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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「万葉集の時代から日本人に愛されて来た秋の七草の花」

2019年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム
秋になりましたね。昼間は残暑がけっこう厳しいですが、朝夕は流石に涼しくなってきました。
碧く晴れ上がった日は、秋の野に出て花々の写真を撮りに行こうと考えています。これから長い秋の日々が楽しみです。
そして秋の七草を思い出して、山上憶良の万葉集の和歌を読み返します。
岩波の「古典文学体系」や角川文庫の万葉集、上巻(武田祐吉校註)を見ると、当時の人々が愛した花の名が出てきます。
山上憶良の和歌の中にある朝貌は現在のキキョウのことと理解したうえで次の和歌を楽しんでみましょう。原文を分かりやすくしたものを示します。

秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種の花
(山上憶良 万葉集 巻八 一五三七)七種は「七草」と読みます。

萩の花 尾花 葛花(をばな くずばな) なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花
(山上憶良 万葉集 巻八 一五三八)

そこでこの秋の七草の花の写真を見てみましょう。
写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E8%8D%89 です。

1番目の写真は萩です。

2番目は尾花です。

3番目は葛です。

4番目は撫子です。

5番目は女郎花です。

6番目は藤袴です。

7番目は桔梗です。

これらの歌によると、1200年ほど前の日本の野原にはいろいろな花が咲いていたのです。
秋風がわたる万葉時代の野原に花が咲いているのどかな情景が浮かんできます。
二番目の歌は花の名前を羅列しただけですが、その順序と読んだときの音の響きが心地よいのです。2首続けて読むと優雅で気品のある作品のように感じられます。

それにてもこの和歌が作られたのは天平時代の730年ころです。現在よりも1300年も昔のことです。しかし現代の日本人もこの歌を楽しむことが出来るのです。やはり万葉集は確かに素晴らしい文化遺産です。
ついでに末尾の付録に山上憶良の履歴と他の和歌も示しておきました。
ご覧になって万葉時代の優雅な和歌の世界をお楽しみ下さい。

秋の花と言えば七草の花の他に、彼岸花(マンジュシャゲ)、野菊、ホトトギス、リンドウなどがあります。これらは全て日本古来の花々です。
また海外から来た秋の花もあります。セイタカアワダチソウやコスモス、カンナや皇帝ダリアなどなどです。
このように四季折々、花々の咲く日本に生まれた幸せをしみじみと感じる季節です。幸福感につつまれます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=================
山上憶良:斉明天皇6年(660年)? - 天平5年(733年)?
大宝元年(701年)第七次遣唐使の少録に任ぜられ、翌大宝2年(702年)唐に渡り儒教や仏教など最新の学問を研鑽する。なお、憶良が遣唐使に選ばれた理由として大宝の遣唐使の執節使である粟田真人が同族の憶良を引き立てたとする説がある。
和銅7年(714年)正六位下から従五位下に叙爵し、霊亀2年(716年)伯耆守に任ぜられる。
養老5年(721年)佐為王・紀男人らとともに、東宮・首皇子(のち聖武天皇)の侍講として、東宮に侍すよう命じられる。

神亀3年(726年)筑前守に任ぜら任国に下向。神亀5年(728年)頃までに大宰帥として大宰府に着任した大伴旅人とともに、筑紫歌壇を形成した。
天平4年(732年)頃に筑前守任期を終えて帰京。天平5年(733年)6月に「老身に病を重ね、年を経て辛苦しみ、また児等を思ふ歌」を、また同じ頃に藤原八束が見舞いに遣わせた河辺東人に対して「沈痾る時の歌」を詠んでおり、以降の和歌作品が伝わらないことから、まもなく病死したとされる。

いざ子ども はやく日本(やまと)へ 大伴の 御津(みつ)の浜松 待ち恋ひぬらむ(唐にて詠んだ歌)(『万葉集』巻1-63、『新古今和歌集』巻10-898)

憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ それその母も 吾(わ)を待つらむそ(『万葉集』巻3-337)

春されば まづ咲くやどの 梅の花 独り見つつや はる日暮らさむ(大宰府「梅花の宴」で詠んだもの)(『万葉集』巻5-818)

瓜食めば 子供念(おも)ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ 何処(いづく)より 来たりしものぞ 眼交(まなかい)に もとな懸りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ(『万葉集』巻5-802)

銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子に如(し)かめやも (『万葉集』巻5-803, )

行く船を 振り留めかね 如何ばかり 恋しかりけむ 松浦佐用姫(『万葉集』巻5-874)

世の中を 憂しとやさしと おもへども 飛びたちかねつ 鳥にしあらねば(『万葉集』巻5-893)

以下省略。