老人の呼び方に高齢者、後期高齢者、晩期高齢者という言葉があるようです。これらの言葉には明確な定義はありませんがよく使われる言葉です。
私の勝手な考えによると高齢者は65歳から75歳まで、後期高齢者は75歳から85歳まで、そして晩期高齢者は85歳以上と区分出来るようです。
しかし老化現象は個人差が大きいのが普通です。ですから80歳でも晩期高齢者のように老化している人もいます。私自身がその例で、現在83歳ですが自分の感じでは立派な晩期高齢者になっていると自負しています。
今日は晩期高齢者になったと自負する私の恥ずかしい変貌ぶりをご紹介したいと思います。
私だけでなく多くの人はいずれこのようになると思えば皆様のお役に立つ内容だと存じます。
さて話は晩期高齢者になると幼稚園児に還るということです。
私の場合の幾つかの例で書いてみたいと思います。
(1)幼稚園児のように食べ物は柔らかく甘いものが好きになります。
歯が弱って来るから自然にそうなるだけではありません。現役の間好んで食べていた焼き鳥やバーベキューの肉を積極的に食べたいと思わなくなります。キムチのような辛いものが苦手になり、タバスコ・トウガラシやニンニクも敬遠するようになります。
柔らかいお菓子が好きになります。このように食べ物の好みが幼児のようになるのです。幼児と違うところは相変わらずビールが好きなことです。しかし飲む量が一段と減りました。
(2)晩期高齢者になると子供のように童謡が好きになります。複雑な音階を組み合わせた歌や合唱曲は歌えなくなります。そして旧懐の情も加わって昭和の童謡や「はやり歌」が大好きになります。
私は毎週一回、後期高齢者のためのリハリビ施設に通っています。車で送り迎えがある有難い施設です。
そこで時々音楽の先生が来て全員一緒に昭和の童謡やかつての「はやり歌」を歌います。
みんなはまだ後期高齢者なのに幼稚園児のように声を張り上げて歌っています。私はそんな光景を見てはじめは悲しくなりました。人間は老化すると退化するのかと悲しくなったのです。
しかし慣れてくると楽しくなるのです。
童謡が楽しいだけではなく、その童謡をよく聞いた時代の思い出がいろいろ蘇ってきて楽しいのです。
幼児と違うところは相変わらずクラシックの音楽を聴いて楽しんでいることです。
(3)趣味や遊び方が単純になってきて幼稚園児の遊びのようになってきます。
体力を使うスポーツは駄目になります。複雑な知的な趣味も次第に興味が無くなります。
遊びも幼児のように単純なものになります。
私の場合の例を一つだけ示します。
幼稚園児の好きな遊びに水遊びや川遊びがあります。やり過ぎて母親に叱られることもあります。
一昨日、山の小屋に行って散々小川で遊んで来ました。その私の幼児のような遊びを写真に従ってご説明いたします。
1番目の写真は甲府盆地の高速道路から見える残雪の南アルプスの主峰部分です。私の小屋はこの甲府盆地の西端の甲斐駒岳の麓にあります。
2番目の写真は山林の小屋に登る道です。少年の頃よくこのような雑木林の中で遊んだことを思い出して実に楽しい気分になります。昔はこんな林の中にシジュウカラやメジロやウグイスなどの野鳥が沢山いたことも思い出します。
3番目の写真は山林の小屋の庭に流れている小川です。今は落ち葉が一杯ですが、年中水の涸れない小川です。以前は岩魚がいましたが最近は姿が見えません。家の庭に小川が流れている光景は東京では考えられません。小川が庭にあるだけで興奮します。楽しい気分になります。
4番目の写真は小川が蛇行して流れている様子です。私の幼稚な水遊びはいろいろありますが、岸の砂をスコップで移動させて蛇行する流れを直線にしたり、その下流に大きな堰を作って池を作って遊ぶことです。
小川に溜まった落ち葉を熊手で掃除して美しい川砂が見えるようにすることも楽しいのです。
ようするに小川と戯れるのです。孫が幼児だった頃に夏のこの小川で水浴びをしていたことも思い出します。
5番目の写真は一昨日撮った写真ではなく水量の多い夏に撮った写真です。
この小川には小さなカエルは棲んでいますがサワガニやカジカは棲んでいません。
夏になると大きなオニヤンマが小川の上を盛んに飛んでいるので、その幼虫は小川に棲んでいるようです。
昔毎年夏になると田舎の祖父母の家に行って近所の小川でサワガニやカジカを手で捕ったことを思い出します。
山林の中の小川と遊ぶことはこのように楽しいのです。数々の楽しい幼児体験も走馬燈のように思い出します。
ところでこのような川遊びは家内も大好きです。昼食も忘れて何時までも小川と遊んでいます。
考えてみると家内の小川遊びは若い頃から続いています。大人になっても幼児性が抜けないのです。
本人はそのせいで何時までも若いと自称しています。その自慢を私は聞き流し、あえて反対しないことにしています。
今日は晩期高齢者になった私の恥ずかしい変貌ぶりの一端をご紹介しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 後藤和弘(藤山杜人)
私の勝手な考えによると高齢者は65歳から75歳まで、後期高齢者は75歳から85歳まで、そして晩期高齢者は85歳以上と区分出来るようです。
しかし老化現象は個人差が大きいのが普通です。ですから80歳でも晩期高齢者のように老化している人もいます。私自身がその例で、現在83歳ですが自分の感じでは立派な晩期高齢者になっていると自負しています。
今日は晩期高齢者になったと自負する私の恥ずかしい変貌ぶりをご紹介したいと思います。
私だけでなく多くの人はいずれこのようになると思えば皆様のお役に立つ内容だと存じます。
さて話は晩期高齢者になると幼稚園児に還るということです。
私の場合の幾つかの例で書いてみたいと思います。
(1)幼稚園児のように食べ物は柔らかく甘いものが好きになります。
歯が弱って来るから自然にそうなるだけではありません。現役の間好んで食べていた焼き鳥やバーベキューの肉を積極的に食べたいと思わなくなります。キムチのような辛いものが苦手になり、タバスコ・トウガラシやニンニクも敬遠するようになります。
柔らかいお菓子が好きになります。このように食べ物の好みが幼児のようになるのです。幼児と違うところは相変わらずビールが好きなことです。しかし飲む量が一段と減りました。
(2)晩期高齢者になると子供のように童謡が好きになります。複雑な音階を組み合わせた歌や合唱曲は歌えなくなります。そして旧懐の情も加わって昭和の童謡や「はやり歌」が大好きになります。
私は毎週一回、後期高齢者のためのリハリビ施設に通っています。車で送り迎えがある有難い施設です。
そこで時々音楽の先生が来て全員一緒に昭和の童謡やかつての「はやり歌」を歌います。
みんなはまだ後期高齢者なのに幼稚園児のように声を張り上げて歌っています。私はそんな光景を見てはじめは悲しくなりました。人間は老化すると退化するのかと悲しくなったのです。
しかし慣れてくると楽しくなるのです。
童謡が楽しいだけではなく、その童謡をよく聞いた時代の思い出がいろいろ蘇ってきて楽しいのです。
幼児と違うところは相変わらずクラシックの音楽を聴いて楽しんでいることです。
(3)趣味や遊び方が単純になってきて幼稚園児の遊びのようになってきます。
体力を使うスポーツは駄目になります。複雑な知的な趣味も次第に興味が無くなります。
遊びも幼児のように単純なものになります。
私の場合の例を一つだけ示します。
幼稚園児の好きな遊びに水遊びや川遊びがあります。やり過ぎて母親に叱られることもあります。
一昨日、山の小屋に行って散々小川で遊んで来ました。その私の幼児のような遊びを写真に従ってご説明いたします。
1番目の写真は甲府盆地の高速道路から見える残雪の南アルプスの主峰部分です。私の小屋はこの甲府盆地の西端の甲斐駒岳の麓にあります。
2番目の写真は山林の小屋に登る道です。少年の頃よくこのような雑木林の中で遊んだことを思い出して実に楽しい気分になります。昔はこんな林の中にシジュウカラやメジロやウグイスなどの野鳥が沢山いたことも思い出します。
3番目の写真は山林の小屋の庭に流れている小川です。今は落ち葉が一杯ですが、年中水の涸れない小川です。以前は岩魚がいましたが最近は姿が見えません。家の庭に小川が流れている光景は東京では考えられません。小川が庭にあるだけで興奮します。楽しい気分になります。
4番目の写真は小川が蛇行して流れている様子です。私の幼稚な水遊びはいろいろありますが、岸の砂をスコップで移動させて蛇行する流れを直線にしたり、その下流に大きな堰を作って池を作って遊ぶことです。
小川に溜まった落ち葉を熊手で掃除して美しい川砂が見えるようにすることも楽しいのです。
ようするに小川と戯れるのです。孫が幼児だった頃に夏のこの小川で水浴びをしていたことも思い出します。
5番目の写真は一昨日撮った写真ではなく水量の多い夏に撮った写真です。
この小川には小さなカエルは棲んでいますがサワガニやカジカは棲んでいません。
夏になると大きなオニヤンマが小川の上を盛んに飛んでいるので、その幼虫は小川に棲んでいるようです。
昔毎年夏になると田舎の祖父母の家に行って近所の小川でサワガニやカジカを手で捕ったことを思い出します。
山林の中の小川と遊ぶことはこのように楽しいのです。数々の楽しい幼児体験も走馬燈のように思い出します。
ところでこのような川遊びは家内も大好きです。昼食も忘れて何時までも小川と遊んでいます。
考えてみると家内の小川遊びは若い頃から続いています。大人になっても幼児性が抜けないのです。
本人はそのせいで何時までも若いと自称しています。その自慢を私は聞き流し、あえて反対しないことにしています。
今日は晩期高齢者になった私の恥ずかしい変貌ぶりの一端をご紹介しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 後藤和弘(藤山杜人)