後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

明日はもう10月、北国からの渡り鳥が待遠しい

2019年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム
猛暑の夏が終わったと思ったら明日は早くも10月になります。年を取ると月日の流れが速くなります。日一日と秋が深まってきました。
こんな季節になると北国からの渡り鳥が待遠しくなります。
まもなくシベリアからカモ類やハクチョウ達が飛んできます。
渡り鳥の姿を見ていると2千キロメートル位も渡って来たその長旅のつらさが偲ばれます。そしてシベリアの大地に広がる湿地帯や白樺の樹林の風景が目の前に浮かんできます。
特にコハクチョウは数も多く、全国の川や湖に飛来して人々の目を楽しませてくれます。

白鳥の渡来地として、昔から全国的に有名なのは新潟県阿賀野市の瓢湖(ひょうこ)です。
故吉川重三郎氏が昭和29年(1954年)2月4日に日本で初めて野生の白鳥の餌付けに成功したことで注目を浴びて有名になりました。
その後、国の天然記念物に指定され、平成20年にはラムサール条約登録湿地となりました。毎年11月下旬頃のピーク時には5,000羽を超える白鳥が飛来するそうです。

1番目の写真はその瓢湖(ひょうこ)の白鳥の写真です。
(写真の出典は、http://www.niigata-kankou.or.jp/sys/data?page-id=10803 です)
瓢湖の白鳥が有名になった昭和29年 、私は高校生でした。戦後の暗い社会でこのニュースは復興の希望の灯のように感じました。多くの人々もそのように感じたらしくて新聞は瓢湖の記事を大々的に報道しました。
家内の祖母はこの記事を読んで、毎日茶殻を乾して貯めては郵便で送っていたそうです。
多くの高齢者にとって瓢湖の白鳥は忘れ得ない明るい希望の風物詩だったのです。
現在、瓢湖の白鳥は吉川重三郎さんの息子の吉川繁男さんが餌を与えて大切に保護しています。重三郎さんは2006年に85歳で他界しました。

瓢湖の白鳥が有名になってから数十年が過ぎ去りました。 現在の日本では白鳥は数多く各地に渡って来るようになりました。日本が豊かな邦になったのが実感できます。あちこちの多くの白鳥を見ると幸せな気分になります。
そんな訳で私は現在でも時々車を駆って見に行きます。富士五湖の山中湖には白鳥が棲みついています。そして霞が浦にも晩秋に数多くの白鳥が飛来します。

2番目の写真は霞ヶ浦で私が数年前に撮った冬鳥の写真です。

3番目の写真も霞ヶ浦で私が撮った冬鳥の写真です。
白鳥、鴨類、ゆりかもめ、鳩などが混じって日向を楽しんでいます。ほかにオシドリ、カイツブリ、川鵜、小白鷺がよく遊んでいました。

4番目の写真は美しいユリカモメです。同じく霞ヶ浦で撮った写真です。

5番目の写真ははコハクチョウが大空を飛んで渡っている姿です。
(写真の出典は、http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2012:10:09:4948 です)

最後に個人的は話で恐縮ですが、昔ドイツに住んでいたころは川や湖で白鳥を沢山見ました。
2人の子供がいましたので、その子供たちが喜ぶのです。白鳥のほうから近づいて来て子供達と遊ぶのです。白鳥を見ると、まだ若かった家内がパンをちぎって投げていたドイツの生活を思い出します。

冬の白鳥は風物詩です。日本の戦後の復興の灯でした。私の家族の楽しい思い出です。この冬も白鳥を見に行こうと考えています。下に日本の渡り鳥の参考資料をつけます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料:日本の渡り鳥===================
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E3%82%8A%E9%B3%A5 からの抜粋:
地域をどの範囲まで広げる(狭める)かによって、同一の鳥でも異なる分け方になる場合があるが、日本を基準とした場合、以下のような分け方となる。

夏鳥:主として繁殖のために日本より南の国から渡ってきて、夏を日本で過ごし、繁殖期が終わると再び越冬のために南の国に渡って行く鳥。ツバメ、アマサギ、オオルリ、キビタキ、クロツグミ、ハチクマ、サシバなど。

冬鳥:主として越冬のために日本より北の国から渡ってきて、冬を日本で過ごし、冬が終わると再び繁殖のために北の国に渡って行く鳥。ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメ、マガモ、オオハクチョウ、マナヅル、オオワシなど。

旅鳥:日本より北の国で繁殖し、日本より南の国で越冬するため、渡りの移動の途中に日本を通過して行く鳥。主として移動時期である春と秋に見られる。シギ、チドリの仲間に多い。