東京都東久留米市の柳窪の集落は江戸時代そのままです。広大な屋敷林に囲まれた豪農の家があります。そして集落の道は東京都によって「屋敷林の道」と選定されているのです。
随分と以前から私はその屋敷林を国木田独歩の武蔵野の世界と信じて何度も散策していました。
久しぶりに今日の午後その武蔵野の昔の屋敷林の写真を撮りに行って来ました。撮って来た写真をお送りいたします。
その豪農の家は村野家と言います。この村野家は巨木の鬱蒼と生えた深い林に囲まれています。
名残りのミンミン蝉が鳴いている森です。
村野家の主屋は、市内で唯一現存する茅葺(かやぶき)の屋根をもつ家屋で、江戸時代の天保9年(1838)に建築されたものです。幕末期の武州一揆(ぶしゅういっき)の痕跡が残る歴史的な価値も有しています。
3つの蔵は、江戸時代末期建築の「土蔵」と「穀蔵」、明治38年建築の「新蔵」で、漆喰仕上げの外観をもつ美しい姿を木立のなかに残しています。
この村野家は当時の農家建築の典型的な姿を示すものとして文化財保護法の規定により有形文化財として登録されています。
また柳窪地域は東京都の「雑木林の道」における「屋敷林の道」にも選定されています。美しい景観が保全されている場所です。
随分と以前から私はその屋敷林を国木田独歩の武蔵野の世界と信じて何度も散策していました。
久しぶりに今日の午後その武蔵野の昔の屋敷林の写真を撮りに行って来ました。撮って来た写真をお送りいたします。
その豪農の家は村野家と言います。この村野家は巨木の鬱蒼と生えた深い林に囲まれています。
名残りのミンミン蝉が鳴いている森です。
村野家の主屋は、市内で唯一現存する茅葺(かやぶき)の屋根をもつ家屋で、江戸時代の天保9年(1838)に建築されたものです。幕末期の武州一揆(ぶしゅういっき)の痕跡が残る歴史的な価値も有しています。
3つの蔵は、江戸時代末期建築の「土蔵」と「穀蔵」、明治38年建築の「新蔵」で、漆喰仕上げの外観をもつ美しい姿を木立のなかに残しています。
この村野家は当時の農家建築の典型的な姿を示すものとして文化財保護法の規定により有形文化財として登録されています。
また柳窪地域は東京都の「雑木林の道」における「屋敷林の道」にも選定されています。美しい景観が保全されている場所です。