後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

1960年代に憧れだった自動車の写真

2019年09月02日 | 写真
1960年代の日本はまだ貧しくて自動車は貴重な存在でした。
トヨタとニッサンは乗用車を販売していましたが高価で高嶺の花でした。
その頃活躍したのがマツダやダイハツのオート三輪車や日野がライセンス生産していたルノーでした。フォルクスワーゲンはドイツから輸入されていました。1958年にはスバル360が発売され、マツダクーペも1960年に出ました。
そんな時代の町の風景とともに自動車の写真をお送りいたします。

1番目の写真は1962年の北海道千歳市の商店街の風景です。自動車が少なくオート三輪車が活躍していました。写真の出典は、http://thegoldexp.blog99.fc2.com/blog-entry-1185.html?sp です。

2番目の写真は日野自動車の軽三輪トラックです。この写真は日野自動車の記念館で撮って来た写真です。

3番目の写真はマツダのオート三輪トラックです。この三輪トラックは日本中でよく見られました。

4番目の写真は日野自動車が作っていたフランスのルノーです。この写真は日野自動車の記念館で撮って来た写真です。

5番目の写真は当時ドイツから輸入されていたフォルクスワーゲンです。

6番目の写真は1958年に発売されたスバル360です。

7番目の写真は1960年に発売されたマツダクーペ360です。
昔、アメリカ留学中に中古のダッチ・コルネットという大型車に乗っていて、1962年に帰国し、いきなり小さな、小さなマツダ・クーペを買いました。
初めての子供を後席にのせ妻と3人で甲府の奥の夜叉人峠まで登り、芦安温泉に泊って来たこともあります。懐かしい車です。当時は道路が車で混んでいなくて、このように小さい車でも安全に走れたのです。360cc空冷4サイクル2気筒のエンジンが後部座席の後についていてオートマチックギアでした。そのうちパブリカやサニーやカローラが出て来て車が一気に普及したのです。日本の経済の高度成長の前の頃の話です。
このように昔の自動車を見ていると日本が貧しかった時代の生活のあれこれを思い出します。その頃は自動車は憧れのものでした。あの頃は貧しい生活でしたが夢が一杯ある青春時代だったのです。懐かしいです。

中国共産党員と親しくなり中国社会の実態を知る(6)

2019年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は私の友人が中国共産党員になった理由と中国の8800万人党員の職業別構成をご紹介します。
はじめに誤解を避けるために明確に書いて置きたいことがあります。私は共産主義は間違った考え方だと信じています。特にこの主義で政治を行うと人間を悪い方向へ変える傾向があるので非常に危険な考え方だと考えています。
しかし日本の隣国に中国という巨大な共産主義独裁の国家が存在する以上、その社会の実態を少しでも知り、日本の安全を注意深く守るのが重要だと思います。
孫子の兵法が教えるように「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」なのです。
さて現在、中国の共産党員は約8800万人います。
これらの党員はどのようにして選ばれ、どのような仕事をしているのでしょうか?
そこで私の友人の周栄章さんと金応培さんがどのようないきさつで共産党員になったのかを書いてみます。

周栄章さんが共産党員になったのは1946年頃、天津にあった北洋大学の学生の時だったそうです。共産軍が国民党軍を打ち破り天津市を占領した時、彼は天津市の行政を共産党の指示通りに変えました。そのまま行政官として天津市に残れば偉い政治家になったかも分かりません。しかし彼は学者になる道を選びました。ソ連の教育制度にならって出来た北京鋼鉄学院、後の北京科学技術大学に移り業績を上げ鉄鋼精錬担当の教授になったのです。
周栄章さんの場合は革命に参加した共産党員ということになります。
一方、金応培さんは大学時代の成績が良かったので共産党員にならないかと誘われて党員になったそうです。彼は共産主義にはあまり興味が無いようでした。
彼の説明によると小学校や中学校のころから成績が良く先生の言う事を素直に聞く生徒は共産党の少年、少女組織に入り赤いネッカチーフをつけます。
重要な大学に入れば成績の良い学生はすぐに入党を勧められます。
小学校を卒業して農業や漁業につく人でも成績が良く素直な生徒はしばらくすると村の共産党幹部の推薦で正式の共産党員になるそうです。勿論、賄賂もあるのでしょうが一番重要なことは学校の成績と素直な性格など人格の良さが決定的な要素になるのです。

中国には昔から科挙の制度があり皇帝の下の行政官には優秀な人々を集めるという伝統がありました。このような考え方は現在の共産党の党員の集め方に生かされているようです。
こうすることで共産党の強さを維持しているのです。
さて2014年末で8800万人近い共産党員がいました。
その党員達はどのような職業についているのでしょうか?
詳しくは末尾の参考資料の「中国共産党の党員数とその構成」にありますので、ここではその概略だけをご紹介いたします。
職業別では、農業・牧畜・漁業従事者が2594万人、定年退職者が1622万人、企業などの技術者が1253万人、企業などの管理者が902万人、党・政府機関職員が740万人、工場などの労働者が734万人、その他職業が711万人、学生が225万人だそうです。
ここで党・政府機関職員の740万人がいわゆる政治家です。中国では行政官と政治家は同じで日本のように分かれていません。
地方の行政官として業績を挙げ、頭角をあらわした人が北京の中央政府に抜擢され中央の政治家になるのです。習近平主席が昔の地方の行政官だった時代の部下を中央に抜擢し、自分の周囲の人事を固めたというニュースはこの事情によるのです。

さて8800万人の党員のうち、その10%以下が政治家で、あとの90%以上はいろいろな分野の職業についているのです。
中国の共産党独裁の政治にはそれを支える人材の層が厚く、党員数の90%以上が各分野を抑えている事実を認めざるを得ません。
日本の共産党員はおもに政治活動だけをしていますが、中国では普通の職業活動をしているのです。
しかし各分野の職場には必ず監視役の党の政治家が配置されています。
私が訪問した2つの大学には学長よりも権限のある政治委員が一人いました。
以上が中国社会の実像ではないかと思います。
さて孫子の兵法に戻りますが、「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」と言いますが、日本人はどのくらい中国の内情を知っているのでしょうか。
尖閣諸島で無法なことをした中国を憎むのは当然ですが、憎むだけでなく日本人はもっともっと中国の政治や社会を研究し外交戦略で中国を抑える努力をするのが最善と思います。
孫子の言、「百戦百勝は善の善なる物にあらず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる物なり」を肝に銘じることです。

今日の挿絵代わりの写真は記事の内容と関係のない八ヶ岳付近の風景です。先週の週末に撮りました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)





===参考資料、「中国共産党の党員数とその構成」======
以下の出典は、http://www.recordchina.co.jp/a112782.htmlです。
2015年6月29日、中国共産党中央組織部の最新統計によると、同党の党員は2014年末で、8779万3000人に達し、前年より110万7000人増加した。増加幅は1.3%だった。新華網伝えた。
基層組織は436万カ所に上り、前年より1.3%増え、5万6000カ所増加した。内訳は、基層党委が20万9000カ所、総支部が27万1000カ所、支部が388万カ所。
党員のうち、2167万2000人が女性で前年比0.4ポイント増で、全体の24.7%を占めた。
少数民族の党員は605万1000人で、全体に占める割合は前年同様の6.9%。
大専(大学専科)以上の学歴を持つ党員は3775万5000人で全体の43%。前年より1.4ポイント増えた。
35歳以下の党員は2247万9000人(全体の25.6%)、36〜45歳が1779万2000人(同20.3%)、46〜60歳が2466万2000人(同28%)、61歳以上が2286万人(同26.1%)だった。
職業別では、農業・牧畜・漁業従事者が2593万7000人、定年退職者が1621万6000人、企業などの技術者が1253万2000人、企業などの管理者が901万6000人、党・政府機関職員が739万7000人、工場などの労働者が734万2000人、その他職業が710万5000人、学生が224万7000人だった。(翻訳・編集/柳川)