キリスト教には一人の神様と、神様によってこの世に派遣されたイエス様しかいません。従って信仰の対象は単純明快で、唯一の神と一人のイエス様です。これを一神教と言います。
ところが日本の佛教には釈迦如来、観音菩薩、薬師如来、弘法大師、伝教大師などなど多数の「佛様」が同列に崇拝されています。これを多神教的信仰と言います。的と語尾に着ける理由は「佛様」は神様ではないからです。
さて日本のお寺の住職さん達は上座部仏教が一神教的で日本の大乗仏教が多神教的だということに関心がありません。
しかし住職さん達は宗派の違いに非常に関心があります。宗派の違いによって葬式や法事で唱えるお経が違うからです。宗派の違いによって修行の仕方が違うからです。ですから自分の宗派のお経と儀式の仕方や自分の宗派の伝統だけは知っています。他の宗派のことには関心がありません。
しかし一方、檀家や一般人は宗派の違いを重視しません。はっきり言えば無頓着にならなければ社会生活が上手く行かないのです。
親類や友人のお葬式や法事に行けば自分のお寺の宗派とは違うお経を詠んでいます。お葬式や法事の進め方も少し違います。お葬式や法事の終りに立派な袈裟を着たお坊さんがやおらこちらを向いて「南無阿弥陀仏と10回唱えて下さい」と言います。これには吃驚です。私の馴染みの宗派ではそんな事は強要されません。
しかし私は目くじらを立てずに素直に「南無阿弥陀仏」と10回唱和します。
日本人が上手く社会に順応して生きて行くためには宗教や宗派の違いに無頓着にならなければいけないのです。
この日本社会の現実は日本の佛教の多神教的性質から来ているのです。
それぞれ違う宗派のお寺の住職さん達はこの現実に妥協せざるを得ません。
私はこの「お寺と日本の仏教」という連載記事を書くために十数軒のお寺を訪問し、その建物と檀家の多数のお墓の配置を注意深く観察して来ました。
その結果です。
(1)お寺は宗派に関係無く、山門、本堂、庫裏。鐘楼、そして広大な墓地から成り立っています。もっとも墓地が離れた場所にある場合もあります。
(2)墓地へは何時でも自由に入れ、墓に花を供えられる。庫裏や本堂に寄らなくても良いように別の通路があります。
(3)檀家へのサービスとして立派な水くみ場の建物があります。その中に新しい手桶と柄杓が棚に整然と並んでいます。清潔なトイレの建物もあります。それはセルフサービスの店のようで気持ちの良いものです。
(4)すこし余裕のあるお寺では本堂とは別に観音堂や薬師堂があり、そこにも賽銭箱が置いてあります。
(5)広い墓地にあるお墓の形には宗派の違いが殆どありません。
下に前の連載記事の5つのお寺の写真に続けてもう5つのお寺の写真をお送りします。
1番目の写真は踊り念仏で有名な時宗の稱名寺の写真です。府中市の中心部にあります。
2番目の写真は土方歳三の墓のある石田寺です。日野市の石田にあります。宗派は真言宗、高幡山金剛寺の末寺です。
3番目の写真は小平市小川町にある流泉寺の山門です。臨済宗円覚寺派の寺です。
4番目の写真は八王子市高月町の山際にある圓通寺です。圓通寺は近郷に数多くの塔頭・末寺・門徒寺を擁する中本寺格の寺院だったのです。宗派は天台宗です。
5番目の写真は奥多摩の鳩ノ巣の棚沢集落にある正法禅院です。宗派は曹洞宗です。山里の墓地を守る素朴はお寺で、住職一家の住む部屋と本堂は同じ屋根の下になっています。別棟の庫裏は存在していません。
さてこれらの写真で示した多数のお寺の本尊はみな違います。祖父が住職をしていた正林寺は曹洞宗なのでご本尊は釈迦如来でした。
佛教はお釈迦様が教え始めた宗教なので、全てのお寺のご本尊は釈迦如来の筈です。
しかし日本の大乗仏教ではいろいろな如来や菩薩がお寺の本尊になっているのです。
そして日本では江戸時代から特に13の佛が大切にされるようになり、お寺の本尊として祀られるようになったのです。その様子を写真で示します。
6番目の写真は13佛の石像の写真です。東村山市の正福寺本堂の前にある13佛の石像の写真です。臨正福寺は済宗建長寺派の禅宗寺院です。
7番目の写真は府中市の曹洞宗の高安寺の山門前に並んでいる13佛です。曹洞宗の高安寺では釈迦如来は別格で13佛の石像には含まれず大きな別の石像になっています。
十三仏は江戸時代になってから日本で考えられたもので、冥界の審理に関わる13の仏のことです。
また十三回の追善供養(初七日~三十三回忌)をそれぞれ司る仏様とも考えられて来たのです。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E4%BB%8F )
13の仏とは、閻魔王を初めとする冥途の裁判官である十王と、その後の審理(七回忌・十三回忌・三十三回忌)を司る裁判官とされる仏です。
この十三佛は以下の13の佛のことです。
1、不動明王、 秦広王、 初七日(7日目・6日後)
2、釈迦如来、 初江王、 二七日(14日目・13日後)
3、文殊菩薩、 宋帝王、 三七日(21日目・20日後)
4、普賢菩薩、 五官王、 四七日(28日目・27日後)
5、地蔵菩薩、 閻魔王、 五七日(35日目・34日後)
6、弥勒菩薩、 変成王、 六七日(42日目・41日後)
7、薬師如来、 泰山王、 七七日(49日目・48日後)
8、観音菩薩、 平等王、 百か日(100日目・99日後)
9、勢至菩薩、 都市王、 一周忌(2年目・1年後)
10、阿弥陀如来、五道転輪王、 三回忌(3年目・2年後)
11、阿閦如来、 蓮華王 、 七回忌(7年目・6年後)
12、大日如来、 祇園王、 十三回忌(13年目・12年後)
13、虚空蔵菩薩、法界王、 三十三回忌(33年目・32年後)
6番目の写真の13佛の石像の一番右に不動明王があり、その隣が釈迦如来です。そこから左方向に文殊菩薩、普賢菩薩、普賢菩薩、、、、、阿弥陀如来、、虚空蔵菩薩と並んでいます。
大乗仏教では多神教的にこれら数多くの如来や菩薩を大切にして信仰の対象にしているのです。
ちなみに不動明王の起源は、ヒンズー教の最高神シヴァ神にあるとの説が有力なのです。そして不動明王を祀る仏教は密教なのです。
不動明王は、密教仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊なのです。
大日如来の化身とも言われ、また、五大明王の中心となる明王でもあります。
そして真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されています。
一般的な仏教でのご本尊や仏像は優しい姿をしたものが多いですが、不動明王は悪を絶ち仏道に導くことで救済する役目を担っていることから恐ろしい表情をしています。
怖い様相から「戦いの仏」のように見えますが、実際は迷いの世界から煩悩を断ち切るよう導いてくれる仏で慈悲深いのです。
また日本では「敵国退散の守護神」として扱われたり「疫病退散の守護神」としても扱われています。
日本のあちこちの「ご不動さん」という祠やお寺があり、日本人に馴染みやすい佛さんなのです。
それにしても日本の佛教は理解しにくいものです。お釈迦様の教えにインドのヒンズー教や中国の道教など沢山の考え方が重層的に加わっているから簡単にはその全貌が分かり難いのです。
そんなことを考ええながら多数のお寺の風景写真を撮ってきました。暖かい春ももうすぐです。
おおらかな気持ちで日本の佛教のあり方を考えるのが良いと思います。全ての宗教は平和をもたらすのですから。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
ところが日本の佛教には釈迦如来、観音菩薩、薬師如来、弘法大師、伝教大師などなど多数の「佛様」が同列に崇拝されています。これを多神教的信仰と言います。的と語尾に着ける理由は「佛様」は神様ではないからです。
さて日本のお寺の住職さん達は上座部仏教が一神教的で日本の大乗仏教が多神教的だということに関心がありません。
しかし住職さん達は宗派の違いに非常に関心があります。宗派の違いによって葬式や法事で唱えるお経が違うからです。宗派の違いによって修行の仕方が違うからです。ですから自分の宗派のお経と儀式の仕方や自分の宗派の伝統だけは知っています。他の宗派のことには関心がありません。
しかし一方、檀家や一般人は宗派の違いを重視しません。はっきり言えば無頓着にならなければ社会生活が上手く行かないのです。
親類や友人のお葬式や法事に行けば自分のお寺の宗派とは違うお経を詠んでいます。お葬式や法事の進め方も少し違います。お葬式や法事の終りに立派な袈裟を着たお坊さんがやおらこちらを向いて「南無阿弥陀仏と10回唱えて下さい」と言います。これには吃驚です。私の馴染みの宗派ではそんな事は強要されません。
しかし私は目くじらを立てずに素直に「南無阿弥陀仏」と10回唱和します。
日本人が上手く社会に順応して生きて行くためには宗教や宗派の違いに無頓着にならなければいけないのです。
この日本社会の現実は日本の佛教の多神教的性質から来ているのです。
それぞれ違う宗派のお寺の住職さん達はこの現実に妥協せざるを得ません。
私はこの「お寺と日本の仏教」という連載記事を書くために十数軒のお寺を訪問し、その建物と檀家の多数のお墓の配置を注意深く観察して来ました。
その結果です。
(1)お寺は宗派に関係無く、山門、本堂、庫裏。鐘楼、そして広大な墓地から成り立っています。もっとも墓地が離れた場所にある場合もあります。
(2)墓地へは何時でも自由に入れ、墓に花を供えられる。庫裏や本堂に寄らなくても良いように別の通路があります。
(3)檀家へのサービスとして立派な水くみ場の建物があります。その中に新しい手桶と柄杓が棚に整然と並んでいます。清潔なトイレの建物もあります。それはセルフサービスの店のようで気持ちの良いものです。
(4)すこし余裕のあるお寺では本堂とは別に観音堂や薬師堂があり、そこにも賽銭箱が置いてあります。
(5)広い墓地にあるお墓の形には宗派の違いが殆どありません。
下に前の連載記事の5つのお寺の写真に続けてもう5つのお寺の写真をお送りします。
1番目の写真は踊り念仏で有名な時宗の稱名寺の写真です。府中市の中心部にあります。
2番目の写真は土方歳三の墓のある石田寺です。日野市の石田にあります。宗派は真言宗、高幡山金剛寺の末寺です。
3番目の写真は小平市小川町にある流泉寺の山門です。臨済宗円覚寺派の寺です。
4番目の写真は八王子市高月町の山際にある圓通寺です。圓通寺は近郷に数多くの塔頭・末寺・門徒寺を擁する中本寺格の寺院だったのです。宗派は天台宗です。
5番目の写真は奥多摩の鳩ノ巣の棚沢集落にある正法禅院です。宗派は曹洞宗です。山里の墓地を守る素朴はお寺で、住職一家の住む部屋と本堂は同じ屋根の下になっています。別棟の庫裏は存在していません。
さてこれらの写真で示した多数のお寺の本尊はみな違います。祖父が住職をしていた正林寺は曹洞宗なのでご本尊は釈迦如来でした。
佛教はお釈迦様が教え始めた宗教なので、全てのお寺のご本尊は釈迦如来の筈です。
しかし日本の大乗仏教ではいろいろな如来や菩薩がお寺の本尊になっているのです。
そして日本では江戸時代から特に13の佛が大切にされるようになり、お寺の本尊として祀られるようになったのです。その様子を写真で示します。
6番目の写真は13佛の石像の写真です。東村山市の正福寺本堂の前にある13佛の石像の写真です。臨正福寺は済宗建長寺派の禅宗寺院です。
7番目の写真は府中市の曹洞宗の高安寺の山門前に並んでいる13佛です。曹洞宗の高安寺では釈迦如来は別格で13佛の石像には含まれず大きな別の石像になっています。
十三仏は江戸時代になってから日本で考えられたもので、冥界の審理に関わる13の仏のことです。
また十三回の追善供養(初七日~三十三回忌)をそれぞれ司る仏様とも考えられて来たのです。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E4%BB%8F )
13の仏とは、閻魔王を初めとする冥途の裁判官である十王と、その後の審理(七回忌・十三回忌・三十三回忌)を司る裁判官とされる仏です。
この十三佛は以下の13の佛のことです。
1、不動明王、 秦広王、 初七日(7日目・6日後)
2、釈迦如来、 初江王、 二七日(14日目・13日後)
3、文殊菩薩、 宋帝王、 三七日(21日目・20日後)
4、普賢菩薩、 五官王、 四七日(28日目・27日後)
5、地蔵菩薩、 閻魔王、 五七日(35日目・34日後)
6、弥勒菩薩、 変成王、 六七日(42日目・41日後)
7、薬師如来、 泰山王、 七七日(49日目・48日後)
8、観音菩薩、 平等王、 百か日(100日目・99日後)
9、勢至菩薩、 都市王、 一周忌(2年目・1年後)
10、阿弥陀如来、五道転輪王、 三回忌(3年目・2年後)
11、阿閦如来、 蓮華王 、 七回忌(7年目・6年後)
12、大日如来、 祇園王、 十三回忌(13年目・12年後)
13、虚空蔵菩薩、法界王、 三十三回忌(33年目・32年後)
6番目の写真の13佛の石像の一番右に不動明王があり、その隣が釈迦如来です。そこから左方向に文殊菩薩、普賢菩薩、普賢菩薩、、、、、阿弥陀如来、、虚空蔵菩薩と並んでいます。
大乗仏教では多神教的にこれら数多くの如来や菩薩を大切にして信仰の対象にしているのです。
ちなみに不動明王の起源は、ヒンズー教の最高神シヴァ神にあるとの説が有力なのです。そして不動明王を祀る仏教は密教なのです。
不動明王は、密教仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊なのです。
大日如来の化身とも言われ、また、五大明王の中心となる明王でもあります。
そして真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されています。
一般的な仏教でのご本尊や仏像は優しい姿をしたものが多いですが、不動明王は悪を絶ち仏道に導くことで救済する役目を担っていることから恐ろしい表情をしています。
怖い様相から「戦いの仏」のように見えますが、実際は迷いの世界から煩悩を断ち切るよう導いてくれる仏で慈悲深いのです。
また日本では「敵国退散の守護神」として扱われたり「疫病退散の守護神」としても扱われています。
日本のあちこちの「ご不動さん」という祠やお寺があり、日本人に馴染みやすい佛さんなのです。
それにしても日本の佛教は理解しにくいものです。お釈迦様の教えにインドのヒンズー教や中国の道教など沢山の考え方が重層的に加わっているから簡単にはその全貌が分かり難いのです。
そんなことを考ええながら多数のお寺の風景写真を撮ってきました。暖かい春ももうすぐです。
おおらかな気持ちで日本の佛教のあり方を考えるのが良いと思います。全ての宗教は平和をもたらすのですから。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)