後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

自給自足への憧れとヤマギシ会の繁栄

2019年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム
通称「ヤマギシ会」は正式には「幸福会ヤマギシ会」と言います。
この農事組合法人は農業・牧畜業を基盤とするユートピアをめざす活動体です。
私は一種の宗教団体だと考えています。
その資料(https://ja.wikipedia.org/wiki/幸福会ヤマギシ会 )には次のような説明があります。
この団体は1953年(昭和28年)に山岸巳代蔵の提唱する理念の活動実践母体「山岸式養鶏会」として発足しました。
1995年(平成7年)に名称を「幸福会ヤマギシ会」と変更します。
個人所有の概念を全否定し「無所有一体」の生活を信条としています。
この団体は最近、自給自足に憧れる人々が増えたことを背景に繁栄しているのです。
このヤマギシズムを実践する場であるヤマギシズム社会実顕地が全国に26か所もあり、約1500人が共同生活を営んでいます。
またブラジルやスイス、韓国、オーストラリア、アメリカ合衆国、タイなどの外国にも6箇所の実顕地があり、この実顕地を支援している会員が5万人ほどいると言われています。
ヤマギシズム実顕地では野菜や果物、家畜などが育てられており、農産物加工品を全国販売しているのです。
私はこの宗教的な団体に興味があり先週、東京都町田市忠生2-26-23にある「多摩実顕地」を訪れ取材して来ました。
パン工房もあり併設してあるスーパーではいろいろな農産物を売っていました。
聞くと、それらの農産物はおもに「ヤマギシズム生活榛名実顕地」で生産しているそうです。その群馬県の榛名実顕地には約40名の家族が暮らしています。
(https://www.yamagishi.or.jp/?jk-spot=%E5%B2%A1%E9%83%A8-okabe ) 
それでは写真にしたがってご説明いたします。

1番目の写真は先週取材に訪れた町田市にある「多摩実顕地」です。左奥の白い建物は会員の住宅です。

2番目の写真は「多摩実顕地」で焼いたパンの売り場です。

3番目の写真は「榛名実顕地」の様子です。
写真の出典は、https://www.yamagishi.or.jp/?jk-spot=%e5%b2%a1%e9%83%a8-okabe
 です。

4番目の写真は「榛名実顕地」に住んでいる家族の集合写真です。
写真の出典は、https://www.yamagishi.or.jp/?jk-spot=%e5%b2%a1%e9%83%a8-okabe
 です。

5番目の写真は全国にある26ケ所のヤマギシズム社会実顕地を示す図です。
写真の出典は、https://www.yamagishi.or.jp/?page_id=1593 です。

このヤマギシ会の活動目的は「すべての人が幸福である社会」を作ることです。
そのための行動原理として「無所有・共用・共活」を内容とする理念を掲げています。
そして上述のように ブラジルやスイス、韓国、オーストラリア、アメリカ合衆国、タイなどの外国にも6箇所の社会実顕地を展開しています。
このように順風満帆のように見えるヤマギシ会にも問題があったことも付記して公平な記事にしたいと思います。それは「山岸事件」のことです。
・・・山岸会事件を報じた毎日新聞(1959年7月5日付)・・・
ヤマギシ会が1958年(昭和33年)に三重県に設立した共同体「山岸式百万羽科学工業養鶏株式会社」が、同県阿山郡伊賀町で百万羽の鶏の飼育を目的に開拓を目指したものの難航する中、構成員の知人らを「ヨウアリ、スグコイ」など真意を隠した内容の電報で呼び寄せ、1959年(昭和34年)7月の特別講習研鑽会に参加させた事件。「家族が監禁されて講習を受けさせられている」といった訴えが数多く寄せられ、7月10日に山岸会幹部9名が三重県警に逮捕された。山岸巳代蔵にも逮捕状が出たが行方をくらまし、9か月の逃亡生活を送った末に逮捕された。山岸会は「謎めいた思想集団」、「謎の革命集団」として報道された。「春日山50年のあゆみ」によると山岸会事件が実顕地に与えた影響は甚大で、春日山実顕地の財政は逼迫し、食料や衣料にも事欠き、多くの構成員が出稼ぎに出たという。1961年4月28日、逮捕された14人に禁固1年から10カ月、執行猶予2年の判決が下った。 ・・・

時代は変わりましたが、ヤマギシ会の理念は変わっていません。しかし自由な民主国家の日本では違法行為が無いかぎりこのような団体が自由に活動して良いのです。善悪の判断は難しいものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)



高い秋の空のもとコスモスの咲いている広場

2019年09月25日 | 写真
1ケ月ほど前に高原にある富士五湖の畔でコスモスの花が咲いていました。それが東京では1ケ月おくれで最近咲き出しました。
今日は三鷹の「緑と花の広場」に行き、咲き出したコスモスの花の写真を撮りました。
家内があちこち花の間を走り回って写真を撮りました。
これからしだいに秋が深まります。季節がどんどん流れて行きます。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









日本への布教活動の基地、マカオの教会の写真

2019年09月25日 | 日記
ポルトガルの領地だったマカオは日本へのカトリックの布教活動の基地でした。
ザビエル神父もロドリゴ神父もガルペ神父もマカオを出発して日本に来たのです。
当時のマカオの様子は原作遠藤周作、スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』の初めの方の場面に出てきます。(2017年01月28日 掲載記事)
島原の乱も終り、江戸幕府のキリシタン弾圧がほぼ終了した時代に、2人のポルトガル人神父が行方不明の司祭を探しに無謀にも九州へ潜入して来たのです。ロドリゴ神父とガルペ神父です。この2人がマカオの教会を背景にして石段を下りて来る場面が印象深いのです。
かつて尊敬していた司祭のフェレイラ神父は棄教し、幕府側になってキリシタンを捕縛、棄教させる役をしているという噂です。潜入したロドリゴ神父とガルペ神父は信者にかくまわれながらフェレイラ神父を探しまわります。

この映画の話はさておき今日はマカオのカトリック教会の写真をお送りいたします。

1番目の写真は世界遺産聖ポール天主堂跡です。1637年に建てられました。
写真の出典は、https://www.compathy.net/tripnotes/17616 です。
3回の火災で建物の前面しか残っていない状態が歴史を考えさせます。 存在感があるのです。

2番目の写真は聖ドミニコ教会です。
世界遺産に指定されている聖ドミニコ教会は1587年に建てられました。中国で最も古い教会の一つです。 写真の出典は、https://www.compathy.net/tripnotes/17616 です。

3番目の写真は聖ドミニコ教会の内部です。
写真の出典は、https://www.compathy.net/tripnotes/17616 です。

4番目の写真は聖フランシスコ・ザビエル教会です。
写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/聖フランシスコ・ザビエル教会_(マカオ) です。
1928年に創建されました。日本初のキリスト教布教をしたザビエルを記念する教会です。
かつてはザビエルの右腕の骨などが納められていました。現在は聖ヨゼフ修道院及び聖堂に移されているそうです。

5番目の写真はマカオのペンニャ教会です。
写真の出典は、https://macaunavi.com/recommend/ペンニャ教会/ です。
最初の教会は航海の安全を守る聖人を祭るために1622年に建てられたと言われており、その後一度消滅し1837年に再建、1935年にマカオカトリックの主教館を併設する現在の教会が建てられました。
歴史的には十分世界遺産の価値がありながら、建て直しと増築によってリストから外れた教会です。
教会前の広場から階段を下りると、フランス聖地のルルドを模した洞窟とルルドの聖母像があるそうです。

さて話は変わりますが、ついでに日本にあるサビエル記念聖堂の写真もお送りします。

6番目の写真は山口市にあるザビエル記念聖堂です。
ザビエルの山口での布教活動から400年記念として1952年(昭和27年)に建てられました。
初代の聖堂はザビエルの生家のスペインのナバーラ州パンプローナ近郊にあるザビエル城を模して建てられました。パンプローナ市は1980年に山口市と姉妹都市提携を結んでいます。
しかし初代の聖堂は1991年(平成3年)9月5日に失火により全焼しました。
その後サビエル記念聖堂の所有者であるイエズス会より多くの資金援助を受け、更に山口市民、全国から寄せられた善意の募金により1998年(平成10年)4月29日に再建されました。

私共は 昭和27年に建てられ初代の教会を訪れたことがあります。それは古風な教会でした。しかしザビエルの生家を想像するのは難しかったことを覚えています。懐かしい以前のサビエル記念聖堂の光景を思い出します。

さてこうして私は中国や台湾や韓国やフィリピンのカトリック教会の写真をご紹介してきました。
これは私にとって巡礼の旅のような気分になります。この旅はまだまだ続きます。ベトナム、インドへと続いて行きます。
こんな旅の道連れになって下さる皆様へ感謝します。尊敬します。どうぞ今後もお気軽に道連れになって頂けたら幸いです。有難う御座います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)