フランスの魅力の一つは絵画や建築などの芸術作品です。
ところがフランスの魅力はこの他にも沢山あります。
その一つとして、揺るぎのないカトリック信仰も魅力の一つと思います。
日本のカトリック信仰は幕末から明治期に来日した「パリ外国宣教会」の神父達の影響を深く受けているのです。
さて日本へカトリックの教義が大々的に伝承されたことは2度ありました。
1回目は戦国時代末期から江戸時代初めにかけてのスペイン、ポルトガルのイエズス会の神父達による宣教でした。
2回目は幕末から明治期の「パリ外国宣教会」の神父達の宣教活動でした。
今日はこの「パリ外国宣教会」の神父達のことをご紹介したいと思います。
この欄で「美しい日本の教会の写真」と題する連載を12回いたしましたが、その多くの教会は「パリ外国宣教会」から派遣された神父達によって設計、建設されたのです。
例えば函館のカトリック元町教会は1859年(安政6年)に「パリ外国宣教会」派遣のカション神父によって建てられました。
「パリ外国宣教会」派遣の神父達の設計、指導によって建てられた教会は他にも沢山あります。
国宝の大浦天主堂、長崎のカトリック出津教会、京都の宮津教会、山形の鶴岡教会など沢山あります。「パリ外国宣教会」の方針は日本の地方の農漁村に布教し、地方の地場産業を興すことだったのです。
そして明治期から日本に来て日本の土のなった主な神父達は次のように多数いたのです。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/パリ外国宣教会)
ルイ・テオドル・フューレ
プリュダンス・セラファン=バルテルミ・ジラール
ピエール・ムニクウ
メルメ・カション(函館のカトリック元町教会)
ピエール・マリー・オズーフ
ベルナール・プティジャン(大浦天主堂)
ヨゼフ・ローカニュ
マルク・マリー・ド・ロ(カトリック出津教会)
ジュル=アルフォンス・クーザン
アンリ・アンブルステ
エメ・ヴィリヨン
ユルバン・ジャン・フォーリー
フランソワ・アルフレ・デジレ・リギョール
ジョゼフ・マルマン
ルシアン・ドルワール・ド・レゼー
ジェルマン・レジェ・テストウィード
ピエール・ザヴィエ・ミュガビュール
アレクサンドル・ベルリオーズ
ジュスタン・バレット
エルネス・オーギュスタン・ツルペン
エミール・ラゲ
フランソワ・ボンヌ
ジャン・フランソワ・マタラ
ミッシェル・シュタイシェン
ジャン・ルイ・ルラーブ(京都の宮津教会)
ジャン・ピエール・レイ
イポリット・ルイ・カディヤック
ジャック・エドモンド・パピノ(山形の鶴岡教会)
プラシド・アウグスチノ・メイラン
ジェレミー・セツール
クレマン・ヨゼフ・ルモアヌ
ウジェーン・クロドミル・ジョリー
ジャン・アレキシス・シャンボン
シルベン・ブスケ
マキシム・ボネ
ルネ・フランソワ・フレデリク・ドシエ
アルベルト・ブルトン
ヨゼフ・フロジャック
ソーヴール・アントワーヌ・カンドウ
これら多数のパリ外国宣教会の神父達の日本の於ける活躍の様子は次の2つの研究書に詳細に書いてあります。
(1)「明治期の宣教師の社会事業の背景」
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180407013419.pdf?id=ART0009680341
佐藤快信 著 - 2011
(2)「フランス人宣教師メルメ・カションの 「日本のヒエラルヒーに関する研究」
Brendan Le Roux(https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190316082841.pdf?id=ART0010103769 )
それにしてもこのように学術的な研究書が手軽にネットで読めるとは驚きです。
さて戦国時代末期から江戸時代初めに日本で活躍したイエズス会の神父達は明治期には来なかったのでしょうか?
イエズス会の神父達は出遅れたのです。しかし再び活動を再開し、上智大学や栄光学院などの高校を数々創設し、現在も隆盛しています。
栄光学院の名前は、イグナチオの座右の銘「神のより大いなる栄光のために」にもとずいているのです。
一方、パリ外国宣教会は以前ほど活発ではありませんが、相変わらず日本で活動しています。現在の日本管区長は、アントワン・デ・モンジュロ神父です。彼はさいたま教区カトリック所沢教会の主任司祭も兼任しています。
今日はここまでで終わりにします。記事の要旨は明治期に活躍した「パリ外国宣教会」派遣の神父達の活躍の大雑把な紹介でした。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日の挿し絵代わりの写真は大浦天主堂、函館のカトリック元町教会、カトリック宮津教会の写真を2枚ずつ順に示し、最後にカトリック鶴岡教会の写真を1枚お送りいたします。宮津と鶴岡以外は自分で撮った写真です。