後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

秋になりました、コスモスの花の写真をお楽しみ下さい

2019年09月04日 | 写真
私はコスモスの花が大好きです。以前にいろいろな所で撮った写真が沢山あります。
その中から今日の曇り日にふさわしいような写真を5枚お送りいたします。
コスモスの花の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









受けた恩を絶対に忘れなかったある韓国人の思い出

2019年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム



今日は恩を絶対に忘れなかったある韓国人の思い出を書いてみたいと思います。
それは韓国浦項製鉄所の技術研究所の所長をしていた金鉄佑さんのことです。
私を韓国へ招待してくれた人でした。2013年の暮れに亡くなってしまった忘れ得ぬ人です。

話の発端は1962年から1966年の昔のことです。
当時、東京大学工学部付属研究所に「生産技術研究所」がありました。
その研究所の雀部高雄教授の研究室に金鉄佑さんが所属していました。私もその雀部教授の研究室によく遊びに行っていました。

金さんは、その時代の韓国の政府の政策に反対する政治運動もしていたらしく、日本の警察に逮捕され拘置所に長く拘留されていたのです。
人徳豊かな雀部高雄教授はその弟子の金さんの釈放を求める署名運動をしていました。常日頃、弱きを助ける雀部教授を尊敬していた私は進んで署名しました。

署名はしましたが長く釈放されなかったのです。そのうち私も東大を離れたので、その後の金鉄佑さんとは一度も会ったことがありませんでした。そして20年近い月日が流れました。
1984年に、突然、金さんから封書が届きました。知らなかったのですが彼はその後韓国に帰り、浦項製鉄所の技術研究所の所長になっていたのです。

そして私を韓国の金属学会の大会で講演するようにと準備万端整えて招待してくれたのです。
我々夫婦を招待して慶州のお寺や古墳群や、そして釜山や大邱やソウルの観光案内もしてくれました。案内してくれたのは韓さんという技師さんでした。
浦項製鉄所では立派なゲストハウスに泊めてくれたのです。

私は始めて韓国を訪問したのでしたが人々の親切さに感銘を受けたのです。
金鉄佑さんとは雀部高雄教授の思い出話をしました。雀部教授はその当時には既に亡くなっていたのです。
そして雀部教授から受けた恩を縷々話したのです。私を招待したのは今は亡き雀部教授への恩返しをしたかったのです。

韓国は儒教の国で、人々は恩義を絶対に忘れないのです。
それ以来、私は韓国人に親しみを感じるようになりました。

我々夫婦を招待して案内してくれた慶州のお寺や古墳群は日本と非常に似ています。その文化が日本へ渡来したのです。懐かしい故郷に帰ったような錯覚を覚えました。
大邱ではカトリック教会のミサにでて韓国の信者と一緒の祈りました。
浦項製鉄所で泊まったゲストハウスには朴正煕大統領も泊まったそうです。
朴正煕大統領は佐藤栄作総理と日韓基本条約を作り日韓両国の国交を正常化し、日韓友好を推進したのです。
ソウルでの韓国金属学会の総会は大規模なものでした。招待講演をしたことも思い出になりましたが、それ以上にそこで見た光景に感銘を受けたのです。
お昼の休み時間です。外の広い芝生の上に幾組ものグループが輪になって弁当を食べているのです。そして話合いの雰囲気に旧懐の情に溢れていてのです。案内してくれた韓さんに聞くとそれぞれのグループは幾つかの大学の金属工学科を出た同窓生だそうです。
金属学会の総会で久し振りに会った旧友たちが集まって弁当を食べながら昔の思い出を語り合っているのです。何時もは違う会社で働いていてなかなか会えないのです。
この光景を見て、私は何故か非常にほのぼのとした気分になりました。
韓国で見た忘れ得ぬ光景の一つになったのです。

これだけの話です。日韓友好の一助になるようにと祈っています。
今日の挿し絵代わりの写真は印象深かった韓国の慶州の海印寺の写真です。
出典は、https://4travel.jp/travelogue/11414370です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平穏をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)