檜原村のある奥多摩は戦後頃から観光地になり川遊びの人々や登山客で賑わうようになりました。
それ以前の奥多摩は清流が流れ山間のところどころに人々がひっそりと住んでいました。静寂が大自然をつつみ夜は真っ暗になり星空の美しい所でした。
そのような奥多摩を現在見ようと思ったら冬に行けばよいのです。夏の間は川遊び人々や登山客で賑わっていた奥多摩から人々が消えてしまって静まり返っています。聞こえるものは風の音と暗い谷を流れ下る川音だけです。少しばかり散在している集落も過疎で人の姿がありません。
これこそ奥多摩という名前にふさわしい自然なのです。
そんな冬の奥多摩の冷たい清流の写真を撮りに昨日行ってきました。
五日市から檜原街道にはいり十里木で右に折れ支流の養沢を遡りながら写真を撮りました。その昨日の写真をお送りします。
1番目の写真は十里木の交差点から右に曲がってすぐの養沢の風景です。写真の上の方の左にある平地は駐車場で夏の間は百台くらいの車がビッシリ駐車している場所です。前の川は浅いので子供連れの若い家族で溢れかえっています。その喧噪が消え静かに清流だけが流ています。
2番目の写真も冬の養沢の風景です。ここは初夏から鮎釣りの人で賑わう瀬です。冬には誰もいません。
3番目の写真は養沢の少し上流にある鱒のルアー専門の釣り場です。夏には数人の釣り人が静かに毛鉤を水面に流して岩魚を釣っています。めったに釣れませんが釣り人は浮かんだ毛鉤の流れをジッと見て時を過ごしています。
4番目の写真は養沢の奥の集落です。周囲には植えた杉や檜の人工林が並んいます。昔はその林業で栄えた集落です。林業で財を成したような豪華な家が集落の高い場所にあります。林業は過ぎ去った夢です。集落は過疎なのか人の姿が見えません。
5番目の写真も杉や檜の人工林に囲まれた金持ちの家です。奥多摩の山々を見回すと山仕事のしやすい集落の近辺は人間が植えた杉や檜の人工林になっています。しかし険しい斜面や山々の奥は照葉雑木林になっています。そこは村人が使う薪や材木を切り出す場所なのです。
時代は変わりました。
燃料に使っていた枯葉や薪はプロパンガスに変わりました。高価な材木だった杉や檜は安い輸入材木に席捲されて出荷出来なくなりました。若者は職を求めて立川、八王子、東京へと出て行きます。過疎の集落が出来ます。
奥多摩の山々はそんな時代の変化も静かに見ています。それは悠久の時の流れの一齣に過ぎないのです。
冬の奥多摩の冷たい清流の写真を撮りながらそんなことを想いました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
それ以前の奥多摩は清流が流れ山間のところどころに人々がひっそりと住んでいました。静寂が大自然をつつみ夜は真っ暗になり星空の美しい所でした。
そのような奥多摩を現在見ようと思ったら冬に行けばよいのです。夏の間は川遊び人々や登山客で賑わっていた奥多摩から人々が消えてしまって静まり返っています。聞こえるものは風の音と暗い谷を流れ下る川音だけです。少しばかり散在している集落も過疎で人の姿がありません。
これこそ奥多摩という名前にふさわしい自然なのです。
そんな冬の奥多摩の冷たい清流の写真を撮りに昨日行ってきました。
五日市から檜原街道にはいり十里木で右に折れ支流の養沢を遡りながら写真を撮りました。その昨日の写真をお送りします。
1番目の写真は十里木の交差点から右に曲がってすぐの養沢の風景です。写真の上の方の左にある平地は駐車場で夏の間は百台くらいの車がビッシリ駐車している場所です。前の川は浅いので子供連れの若い家族で溢れかえっています。その喧噪が消え静かに清流だけが流ています。
2番目の写真も冬の養沢の風景です。ここは初夏から鮎釣りの人で賑わう瀬です。冬には誰もいません。
3番目の写真は養沢の少し上流にある鱒のルアー専門の釣り場です。夏には数人の釣り人が静かに毛鉤を水面に流して岩魚を釣っています。めったに釣れませんが釣り人は浮かんだ毛鉤の流れをジッと見て時を過ごしています。
4番目の写真は養沢の奥の集落です。周囲には植えた杉や檜の人工林が並んいます。昔はその林業で栄えた集落です。林業で財を成したような豪華な家が集落の高い場所にあります。林業は過ぎ去った夢です。集落は過疎なのか人の姿が見えません。
5番目の写真も杉や檜の人工林に囲まれた金持ちの家です。奥多摩の山々を見回すと山仕事のしやすい集落の近辺は人間が植えた杉や檜の人工林になっています。しかし険しい斜面や山々の奥は照葉雑木林になっています。そこは村人が使う薪や材木を切り出す場所なのです。
時代は変わりました。
燃料に使っていた枯葉や薪はプロパンガスに変わりました。高価な材木だった杉や檜は安い輸入材木に席捲されて出荷出来なくなりました。若者は職を求めて立川、八王子、東京へと出て行きます。過疎の集落が出来ます。
奥多摩の山々はそんな時代の変化も静かに見ています。それは悠久の時の流れの一齣に過ぎないのです。
冬の奥多摩の冷たい清流の写真を撮りながらそんなことを想いました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)