺を訪問し、その建物と檀家の多数のお墓の配置を注意深く観察して来ました。
その結果です。
(1)お寺は宗派に関係無く、山門、本堂、庫裏。鐘楼、そして広大な墓地から成り立っています。もっとも墓地が離れた場所にある場合もあります。
(2)墓地へは何時でも自由に入れ、墓に花を供えられる。庫裏や本堂に寄らなくても良いように別の通路があります。
(3)檀家へのサービスとして立派な水くみ場の建物があります。その中に新しい手桶と柄杓が棚に整然と並んでいます。清潔なトイレの建物もあります。それはセルフサービスの店のようで気持ちの良いものです。
(4)すこし余裕のあるお寺では本堂とは別に観音堂や薬師堂があり、そこにも賽銭箱が置いてあります。
(5)広い墓地にあるお墓の形には宗派の違いが殆どありません。
下に前の連載記事の5つのお寺の写真に続けてもう5つのお寺の写真をお送りします。

1番目の写真は踊り念仏で有名な時宗の稱名寺の写真です。府中市の中心部にあります。

2番目の写真は土方歳三の墓のある石田寺です。日野市の石田にあります。宗派は真言宗、高幡山金剛寺の末寺です。

3番目の写真は小平市小川町にある流泉寺の山門です。臨済宗円覚寺派の寺です。

4番目の写真は八王子市高月町の山際にある圓通寺です。圓通寺は近郷に数多くの塔頭・末寺・門徒寺を擁する中本寺格の寺院だったのです。宗派は天台宗です。

5番目の写真は奥多摩の鳩ノ巣の棚沢集落にある正法禅院です。宗派は曹洞宗です。山里の墓地を守る素朴はお寺で、住職一家の住む部屋と本堂は同じ屋根の下になっています。別棟の庫裏は存在していません。

さてこれらの写真で示した多数のお寺の本尊はみな違います。祖父が住職をしていた正林寺は曹洞宗なのでご本尊は釈迦如来でした。
佛教はお釈迦様が教え始めた宗教なので、全てのお寺のご本尊は釈迦如来の筈です。
しかし日本の大乗仏教ではいろいろな如来や菩薩がお寺の本尊になっているのです。
そして日本では江戸時代から特に13の佛が大切にされるようになり、お寺の本尊として祀られるようになったのです。その様子を写真で示します。

6番目の写真は13佛の石像の写真です。東村山市の正福寺本堂の前にある13佛の石像の写真です。臨正福寺は済宗建長寺派の禅宗寺院です。

7番目の写真は府中市の曹洞宗の高安寺の山門前に並んでいる13佛です。曹洞宗の高安寺では釈迦如来は別格で13佛の石像には含まれず大きな別の石像になっています。

十三仏は江戸時代になってから日本で考えられたもので、冥界の審理に関わる13の仏のことです。
また十三回の追善供養(初七日~三十三回忌)をそれぞれ司る仏様とも考えられて来たのです。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E4%BB%8F )
13の仏とは、閻魔王を初めとする冥途の裁判官である十王と、その後の審理(七回忌・十三回忌・三十三回忌)を司る裁判官とされる仏です。
この十三佛は以下の13の佛のことです。

1、不動明王、 秦広王、 初七日(7日目・6日後)
2、釈迦如来、 初江王、 二七日(14日目・13日後)
3、文殊菩薩、 宋帝王、 三七日(21日目・20日後)
4、普賢菩薩、 五官王、 四七日(28日目・27日後)
5、地蔵菩薩、 閻魔王、 五七日(35日目・34日後)
6、弥勒菩薩、 変成王、 六七日(42日目・41日後)
7、薬師如来、 泰山王、 七七日(49日目・48日後)
8、観音菩薩、 平等王、 百か日(100日目・99日後)
9、勢至菩薩、 都市王、  一周忌(2年目・1年後)
10、阿弥陀如来、五道転輪王、 三回忌(3年目・2年後)
11、阿閦如来、 蓮華王 、 七回忌(7年目・6年後)
12、大日如来、 祇園王、 十三回忌(13年目・12年後)
13、虚空蔵菩薩、法界王、 三十三回忌(33年目・32年後)

6番目の写真の13佛の石像の一番右に不動明王があり、その隣が釈迦如来です。そこから左方向に文殊菩薩、普賢菩薩、普賢菩薩、、、、、阿弥陀如来、、虚空蔵菩薩と並んでいます。
大乗仏教では多神教的にこれら数多くの如来や菩薩を大切にして信仰の対象にしているのです。
ちなみに不動明王の起源は、ヒンズー教の最高神シヴァ神にあるとの説が有力なのです。そして不動明王を祀る仏教は密教なのです。
不動明王は、密教仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊なのです。
大日如来の化身とも言われ、また、五大明王の中心となる明王でもあります。
そして真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されています。

一般的な仏教でのご本尊や仏像は優しい姿をしたものが多いですが、不動明王は悪を絶ち仏道に導くことで救済する役目を担っていることから恐ろしい表情をしています。
怖い様相から「戦いの仏」のように見えますが、実際は迷いの世界から煩悩を断ち切るよう導いてくれる仏で慈悲深いのです。
また日本では「敵国退散の守護神」として扱われたり「疫病退散の守護神」としても扱われています。
日本のあちこちの「ご不動さん」という祠やお寺があり、日本人に馴染みやすい佛さんなのです。

それにしても日本の佛教は理解しにくいものです。お釈迦様の教えにインドのヒンズー教や中国の道教など沢山の考え方が重層的に加わっているから簡単にはその全貌が分かり難いのです。
そんなことを考ええながら多数のお寺の風景写真を撮ってきました。暖かい春ももうすぐです。
おおらかな気持ちで日本の佛教のあり方を考えるのが良いと思います。全ての宗教は平和をもたらすのですから。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

北海道のトラピスト修道院の写真です

2019年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は異文化の色濃い北海道の函館の郊外にあるフランスのトラピスト修道院をご紹介したいと存じます。
あれは随分と前の2012年の6月のことでした。
函館の湯の川温泉に3連泊して、4日間、レンタカーで道南を丁寧に見て回ったことがありました。
函館の西の松前は日本海に面しています。南は津軽海峡です。東の恵山道立公園は太平洋に面しています。
4日間いましたので西の松前の城下町から東の太平洋岸まで観光しました。
東では、恵山道立公園、白尻町縄文土器展示館、森、大沼公園、と丁寧に見て回りました。
しかしこの旅の中で、特に強烈な印象を受けたのがトラピスト修道院でした。函館の西、30km程のJR渡島当別駅から奥に入った寒冷な原野にあります。
この修道院はローマ法王傘下のカトリック組織の一部で、戒律が厳しい事で有名です。修道士は一生の間、修道院敷地から出ません。早朝から夜まで、祈りと牧畜の労働だけで過ごします。
1896年、明治29年に津軽海峡を越えてやって来ましたフランスの厳律シトー派の流れを汲むトラピスト派の数人の修道士が作った修道院です。
石ころの多い熊笹の原野や深い森を切り開いて、何年もかけて畑や乳牛の放牧場を作り、レンガ造りの建物を建設したのです。
レンタカーを駆って訪問してみると、観光客の少ない深閑とした林の中に修道院本館と大きな牛舎が高い塀の中に見えます。その外は一面に牧草が生えた放牧場です。
何故か深い印象を受けたので、4日間に4回も訪問しました。
トラピスト修道院の見える牧草地を散歩しました。そして裏手に回って古い木造の牧舎を長い間、見上げて来ました。周囲の景観にロマンがあり素晴らしいだけでなくこの修道院の苦難の歴史に感動したからです。

このトラピスト修道院の中での生活を少し調べました。
一番大切なのは「祈り」だと書いてあります。
聖務日祷の時刻には、合図の鐘の音が聞こえます。それが聞こえると、どのような仕事に携わっていても即座にこれを差し置き、急いで集合しなければならないそうです。
修道者の最大の務めは、一日に7回の祈りをささげることです。
ご聖体のパンが安置されている聖堂に全員集まって熱心な祈りをささげます。
修道者の祈りは自分たちのためだけではなく、神の助けを必要とするすべての市井の人々のためにささげられているのです。
そして労働をします。
怠慢は霊魂の敵です。みずからの手で労作し生活してこそ、まことの修道者といえるのです。
祈りの生活を続けていくためには、自分たちの働きで生計を維持し、同時に精神的、肉体的健康を保っていく必要があります。
修道者たちは自然界の中での酪農、菜園、果樹園、庭園などの世話をする労働を行います。
このような厳しい生活を想像しながら、トラピスト修道院の見える牧草地を散歩しました。
そして裏手に回って古い木造の牧舎を長い間、見上げて来ました。

この地にヨーロッパから数名の修道者が来た当時は「石倉野」と言われていた程、石ころが多く、熊笹の生い茂る荒涼たる原野だったそうです。
 渡来した修道士たちは徐々に日本人の入会者を得て、苦労しながらこの原野を開拓し、道を作り、丘を平らにし谷を埋めて畑に変え、今日の姿にしたのです。
生活の糧として、牛乳から作ったバターやチーズを売り出しました。
当初、乳製品は日本人に売れません。なじみが少なかったのです。製酪工場の経営は困難をきわめたようです。しかし、よく耐え抜いたのです。
私の撮った写真をご紹介いたします。

1番目の写真は修道院の牧草地から見降ろした津軽海峡です。

2番目の写真は修道院の入り口です。
正面入り口までは坂を登って一般の人も行けます。小さなレンガ造りの建物が開放されていて修道院の歴史や厳しい牧畜の様子の写真が展示してあります。

3番目の写真は古い牛舎の写真です
修道院の高い塀に沿って裏の方へ回ると古い木造の牛舎が数個あります。大きな扉を開くと乳牛が外に広がる牧草地へそのまま出て行けるような配置になっています。

4番目の写真は修道院の下に広がっている牧草地です。

5番目の写真は修道院の内部の聖堂でのミサの光景です。
この写真の出典は、http://www3.ocn.ne.jp/~trappist/ です。

この当別修道院は、函館から西方に約30Km、JR江差線「渡島当別駅(としまとうべつ)」で下車して徒歩25分のところにあります。

以上のように北海道の旅は美しい風景とともに何か異文化もあり楽しみが深いのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)