後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「香港の武力鎮圧は起きるか?ローマ法王は動くか?」

2019年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム
今年の6月から3ケ月にわたって香港では大規模なデモが続き騒然としています。
デモの大規模さを示す写真をご覧下さい。

1番目の写真は6月のデモの様子です。以前の民主化デモの雨傘運動の延長だと主張するために皆が雨傘をかぶっています。
騒乱が3ケ月も続いているのでいよいよ中国本土の軍隊が香港を占領し鎮圧するのではないかと懸念されています。

今日は香港の武力鎮圧は起きるのかという問題を考えてみました。
数週間いろいろ調べたり考えたりしました。
結論を先に書けば次のような種々の理由で武力鎮圧は起きないと考えています。

(1)デモの目的は犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを認める「逃亡犯条例」の改正案に反対するためでした。しかし林鄭月娥行政長官は「逃亡犯条例」改正案の正式な撤回を表明した以上、デモの目的は無くなってしまったのです。

(2)デモの参加者はおもに若い学生であり経済活動を中国本土に依存している中年以上の香港人は参加していない。日本にもあった学生の安保反対デモのようにやがて鎮静化すると思われる。

(3)習近平主席は武力鎮圧をすれば第三の天安門事件として国際社会の激しい非難を浴びるので香港の警察力による鎮圧を待つのが賢いと考えていると思われる。
なお第一次天安門事件とは1976年の周恩来の追悼デモを武力鎮圧した事件で第二次天安門事件とは1989年の胡耀邦の追悼デモを武力鎮圧した事件です。

(3)日本や台湾における香港デモへの支援活動は弱小で頼りにならない。
日本では「香港の自由と民主主義を守る緊急行動」という活動があるが昔のベトナム反戦運動のような大規模な運動ではない。

(4)アメリカのトランプ大統領は人権よりも金儲けに興味がある傾向が強いので何もしない。
アメリカの有識者達がトランプ大統領に香港デモ隊への支援を求める公開提言を提出したが反応が無いままです。日本政府はノーコメントの静観です。

(5)香港には人口の10%のカトリックが約37万人います。ローマのフランシスコ教皇が動けば香港情勢に大きな影響があります。しかし中国本土のカトリック教徒も守らなければいけないので動きがとれないのです。
その上、林鄭月娥長官は熱心なカトリック教徒なのでフランシスコ教皇が不用意に動くと林鄭月娥長官を窮地に落とし入れることになります。要するにフランシスコ教皇の立場は微妙で動きがとれないと考えられます。

今日は上記の(3)(4)(5)に関してもう少し説明を加えます。

(A)日本の於ける香港デモ支援の様子
日本では香港からの留学生が中心になって「香港の自由と民主主義を守る緊急行動」という活動をしています。詳しくは、https://kosugihara.exblog.jp/239314385/ をご覧下さい。

2番目の写真は6月13日に行われたデモの様子です。デモは九段下の香港経済貿易代表部前と渋谷ハチ公前で行われました。九段下には300人以上、渋谷には2500人(主催者発表)が集まり、香港や台湾からの留学生による切実なスピーチも含めて盛り上がったそうです。しかしこの運動は中年以上の日本人には広がりませんでした。小さなデモで終わったのです。

(B)アメリカでの香港デモ支援の様子
アメリカでは人権問題の専門家組織が香港デモ隊への支援を求める公開提言をトランプ大統領に提出しました。そして香港政府高官への制裁や香港デモ隊の「5大要求」に対する公式支援などを求めたのです。
しかしトランプ大統領からは反応がありません。
提言は、以下のような書き出しで始まっています。
「我々は、自由と極東におけるアメリカの国益にとって重要な瞬間である今、あなた(トランプ氏)に向けて書いています。あなたもご存じの通り、香港の人々は、香港がイギリスの植民地でなくなった時に中華人民共和国が尊重すると約束したはずの、自由と自治を守るために奮闘しています。我々は、彼ら香港の人々を助ける機会に面しています」
詳しくは、https://the-liberty.com/article.php?item_id=16212 をご覧下さい。

(C)ローマ法王は何故動きがとれないのか?
香港のキリスト教人口はプロテスタントが約48万人、カトリックが約37万4000人と(2014年の政府統計)、全人口の約10%です。
そして小・中学校の約40%、社会福祉機関の約30%をキリスト教系が占めているなど、社会全体にキリスト教が根づいている社会なのです。
香港の抗議活動でカトリックが担う役割についてはイタリアの宗教学者のイントロヴィーニャ氏が詳細な持論を展開しています。
詳しくは、https://jp.bitterwinter.org/hong-kong-protests-the-catholic-factor/?gclid=EAIaIQobChMIvvnaq8a75AIVi6qWCh18dAVwEAMYASAAEgJvgvD_BwE をご覧下さい。
イントロヴィーニャ氏の主張は、「バチカンは中国共産党と国際社会に対し香港の民主主義を支持していること、そして人権問題を重視してることを早急に表明すべし」というものです。
しかしローマ法王は沈黙を守ります。香港の現地の司教だけが林鄭月娥行政長官へ「逃亡犯条例」改正案を廃案にするように助言してるだけです。

3番目の写真は香港の聖母無原罪司教座堂の天主堂です。

4番目の写真はヨハネ湯漢(トンホン)枢機卿です。

5番目の写真は湯漢司教と陳日君枢機卿と香港教区の聖職者達です。

今日は「香港の武力鎮圧は起きるか?ローマ法王は動くか?」という題目で香港デモに関する日本、アメリカ、ローマ法王の反応を分かり易く書いたつもりです。
皆様からのご批判をお待ちしていうます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

日本の山岳遭難の悲劇と数多くの墓標

2019年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム
ブログのサービスを提供している会社は幾つもあります。私はNTTが経営しているgooブログの有料会員になって毎日記事を投稿しています。
そのブログは、「後藤和弘のブログ」(https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama)です。
このNTTのgooブログでは毎日のアクセス数や訪問数を送ってくれます。私のブログの訪問数は平均すると一日あたり約1100人です。
そして昨日アクセス数の多かった過去の記事も1位から10位迄送ってくれます。
昨日の順位は以下のようなものでした。

「昨日アクセスされたページの5位までの順位」(6位以下省略)
1位 トップページ
2位  日本の山岳遭難の悲劇と数多くの墓標
3位  タイタニックが描きだした当時のイギリス社会の暗黒と栄光
4位  月別記事一覧
5位  縄文時代は北海道と東北地方は同じ文化圏でした

ブログの良いことは過去何年前の投稿記事でも読んで下さる方々が多いということです。
それは投稿した記事が各種の検索ページに紹介してあるからです。例えば上記の記事の題目だけをコピーしてhttps://www.google.co.jp/の検索ページに貼り付けて、検索すると昔の記事が出て来るのです。これは私にとって大変便利です。
昨日1位だった「日本の山岳遭難の悲劇と数多くの墓標」は何度も10位以内に入っています。多くの方々の関心の強い記事のようです。

そこで今日はこの記事を少し改訂して以下にお送りいたします。原文は2018年10月05日に掲載されています。
「日本の山岳遭難の悲劇と数多くの墓標」
今日は日本の山岳遭難を振り返って見ようと思います。まず写真をご覧下さい…

1番目と2番目の写真は上高地の帝国ホテルの傍の梓川の岸辺から撮った穂高連峰です。

1番目と2番目の写真は以前、何度も散策したおりに自分で撮った写真です。

3番目の写真は上高地にある山岳遭難者慰霊碑、「山に祈る塔」です。
写真の出典は、https://blog.goo.ne.jp/hz0326/m/201706 です。

4番目の写真は梓川沿いのカラマツ林の中にひっそり眠る数多くの慰霊碑です。
みな遺族や山仲間が遭難者を慰めるためにたてた碑です。亡くなった者への想いが刻み込んであります。

5番目の写真は谷川岳の岩壁ある遭難者のレリーフです。谷川岳では800人近くの若者が命を落しているのです。写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/gyamerongiasu/28744478.html です。

さて山岳遭難の一覧表はこの記事の末尾の参考資料にあります。この表は戦後の昭和時代に限って、3名以上の犠牲者のあった遭難事故だけを示しています。1名あるいは2名の事故は含まれていないのです。
その表を見ると谷川岳の遭難が多いのに気づきます。そこでまず谷川岳に焦点をあてて紹介します。文章の出典は5番目の写真と同じです。

谷川岳の標高は2,000mにも満たないのですが、急峻な岩壁と複雑な地形の上天候の変化も激しいのです。そのため遭難者の数は群を抜いて多いのです。
統計が開始された1931年(昭和6年)から谷川岳遭難事故記録によると、2005年(平成17年)までに781名の死者が出ています。
この飛び抜けた数は日本のみならず世界のワースト記録としてギネス認定もされているのです。

1960年(昭和35年)には、岩壁での遭難事故で宙吊りになった遺体に救助隊が近づけず、災害派遣された陸上自衛隊の狙撃部隊が一斉射撃してザイルを切断、遺体を収容したこともありました。
谷川岳の宙吊り遺体収容のTVニュースを憶えている人も多いと思います。
また、一ノ倉沢で1943年(昭和18年)9月8日に、2人の登山者が絶壁の岩場で遭難死します。
しかし遭難場所がわからず行方不明として処理され、遺体はそのまま岩場に放置されました。
30年後の1973年(昭和48年)5月13日に、偶然この場所にたどり着いた登山者が白骨化した遺体を発見します。
ポケットに残されていた10銭硬貨や過去の記録から、1943年の遭難者と判明したのです。
山岳クラブと地元警察により、30年ぶりに下山して親族の元に帰ったのです。
急激な気象の変化による遭難が後を絶たないので、谷川岳は「魔の山」とも呼ばれ、遭難の防止のために群馬県谷川岳遭難防止条例が制定されているくらい特別な山なのです。

日本の山岳遭難は谷川岳だけではありません。
北海道の大雪山、東北の蔵王、北アルプス、南アルプス、そして四国や九州の山々に山岳遭難者の慰霊碑があるのです。
遺された家族や友人の悲嘆の山並みが続いているのです。下に4つだけの山岳遭難の例を示します。

1、松本深志高校遭難事故
1967年8月1日の気象状態は、本州を挟む形で高気圧が2つ並んでおり、南海上には台風があったため、大気の不安定な状態となっていました。
長野県松本市の県立深志高等学校二年生の登山パーティーは、北アルプスの西穂高岳にて教員の引率による集団登山を行なっていたのです。
この集団登山は希望者を集めて毎年学校が主催している学校行事でした。
参加人数は教員5人を含む計55人で、日程は、31日に松本市を出発、上高地で一泊し、1日の朝から西穂高に登山して、翌日下山、松本市に帰る予定でした。
参加者のうち46人の登頂後、正午過ぎから天候が悪化し、大粒のひょうまじりの激しい雷雨となったためパーティーは避難を開始します。下山途中の13時半頃、独標付近のガレ場を一列で下っていたところに雷の直撃を受けたのです。
これにより生徒8名が即死、生徒・教員と会社員一人を含めた13名が重軽傷を負い、生徒3名が行方不明となったのです。
事故発生の連絡を受けた西穂山荘からは従業員と東邦大学医学部による西穂高診療所の医師ら二十余人が現場に向かい、遺体と負傷者を山荘に収容します。
登山の伝統がある深志高等学校が多人数の犠牲者を出た悲しい遭難事故でした。深志高等学校にはむなしく慰霊碑が建っていて、穂高の山並みを見上げています。

2、富士山大規模落石事故、
1980年8月14日午後1時50分ごろに富士山の山頂付近で落石が発生、吉田ルートの登山道を転がった落石が八合目から六合目にかけて多数の登山者を巻き込んだ事故です。
この事故による死者12人、負傷者は29人を数え、国内の落石事故史上最悪の惨事となったのです。
落石は、頂上の八神峰のひとつ、久須志岳付近の岩場で二度にわたり発生。直径1~2mの巨石5~60個が左右に広がりながら一直線に滑り落ち吉田大沢に向かったのです。
雪崩のように広がった落石は本八合(標高3300m)付近で吉田砂走りの下山道を直撃し、八合目(標高3100m)にかけて多数の登山者を巻き込みながらなぎ倒したのち六合目と七合目の中間付近で再び登山道に合流し、ここでも下山者を襲ったのです。
落石は吉田砂走りの小石を巻き込みながら、最終的に標高差1400mを転げ落ち五合目付近まで達しました。
被害は拡大し、死者12人、重軽傷者29人を数えたのです。
当日の気象は好天で風速は6m程度であり、また地震や火山活動など落石の引き金となる明白な事象はなかったのです。落石は人為的に引き起こされることもありますが、最初の崩落が発生した場所は登山道から離れていたため自然発生によるものとみられているのです。

3、御嶽山噴火による63名死亡事故
御嶽山噴火は、2014年(平成26年)9月27日11時52分(日本時間)に発生しました。
長野県と岐阜県の県境に位置する御嶽山(標高3,067m)の火山噴火です。噴火警戒レベル1(平常)の段階で突然、噴火したため、火口付近に居合わせた登山者ら58名が死亡し、5名が行方不明になりました。 避難する時間も無く無防備の登山者に巨大な噴石が降り注いだのです。多くは即死でした。

4、山小屋もろとも土石流で流された遭難事故
昭和44年8月5日、神戸市立御影工業高校ワンダーフオーゲル部の教師2名、生徒5名が長野県飯田市松川にて、山小屋もろとも土石流に流されました。捜索の結果、2名発見、5名は行方不明のままです。詳しくはhttp://menosaito.blog100.fc2.com/blog-entry-457.html にあります。その後のことは「長野県飯田市遭難慰霊碑」を検索して下さい。

以上のように山岳には想像もつかない危険に満ちているのです。いくら経験豊かな登山家でも避けられない山岳遭難が起きるのです。
登山は冒険です。危険です。危険だからロマンがあります。
悲しむのは遺された家族や友人たちです。・・・・
最近、私にも富士山の山頂に登り、荒天のなかで下山中に行方不明になった親友がいます。
そのせいでこんな記事を書く気になりました。まだ発見されていません。(2018-09-15、掲載記事に経緯が書いてあります)

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料;岳遭難事故一覧=============
seesaawiki.jp/book-wiki/d/%BC%E7%A4ʻ%B3%B3%D9%C1%F8%C6%F1%BB%F6%B8ΰ%EC%CD%F7%A1%A1%A2%A8%BE%BC%CF%C2
最終更新: 2012年01月16日(月) 03:26:13履歴

【主な山岳遭難事故一覧】 ※昭和(戦後) ※大量遭難=3名以上死亡 のみのリストです。
昭和25(1950)年11月 平標山遭難事故(平標山)5名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history03/top...
昭和25(1950)年12月 佐野高校山岳部雪崩事故(谷川岳/西黒沢尾根)5名死亡
http://mtgear.blog18.fc2.com/blog-entry-30.html
昭和26(1951)年 5月 法政大学山岳部崩落事故(谷川連峰/一ノ倉沢) 4名死亡
昭和29(1954)年11月 日大/慶応大山岳部・東大スキー山岳部雪崩事故(富士山)15名死亡
http://www.fujiyamanchu.com/fujisanzatugaku.html
http://www.fujisan-net.jp/data/article/1410.html
昭和29(1954)年12月 戸山高校山岳部遭難事故(北アルプス/西穂高岳)3名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history03/top...
昭和32(1957)年 3月 明治大学山岳部雪崩事故(北アルプス/白馬鑓ヶ岳)5名死亡
http://120.29.191.181/amedaze/dic/dic-his/his-05.H...
昭和33(1958)年12月 慶応大学山岳部雪崩事故(北アルプス/中岳)4名死亡 ※他日大山岳部2名死亡
http://120.29.191.181/amedaze/dic/dic-his/his-05.H...

昭和33(1958)年12月 早稲田大学山岳部雪崩事故(北アルプス/明神岳)4名死亡
http://www.geocities.jp/oriental_com/ogura/now/myo...
昭和34(1959)年10月 東大山岳部他雪崩・遭難事故(北アルプス/北穂高岳)8名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history04/top...
昭和34(1959)年12月 立命館大学山岳部雪崩事故(北アルプス/剱岳)6名死亡
http://www.jlogos.com/webtoktai/index.html?word=%C...
昭和34(1959)年12月 専修大学山岳部雪崩事故(北アルプス/槍ヶ岳)6名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history04/top...
←◎参照 昭和35(1960)年 9月 谷川岳宙吊り遺体ザイル銃撃事件(谷川連峰/谷川岳)2名死亡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5...
昭和35(1960)年11月 早大/東京理科大山岳部他雪崩事故(富士山)11名死亡
http://www.fujiyamanchu.com/fujisanzatugaku.html
http://www.fujisan-net.jp/data/article/1410.html

昭和36(1961)年 1月 富山大学山岳部遭難事故(北アルプス/赤谷山)6名死亡
http://yamamemo.seesaa.net/article/151883513.html
昭和36(1961)年12月 剱岳池ノ谷遭難事故(北アルプス/剱岳)3名死亡
昭和37(1962)年 1月 五竜岳遭難事故(北アルプス/五竜岳)5名死亡  
昭和37(1962)年 1月 甲斐駒ケ岳遭難事故(南アルプス/甲斐駒ケ岳)3名死亡
昭和37(1962)年 1月 久住群星生山遭難事故(久住連山/群星生山)7名死亡
http://www.nan-nan.jp/lib/unpyou02a1.pdf
昭和37(1962)年11月 穂高岳遭難事故(北アルプス/前穂高岳)5名死亡
http://120.29.191.181/amedaze/dic/dic-his/his-05.H...
昭和37(1962)年11月 成城大WV部遭難事故(南アルプス/間ノ岳)4名死亡
http://www.minamialps-net.jp/data/article/202.html
昭和37(1962)年12月 北海道学芸大学函館分校山岳部遭難事故(大雪山系/旭岳)10名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history04/top...
昭和38(1963)年 1月 愛知大学山岳部遭難事故(北アルプス/薬師岳)13名死亡 ※1パーティーとしては近代登山史上最大
http://dankai.akimasa21.net/index.php?%E6%84%9B%E7... 
昭和39(1964)年 1月 大館鳳鳴高校山岳部遭難事故(岩木山)4名死亡
http://blog.goo.ne.jp/kitsunekonkon/e/1515ca32334a...
昭和40(1965)年 3月 北海道大学山岳部遭難事故(日高山脈/カムイエクウチカウシ山)6名死亡
http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/20.jiken/9.htm...
http://www.geocities.jp/kyyamamoto2/dcyukinoisyo1....
昭和40(1965)年 3月 横尾雪崩事故(北アルプス/横尾)7名死亡
http://120.29.191.181/amedaze/dic/dic-his/his-05.H...

http://www.geocities.jp/showahistory/history05/top...
昭和41(1966)年11月 富士山連続滑落事故(富士山)6名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history05/top...
昭和42(1967)年 1月 涸沢雪崩事故(北アルプス/涸沢)8名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history05/top...
昭和42(1967)年 1月 大日山遭難事故(大日山)6名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history05/top...
昭和42(1967)年 1月 剱岳遭難事故(北アルプス/剱岳)3名死亡
http://120.29.191.181/amedaze/dic/dic-his/his-05.H...
昭和42(1967)年 1月 谷川岳二重雪崩遭難事故(谷川連峰/谷川岳)6名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history05/top...
昭和42(1967)年 4月 山形市立商業高校山岳部遭難事故(朝日連峰)3名死亡
http://www.asahi-net.or.jp/~dq5h-kmnt/akiba/1989ko...
昭和42(1967)年 8月 松本深志高校遭難事故(北アルプス/西穂高岳)11名死亡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%A9%82%E9...
昭和44(1969)年 1月 剱岳大量遭難事故(北アルプス/剱岳)19名死亡
http://mtgear.blog18.fc2.com/blog-entry-70.html
昭和45(1970)年 7月 福岡大学ワンゲル部羆襲撃事件(日高山脈/カムイエクウチカウシ山)3名死亡
http://seesaawiki.jp/book-wiki/d/%ca%a1%b2%ac%c2%e...
昭和45(1970)年12月 同志社大/中央大他天狗平遭難事故(北アルプス/天狗平)7名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history05/top...
昭和47(1972)年 3月 富士山大量遭難事故(富士山)24名死亡
http://blog.goo.ne.jp/yukiyuki-tei/e/498c94ac51a8d...
http://www.fujisan-net.jp/data/article/1410.html
昭和49(1974)年 3月 白馬大雪渓雪崩事故(北アルプス/白馬岳)5名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history05/top...
昭和49(1974)年 3月 鹿島槍ヶ岳雪崩二重遭難事故(北アルプス/鹿島槍ヶ岳)9名死亡
http://www.argos-net.co.jp/nadare_bunkakai/nadare_...
昭和52(1974)年 1月 鹿島槍ヶ岳雪崩事故(北アルプス/鹿島槍ヶ岳)9名死亡
昭和52(1977)年 3月 都立航空高専山岳部遭難事故(中央アルプス/将棊頭山)7名死亡
http://www.asahi-net.or.jp/~dq5h-kmnt/akiba/1989ko...
昭和55(1980)年 8月 富士山大規模落石事故(富士山)12名死亡
http://univ.ygu.ac.jp/kasai/fujirakuseki/FUJISTONE...
http://www.fujiyamanchu.com/fujisanzatugaku.html
http://www.fujisan-net.jp/data/article/1410.html

昭和55(1980)年12月 逗子開成高校山岳部遭難事故(北アルプス/八方尾根)6名死亡
http://www.zushi-kaisei.ac.jp/history/100history/1...
昭和57(1982)年 3月 八ヶ岳阿弥陀岳雪崩事故(八ヶ岳/阿弥陀岳)12名死亡
http://www.geocities.jp/showahistory/history06/top...
昭和57(1982)年 8月 黒部渓谷土石流事故(北アルプス/黒部渓谷)7名死亡
http://120.29.191.181/amedaze/dic/dic-his/his-05B....
←◎参照 昭和58(1983)年 9月 富士見平小屋OL殺人事件(奥秩父/富士見平小屋)1名死亡※殺人
http://www.chichibu.ne.jp/~elf/3/field/file1.htm
昭和61(1986)年 1月 岩木山雪崩事故(青森/岩木山)4名死亡
http://120.29.191.181/amedaze/dic/dic-his/his-05B....
昭和62(1987)年 1月 常念岳遭難事故(北アルプス/常念岳)3名死亡
http://homepage2.nifty.com/m_hayaka/book/bn1863.ht...
昭和62(1987)年 9月 穂高岳屏風岩落石事故(北アルプス/穂高岳)4名死亡1名不明
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