1960年代の日本はまだ貧しくて自動車は貴重な存在でした。
トヨタとニッサンは乗用車を販売していましたが高価で高嶺の花でした。
その頃活躍したのがマツダやダイハツのオート三輪車や日野がライセンス生産していたルノーでした。フォルクスワーゲンはドイツから輸入されていました。1958年にはスバル360が発売され、マツダクーペも1960年に出ました。
そんな時代の町の風景とともに自動車の写真をお送りいたします。
1番目の写真は1962年の北海道千歳市の商店街の風景です。自動車が少なくオート三輪車が活躍していました。写真の出典は、http://thegoldexp.blog99.fc2.com/blog-entry-1185.html?sp です。
2番目の写真は日野自動車の軽三輪トラックです。この写真は日野自動車の記念館で撮って来た写真です。
3番目の写真はマツダのオート三輪トラックです。この三輪トラックは日本中でよく見られました。
4番目の写真は日野自動車が作っていたフランスのルノーです。この写真は日野自動車の記念館で撮って来た写真です。
5番目の写真は当時ドイツから輸入されていたフォルクスワーゲンです。
6番目の写真は1958年に発売されたスバル360です。
7番目の写真は1960年に発売されたマツダクーペ360です。
昔、アメリカ留学中に中古のダッチ・コルネットという大型車に乗っていて、1962年に帰国し、いきなり小さな、小さなマツダ・クーペを買いました。
初めての子供を後席にのせ妻と3人で甲府の奥の夜叉人峠まで登り、芦安温泉に泊って来たこともあります。懐かしい車です。当時は道路が車で混んでいなくて、このように小さい車でも安全に走れたのです。360cc空冷4サイクル2気筒のエンジンが後部座席の後についていてオートマチックギアでした。そのうちパブリカやサニーやカローラが出て来て車が一気に普及したのです。日本の経済の高度成長の前の頃の話です。
このように昔の自動車を見ていると日本が貧しかった時代の生活のあれこれを思い出します。その頃は自動車は憧れのものでした。あの頃は貧しい生活でしたが夢が一杯ある青春時代だったのです。懐かしいです。
トヨタとニッサンは乗用車を販売していましたが高価で高嶺の花でした。
その頃活躍したのがマツダやダイハツのオート三輪車や日野がライセンス生産していたルノーでした。フォルクスワーゲンはドイツから輸入されていました。1958年にはスバル360が発売され、マツダクーペも1960年に出ました。
そんな時代の町の風景とともに自動車の写真をお送りいたします。
1番目の写真は1962年の北海道千歳市の商店街の風景です。自動車が少なくオート三輪車が活躍していました。写真の出典は、http://thegoldexp.blog99.fc2.com/blog-entry-1185.html?sp です。
2番目の写真は日野自動車の軽三輪トラックです。この写真は日野自動車の記念館で撮って来た写真です。
3番目の写真はマツダのオート三輪トラックです。この三輪トラックは日本中でよく見られました。
4番目の写真は日野自動車が作っていたフランスのルノーです。この写真は日野自動車の記念館で撮って来た写真です。
5番目の写真は当時ドイツから輸入されていたフォルクスワーゲンです。
6番目の写真は1958年に発売されたスバル360です。
7番目の写真は1960年に発売されたマツダクーペ360です。
昔、アメリカ留学中に中古のダッチ・コルネットという大型車に乗っていて、1962年に帰国し、いきなり小さな、小さなマツダ・クーペを買いました。
初めての子供を後席にのせ妻と3人で甲府の奥の夜叉人峠まで登り、芦安温泉に泊って来たこともあります。懐かしい車です。当時は道路が車で混んでいなくて、このように小さい車でも安全に走れたのです。360cc空冷4サイクル2気筒のエンジンが後部座席の後についていてオートマチックギアでした。そのうちパブリカやサニーやカローラが出て来て車が一気に普及したのです。日本の経済の高度成長の前の頃の話です。
このように昔の自動車を見ていると日本が貧しかった時代の生活のあれこれを思い出します。その頃は自動車は憧れのものでした。あの頃は貧しい生活でしたが夢が一杯ある青春時代だったのです。懐かしいです。