後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

須賀敦子「コルシア書店の仲間たち」ー人それぞれの悲しみを描いた美しい水彩画ー

2019年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム
6年前に私は「透明で、そして淋しい須賀敦子の文章世界」という記事を書きました。2013年05月25日に掲載しました。
私は須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」という本を読んだ時の感動を絶対に忘れません。そして私は20年前に「コルシア書店の仲間たち」を読んで以来、その文章の透明感と淋しさを時々思い出しています。

そこで今日はあらためてこの本の書評を書いてみようと思います。
さて「コルシア書店の仲間たち」はどういう人々なのでしょうか?
須賀敦子は明快に書いていませんがこの人々はカトリック左派のイタリア人なのです。
それはミラノの教会の祭壇で共産主義の歌を唄って追放されたトゥロルド神父が中心になった物語から推察されます。
しかしコルシア書店の仲間たちの考えかたは皆違うのです。それぞれがイタリアの伝統的な社会に適合出来ず迷いの日々を送っているのです。悲しい日々を送っています。須賀敦子はそんな人々を優しく抱きしめて仲間たちの人間としての淋しさを描いているのです。
それは美しい水彩画のような珠玉の文学作品になってるのです。
さてコルシア書店の仲間たちは皆カトリック信者です。そして書店の経営の費用は全て貴族出身の未婚の老嬢が出しているのです。この未婚の老嬢にトゥロルド神父たちが女王の如くかしずいているのです。嗚呼、ヨーロッパの階級社会とはこういうものだとしみじみ理解出来るのです。
この作品には淋しいことは具体的に一切書いてありません。しかし何故か読者に寂しさを感じさせるのです。ヒョッとしたら作者自身が孤独で淋しい人生を送ったのでしょうか。
しかし須賀敦子は芦屋の裕福な家で育ち、聖心女子大に学び、パリへ留学し、イタリアの神学に興味を持ち、ミラノに定住し、コルシア書店で知り合ったペッピーノというイタリア人と結婚したのです。
夫、ペッピーノは若くして亡くなったので日本に戻り、いろいろな大学でイタリア語やイタリア文学を教えていました。晩年になってから書いた「コルシア書店の仲間たち」が評判になり数々の作品が出版されました。そして69歳で亡くなります。

彼女の人生は決して淋しいものでではありません。むしろ華やかで知的に輝いていたのです。淋しい人生ではないのです。
私は彼女の作品にある特徴を考えています。
カトリックの信者だったのにキリスト教のことは一切書いてありません。
イタリアで結婚したのに新婚生活の楽しさも見当たりません。
不思議な人です。
日本では大学の講師をしながら、何時もイタリア製の高級な洋服を着て、高価な車に乗っていたそうです。そして若い男性達を引き連れて遊んでいたそうです。心が満たされなっかのでしょうか?淋しかったのでしょうか?
しかし須賀敦子の文章にはそんな遊びの話は一切書いていません。
知的に輝けば輝くほど淋しかったのです。遊べば遊ぶほど淋しかったのです。
彼女はその淋しさを描きませんでした。ただ読む人が感じるだけです。
須賀敦子はただ一つ、「こうちゃん」という童話を書きました。それは暗くて悲しいような童話です。彼女の心象風景を書いたものと私は感じています。
彼女が亡くなってから20年。もう忘れられた作家と思っていましたら現在でも時々彼女の作品の書評が掲載されています。

最後に私の好きな「遼 (はるか)」さんの書評の終りの部分だけをお送りします。
https://thurayya65.exblog.jp/18270189/
・・・・コルシア書店はなくなってしまい、集っていた人々も離れ離れになってしまう。夫・ペッピーノも他界してしまう。同じ場に集っていて、ひとつのものを目指している仲間たち。でも、その心の中が全く一緒とは限らない。私もそんな経験は何度もある。その度にかなしい、残念だけれども、これは当然のことなんだ、私と他者は「別人」なのだから、と言い聞かせる。でも、完全に「別人」でもない。「孤独」とは。最後の232ページを読んで、また最初から読むと、描かれている人々がますます愛おしく感じる。
文章を味わい、描かれている情景や人々を味わう。いとおしむ。優しく抱きしめたくなる。最初に書いたとおり、「モノクローム」な味わいもありますが、そんな雰囲気もまた愛おしい。何度でも読み返したい本です。・・・

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


今日の挿し絵代わりの写真は白いモクレンと赤い桃の花とユキヤナギの花の写真です。





花の写真を撮りに行った昨日の日記

2019年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム
日記を正直に書いてみたいと思う。晴天、最高気温19度だった昨日の日記です。朝は7時に起床。
朝食に久しぶりに自分でベーコンエッグを作った。トーストとジャム3種、コールスロー、コーヒー。
その後、「略語が多すぎる、もう付いて行けない!」と題する記事を書く。
10時30分家を出て近所の植木栽培地に花の写真を撮りに行った。
足の悪い私は車の中に居て、身軽な家内が何時もの様に走りまわって花の写真を撮った。
お送りする5枚の写真は順々に植木栽培地全体の光景、白いモクレン、紫のモクレン、ミモザ、ミツマタの花となっております。









帰宅後は昼食。私はウナギ丼大根漬物、家内は塩鮭と野菜の煮物とご飯。夫婦好きなものを好みの味で食べるのが家庭円満の秘訣です。でも半分以上は同じ料理も食べます。

午後は桜町病院に行って腰痛の診断です。5ケ月前に転んで痛めた腰骨が直ったので最後の診断です。
整形外科部門の山口美樹先生へ「長い間、お世話になり有難うございました」と丁寧にお礼を言いました。
病院に行くと待ち時間が長いので家内と私は読書します。
家内が私の為に選んでくれた本は、「コルシア書店の仲間たち」(須賀敦子/文藝春秋・文春文庫/1995(単行本は1992年)でした。20年位以前に読んだのですが、昨日読んでも古さを感じさせません。
 1960年代須賀さんが若い頃、イタリアへ留学し、ミラノで「コルシア書店」という小さな書店に出入りした時に会った人々のことを描いたものです。
兎に角、文章が美しい。書店に集まる人々の個性が生き生きと描き出されている。イタリア人の人生の悲しみと苦悩が水彩画のように淡い色で描いてある。やがてコルシア書店が閉店し、仲間たちが消えて行く。
白黒のモノトーンの映画のように仲間たちの苦しみが描かれているのです。

病院の長い待時間の間にこの本の書評をもう一度書こうと思いました。
帰宅後、まず午前中に撮って来た「黄梅」の写真をトリミングしてブログに「今日撮ってきた黄梅(迎春花)という珍しい花の写真、」と題して5枚の写真を掲載しました。

その後夕食まで時間があったので「コルシア書店の仲間たち」の書評を調べました。評判の高い本だったので沢山の書評があります。
書評を急いで書くのは止めてもう少し考えることにしました。
特に共産主義の影響を受けたトゥロルド神父を中心にして書評を書く構想を考えました。
そうするとニカラグアの革命政権の大臣になったカトリックの神父達のことに繋がります。
ですからサンディニスタ革命軍のことを調べなおしました。
そうしたら夕食の時間になりました。家内は隣に住む孫達一家の夕飯を作っています。
夕食はスーパーのヤオコーの生ギョーザを焼いたものと牛肉と長ネギの炒め物少々です。いつものようにビール350cc一缶と日本酒2合です。
夜はテレビで自然ものとドキュメンタリーものを見ました。家内は別室で自分の好きな番組を見ます。
夜10時に家内と再会し一緒に寝ます。私は電動ベットです。

こうして83歳の3月20日の一日が終わりました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

==参考資料===============================
(1)「コルシア書店の仲間たち」の書評の一例
https://thurayya65.exblog.jp/18270189/
 1960年代須賀さんが若い頃、イタリアへ留学し、ミラノで「コルシア・デイ・セルヴィ書店」という小さな書店に出入りするようになる。カトリック神父のダヴィデ・マリア・トゥロルド神父が中心となり、理想の共同体をつくろうと政治的な活動も行う若い人々が書店に集っていた。そんなコルシア書店に通い、集う仲間たちのことを綴ったエッセイです。
そして物語は暗転します。
・・・・コルシア書店はなくなってしまい、集っていた人々も離れ離れになってしまう。夫・ペッピーノも他界してしまう。同じ場に集っていて、ひとつのものを目指している仲間たち。でも、その心の中が全く一緒とは限らない。私もそんな経験は何度もある。その度にかなしい、残念だけれども、これは当然のことなんだ、私と他者は「別人」なのだから、と言い聞かせる。でも、完全に「別人」でもない。「孤独」とは。最後の232ページを読んで、また最初から読むと、描かれている人々がますます愛おしく感じる。
文章を味わい、描かれている情景や人々を味わう。いとおしむ。優しく抱きしめたくなる。最初に書いたとおり、「モノクローム」な味わいもありますが、そんな雰囲気もまた愛おしい。何度でも読み返したい本です。

(2)ニカラグアの革命政権の大臣になったカトリックの神父達
https://www.jstage.jst.go.jp/article/americanreview1967/1992/26/1992_26_145/_pdf/-char/ja
1979年7月19日,ニ カラグアの主都マ ナグアにサ ンデ ィニス タ革命軍 が侵攻し,45年 にわた ったソモサ独 裁政権 は打倒され た。 サンディニスタ革命政府 の中心 は,初 代 の大統領 となったウンベルト ・オ ルテガ をはじめとす るマルクス主義者であったが,サンディニスタ政 府の閣僚の中には4人の解放の神学派の神父が含まれていた。
外務大 臣のミゲ ール・デスコー ト,文化大臣のエルネスト・カルデナル,エルネストの弟で文部大臣のフェルナンド・カルデナ、厚生大臣で後 に米州機構大使 となるエドガルド ・パラレスである。
革命が成功 した2ヵ月後の1979年11月には,ニカラグア・カトリック教会の司教団は声明を発表し,サンデニ革命は「貧しい者たち」を選択するための絶好の機会であると革命支持を打ちだした。
ハーバード大学 の神学者コックスは 「ニカ ラグアの革命におけるキリスト者の役割 は,近代の革命の歴史ではじめて,キリスト者が最初から人民の側に立ったものであり,画期的なものであった。ニカラグアはキリス教と革命の双方を変化させるだろう」とニカラグアの将来に希望を託した。